呪い、そして精霊王 十

 そんな状態の場所でも、雷韋らいの小さな影は身軽に倒木を乗り越えていくのが見えた。


 倒木の葉は一片ひとひらすらなく全て禿げて、そのせいで雷韋の動きを見通せる有様だった。


 陸王りくおうも雷韋に追いつこうと、折り重なる倒木を越えていく。そうして我武者羅に進んでいった時、辺り一帯土が剥き出しの状態になった。草木そうぼくはなく、ある地点から唐突に開けているのだ。


 その状態から見ても、おそらく爆心地は近い。


 そして、倒木を越えている最中に見失っていた雷韋の姿を陸王は発見した。既に闇に覆われている中、雷韋は一人突っ立っていたのだ。



「雷韋!」



 声を張り上げると雷韋は闇の中にぽつんと浮かんで、ゆっくりと背後を振り返った。


 陸王、と雷韋の唇が動く。けれど、その瞳はどこか虚ろだった。

 陸王はそんな雷韋に追いついて、



「こんなところで何を」



 そう言いかけて、言葉が最後に詰まる。


 雷韋の立っている場所の一歩前からは、地面が綺麗になくなっていたのだ。


 元々がこんな場所ではなかったはずだ。何故なら一目見て、土砂が崩れて木々を巻き込んだことがはっきり分かるからだ。まるで奈落の底へ落ち込んでいるように見える。それに、走り疲れて倒れたあの広場もどこなのか。ここなのか、それともよそなのか、よく分からない。


 眉根を寄せて突然出来上がった奈落を目にしてから、陸王は辺りを光の玉で照らした。


 崩れている範囲はかなり広い。丁度、対岸のように崩れていない部分があるが、そこまで十メートルほどあるかも知れない。薄暗い中で、明かりを移動させてもやっと届くかという場所だ。それでも右手の崖側は崩れていない箇所が多い。


 それらを眺めてから、



「雷韋、どこに行こうとしていた」



 陸王は無感情に問うた。

 その問いに、雷韋はどこかしょぼくれた顔になる。



「泉に、行こうって」

「精霊王か?」

「うん」

「この一帯はあちこち崩れているようだ。泉だってどうなってるか分からんぞ」



 陸王の声音は諭すようなそれだった。

 それに対して、でも、と雷韋は口を開く。



「行ってみなきゃ分かんないじゃんか。少なくとも俺達が吹っ飛ばされた場所は残ってる筈なんだ。じゃなきゃ、鹿の姿のセレーヌが俺達を運ぶ事なんてできなかったんだから」

「だが、結果としてはこの有様だ」



 言って、陸王は光の球を奈落に飛ばした。そこにあるのは崩れた大地とそれに巻き込まれた木々の姿だけだ。


 そのまま光の球を操って、辺りを一周させる。そのお陰で、よりよく一帯の有様を知ることが出来た。


 結果としては、あちこち地割れが発生してぼろぼろに崩れている。対岸にある地面も、地割れの中にありながら辛うじて崩落を免れたという感じだ。


 光の玉に照らされて目に見えるものは、すべからく酷い有様だった。


 だが、崖に沿っては崩落を広範囲に免れた場所もある。


 それを確認して、雷韋は歩き出そうとした。けれどその腕を陸王につかまえられる。



「なんだよ」

「何をする気だ、お前」

「決まってるだろ。精霊王を散らしに行ってくるんだ。セレーヌだって、その為に俺達を呼んだんだから」

「よせ」



 陸王は捕まえたままの雷韋の腕をぐっと引っ張った。


 それに抗うように、雷韋も手を振り払おうとするが、陸王に比べて雷韋の力などたかが知れている。大の男の手を振り払うことも出来ないまま、陸王をめ付けてきた。



「俺は、やっぱり姉ちゃんも村の人も見捨てておけない! 助けられるかも知れない人を放っておくことは出来ねぇよ。セレーヌにもこの山を返してやりたいんだ」



 その瞳には強い意志の力がある。絶対に曲げられないという。


 だが、それを陸王が粉砕した。



「お前は俺の生命の綱だ。勝手やらかしてんじゃねぇぞ」



 低く、脅すような声音を出す。


 それを聞いて、雷韋は瞬間的に身を竦めた。本能とでも呼べる部分で、何故か対の陸王を恐れたのだ。


 それもさもあらんだ。雷韋は鬼族だ。天敵である魔族を本能的に恐れる。対であろうが種族の壁を越えることは難しい。


 雷韋はさっきまで強い意志の力を宿していた瞳を、急にあちこちに彷徨さまよわせた。陸王の黒い瞳に射貫かれて、まともに目を合わせ続けることが出来なかったのだ。忙しなく視線を彷徨うろつかせた雷韋は、やがて俯き、顔を背けた。そして弱々しく言葉を吐き出すのだ。



