呪い、そして精霊王 九

 雷韋らいは自分をつついてくる陸王の手を払いのけて、強く言い返した。



花梨かりん姉ちゃんを人としてちゃんと生かしたいんだ、俺は。村でもどこでもいい。人と人の繋がりを持たせて生かしてやりたい。あんたが花梨姉ちゃんだったら、ちゃんとした生活を送りたいと思わないのか?」



 陸王りくおうはその言葉を、小馬鹿にするようにして鼻で笑った。



「この娘が今までどんな生き方をしてきたか、お前も聞いていただろう。人としてまともに生きてきてねぇんだ。まともな生活ってもんが端から分からねぇんだよ。それならここで対が来るかどうかを待って生きてく方がまだしもましだ。来ねぇとは限らんのだからな。そいつを待って、セレーヌとつましく暮らしていってもおかしかねぇだろう」

「じゃあ、やっぱり転移の術を使う。この結界から出れば、結界への入り口がある。それが目印になるから……」

「外に出ても、この山には精霊王の結界がある。結界を挟んで術は使えん。忘れたか。それとも村まで下りて、そこから外と繋ぐか? だが、そいつを出来ねぇと言ったのはお前だぞ」



 陸王の冷たい言葉が突き刺さる。そのあまりの言いように、雷韋は口を閉ざした。琥珀の瞳には、確かな軽蔑の色が滲んでいる。それに、様々試そうとしても、片っ端から潰される。それが悔しくてならなかった。


 雷韋の蔑みの瞳を、陸王は冷めた目で見ていた。

 互いに愛想を尽かしたような空気が流れる。


 その二人の間にくちばしを挟んできたのは、話題の本人である花梨だった。立ち上がって、拳を握る。



「ねぇ、私こんなところにいるのは嫌よ。村からもっと離れた場所で、自由に生きてみたい」



 それに応えたのは陸王だ。



「んなこと言っても、結界に影響されるんじゃどこにも行けんだろう。俺と雷韋は通り抜けられるが、お前は二度あそこから逃げ出している。さっきも言ったように、三度目はない。諦めろ」



 にべもなく言い遣られて、花梨は悔しげに俯き、自分の服をぎゅっと握って口を閉ざした。それ以上、何も言う気配がない。


 陸王はそれを見遣って話はこれで終わりだという風に顔を上げたが、そこで雷韋が低く言葉を継いだ。



「もう一度、姉ちゃんを解呪してみる」



 雷韋からしてみれば村人を助けられないのなら、せめて花梨だけでもという気持ちがあるのだ。だからか、その声音には強い意志がこもっていた。


 だが。



「それは無理ではないでしょうか」



 否定したのはセレーヌだった。



「確かに雷韋の精霊魔法エレメントアで彼女にかけられていた呪いは消えました。わたくしも完全に解呪されたと感じたのです。それなのに残っていた。わたくしにも感じられないほど呪いは薄くなっている。これ以上の解呪はおそらく無理です。必ず体内のどこかに潜むでしょう」



 そう言うセレーヌを雷韋はじっと見た。

 信じられないという顔で。



「大地の精霊に出来ない事なんてない! 地震や疫病を起こすことだって出来るんだ。大地は光竜そのものなんだから。光竜の力を借りれば、解呪くらいいくらだって出来る!」

「では問いましょう。今の貴方に大地の精霊が完全に扱いきれますか?」

「それは……」



 瞬間、雷韋はたじろいだ。セレーヌの言葉の持つ意味があまりにも重かったからだ。



「貴方は彼女を解呪しました。わたくしもその様子を一部始終見ていました。ですが貴方は精霊を従えるので手一杯だった。わたくしにはそう見えましたが、違いますか?」



 鋭い言葉に反比例するように、セレーヌの声音は優しかった。まるで諭すような口振りなのだ。


 雷韋は、真っ直ぐ自分を見つめてくる精霊の視線から逃げるように目線を下げた。そのまま雷韋からの言葉もなくなったからか、セレーヌは続けた。



「水の精霊であるわたくしにも感じられないほど薄く呪いはかけられているのです。彼女を助けたければ、精霊王を散らすしか手はありません」

「ちょっと待て」



 陸王が面白くなさげに言葉を発した。その視線は雷韋を捉えている。



「俺は面倒事は好かん。これ以上首を突っ込むのは俺は御免だ。セレーヌの言うように完全に解呪出来ないのであれば、悪いが俺達には花梨は助けられん。そもそも助ける義理は端からねぇんだ。村の連中のことにしたってな。……雷韋、諦めろ。恨むなら、力の足りねぇ自分を恨むんだな」