「でも、だって、俺は」



 と、そこで、次に続く言葉は飲み込んでしまう。

 そんな雷韋をきつい眼差しで見てから陸王は、



「兎に角、俺達にはなんの関わりもない土地の話だ。放っておけ」



 それだけ言うと、陸王は雷韋の腕を引いて歩き出した。


 しかしその時、どこかから声が聞こえたような気がした。はっとして振り返ると、対岸にいくつもの明かりが見える。松明の明かりだ。


 こちらは光の球で、松明よりも遙かに明るい光を放っている。


 松明の明かりを持っている者達の姿までは見えないが、おそらくは村の者達だろう。


 山はこんなに形を変えているし、花梨の姿もない。それより何より、山中で爆発があったのだ。何事かと見に来ない者はいないだろうし、おそらく泉は涸れているだろう。それは取りも直さず、花梨が贄にならなかったことを示しているはずだ。村の者達には何が起こったかなど分かりはしないだろうが、今ここに余所者がいるのは不審でしかない。


 そんなことが一瞬で陸王の脳裏を駆け抜けた。


 ここにいるのはまずいと思うと同時に、昨日ここに自分達がいた事を彼らは知らないと言うことも過る。


 正直を言えば関わりたくはない。けれど、ここで逃げ出せば完全な不審者だ。あとを追われる可能性もある。そうなると多分、連中はしつこいはずだ。何しろ、贄が消えた昨日の今日だからだ。


 それならば、何も知らない旅の者を装った方がいい。

 そう判じて、陸王は崖の方へと足先を向けた。



「陸王? どこ行くのさ」

「行くんだろう、あそこへ」



 陸王が顎をしゃくって見せたのは、崩れを見せていない崖の方角だ。崩れた脇に沿って行けばいずれ通る場所だった。だがそちらの方に、何人かが一本の列を作って歩いてきている。松明の明かりでそれと分かった。



「え?」



 雷韋が困惑した声を漏らす。それに対して、陸王は言葉を続けた。



「俺達はただの旅人だ。花梨のこともセレーヌのことも精霊王のことも、何も知らん。山を登ってきたら、この惨状に出会でくわした。それだけだ」

「そんで、結局どうすんのさ」

「村から山を下りる道があるだろう。そこから出て行く」



 それを聞いて、雷韋の目が信じられないという風に見開かれた。



「そんな! 俺はそんなの嫌だ。ここまで来たんだ。頼むから、みんなを俺に助けさせてくれよ。なぁ、陸王」



 陸王を見上げる琥珀の瞳にも声にも、今度は懇願する色があった。陸王が再びめ付けても逸らさない、必死の色だ。雷韋の声音も、やけに耳に染み込んでくる。


 それを見聞きして、陸王は眉根を寄せて顔を歪めた。


 何故かこの時、貫く意思が砕かれてしまうような、そんな感じがしたのだ。


 対の魂には、一方が請えば請うほど、もう一方の意思が挫けてしまう不思議な作用がある。これは如何ともしがたいものだ。


 陸王は気を張ろうとしたが、その時には既に遅かった。雷韋の懇願に、簡単に心が折れてしまっていた。それが故か、捉まえていた雷韋の腕を自然と放してしまっている。



「……で? 結局のところは精霊王を散らすって事か」



 急に態度を変えたその言葉に、雷韋は瞬間ぽかんとしたが、すぐに大きく頷いてみせた。



「まず、村の人達に精霊王が贄を求めてるって事を説明しなきゃ。あれは神じゃない、狂った精霊の塊なんだって」

「そいつぁ、上手くねぇな」

「なんでさ」

「その話の流れじゃ、花梨のことも話さなけりゃならなくなる。どう考えてもまずいだろう」

「それの何が悪いのさ」

「贄を奪ったと、聞いて貰える話も聞いて貰えなくなる。村の連中にとっては、数百年と続く贄の儀式だ。連中から見れば、俺達は儀式を邪魔しただけだからな。そのことで逆恨みを食らうだけだ」

「だってそれはあの人達の為にもならないし、根本から正さなきゃならないことなんだ。精霊王さえ散らしちまえば、セレーヌが清浄な水を大地から湧き出させてくれるよ」

「そこまで大人しく話を聞いてくれりゃあいいが、まず間違いなく花梨の名前を出した途端に襲われる」

「じゃあ、どうしたら」



 雷韋は考え込むように俯いた。

 それに対して陸王は、嘆息と共に返す。



「精霊の気配がおかしかったからとでも言やあいい。どうせ人間には魔術の事なんざ碌に分からんのだからな。そこに付け込んで、お前は精霊のことを捲し立てろ。精霊使いエレメンタラーなら出来るだろうが」

けむに巻けって事か?」



 雷韋は呆気にとられたように陸王を見上げてそう問うた。


 しかし陸王はそれには答えずに続ける。



「上手くやれ。相手につけ込む隙を与えるな」



 いいな、と最後に念押ししてから陸王は、徐々に近づいてくる松明の明かりの方へと歩き出した。

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