「そんな。それは酷ぇよ、陸王。どうしてあんたはそんなに他人ひとに対して無関心でいられるんだ?」



 言葉だけでなく、理解しがたいとでも言いたげに、雷韋は非難を帯びた目を陸王に向けた。


 けれど陸王はそれを鼻で笑う。



「赤の他人だからだ」



 これもまた、にべもない言葉だった。どうでもいいと吐き捨てるような物言い。

 実際陸王は、己と雷韋以外には誰がどこでどうなろうがどうでもよかった。例え、死のうとどうなろうと。


 何故ならその相手は、自分達とは全く関わりがないからだ。そんな赤の他人が死のうが生きようがどうでもいい。陸王にとっては些末なことでしかなかった。


 それでも花梨に関してだけは、雷韋の願いがあったから助ける気にもなった。しかし、蓋を開けてみれば花梨は森を抜けられないと分かった。精霊王に支配されているからだ。そして、雷韋も楔を打っていない。陸王にはそれをどうこうする気はなかった。


 陸王はなんの関わりもない者に対して気持ちを入れることはない。今までもなかったことだ。これから先もないだろう。当然、今現在もない。くだらないことにかまけて、己を危機に晒す必要は全くないのだ。


 なんの得にもならないのだから、考えるだけ馬鹿らしいと思う。


 今この時も、結果の出ていることに対して更に時間を使うのを、陸王は無駄なことと考えていた。



「いいか、もう一度だけ言うぞ。花梨も村の連中も、この山も助けられん。諦めろ」

「嫌だ!!」



 即座に雷韋は切り返して、外へ続く光の中に飛び込んでいった。


 瞬間、陸王は唖然としたがすぐに我に返って舌打ちすると同時に、ふつふつと光が湧き上がる場所へ雷韋を追って飛び込んだ。


 身体がふわりと浮く感覚のあと、すぐに靴の裏に地面の感触を覚えた。そして薄闇の中に雷韋の背中を見つける。


 その雷韋はどんどん遠ざかっていった。

 走っているのだ。



「雷韋!」



 陸王は声を張り上げ、走りゆく少年のあとを追った。


 もう日が暮れる。あと幾許いくばくもないうちに辺りは闇に閉ざされるだろう。森が巨大な影を作って君臨する夜になるのだ。


 陸王は根源魔法マナティアの光の球をあらわして、少しずつ自分から距離を離していく雷韋を懸命に追った。


 雷韋の走って行く方角は、あの泉があった方向だ。森の中で広く開かれた空間を抜けたその先。


 徐々に雷韋の姿が薄闇の中で小さくなっていく。それと代わるように、辺りにアイオイの花びらが大量に散っているのに気づいた。


 下生えを覆うように、大量の花びらが散っているのだ。


 辺り一面が薄紫色に染まっている。だが、辺りの木々には花がついていない。一瞬、ここも精霊王とやらの結界かと思ったが、すぐに違うということに気付く。


 木々の枝に花が咲いていた痕跡があるのだ。けれどもそれらはすべからく散っている。


 まるで強烈な風雨にでも晒されたかのように。

 いや、実際に強烈な風に晒されたのだろう。


 セレーヌは言っていた。水と火がぶつかり合って、爆発が起こったのだと。


 木々に咲いていた花が、その時の爆風に晒されて散ってしまったのだ。


 爆心地からどのくらい離れているのかは分からないが、想像以上に大きな爆発だったのだろう。そのまま走って行くと、徐々に枝の折れた木々が目立ってきた。


 爆心地に近づけば近づくほど、木々の荒れようは酷かった。


 初めは小枝が折れた跡があるだけだったのに、途中からは太めの枝が折れて、そのまま垂れ下がっているようなものがあちこちにあった。更に進めば、木の幹自体が爆風のせいで折れていたりもする。


 かと思えば、根こそぎ倒れている状態にまでなった。木々が折り重なって倒れているのだ。爆風で根こそぎ倒れた木が風に流されて、ほかの木にぶつかって諸共倒れたものだろう。


 最早そこは、惨状と言っていい状態にまでなっていた。木々が打ち折れ倒れ、まともに走ることすら出来なくなる。

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