呪い、そして精霊王 八

          **********


 地面が微かに煌めいていた。ある一点を中心にして、まるで水が湧き上がるが如く光が波紋を描いている。


 そこがセレーヌの結界と外界を結ぶ入口だ。


 陽が傾きかけた中で、陸王りくおう雷韋らい精霊魔法エレメントアによって回復した花梨かりんの背中をぽんと押した。



「わ、私から?」

「怖いのか」



 陸王は至極真面目にそう言った。


 谷間たにあいに似た崖の間の空間には、早くも闇が滲み始めている。



「暗くなってくる中で、最後に一人残されるのは嫌だろう」

「それはそうだけど、でも本当にこの光の中に入ればあの洞窟の中なの?」

「あそこからここに出てきただろう」

「それはそうだけど、でもあの時は何がなんだかよく分からないうちにここにいたから」

「今度も同じだ。わけが分からんうちに洞窟の中に入ってる」



 陸王は、花梨の背中をもう一度強く押した。これ以上時間を無駄にするわけにはいかない。


 陸王に急に強く押されて、花梨は均衡を崩して蹈鞴たたらを踏んだ。


 一歩、二歩とふらついた花梨の姿が瞬間消える。

 結界内に入ったのだ。



「雷韋、次はお前だ」



 その言葉に促されて、雷韋も光の煌めく中に足を踏み入れた。すると、一瞬で雷韋も姿を消す。


 最後に残った陸王は、一度辺りを眺め回して異常がない事を確かめてから結界内に踏み込んだ。瞬きをする間もなく、身体が浮遊する感じを受けた瞬間、陸王の視界が闇に塗り潰される。外の明かりと洞窟内の明かりはまるで違った。


 一瞬、闇に塗り潰されたかと思った陸王だったが、すぐに辺りの景色に陰影がつき始めたのに気付いた。


 外の明かりとは違う、弱々しい光蘚ひかりごけの明かりの中に、水晶が煌めいて顔を覗かせる。


 そこはあの円筒形の狭い空間だった。


 陸王が目を慣らすように二度、三度と瞬きをしていると、足下の方で何かが動いた。目を向ければ花梨がへたり込んでいる。そしてその脇には、雷韋がしゃがみ込んでいた。



「大丈夫、血は出てない。蹴躓けつまずいて膝をぶつけただけだな」

「有り難う」



 二人の会話から、陸王に背中を押された花梨が、洞窟内に入った直後に転んだ事を知った。雷韋は次に入ったから、花梨が転んでいるのに気付いたのだろう。


 外から急に中に入った花梨には、ここが真っ暗に見えるのかも知れない。陸王もすぐには目が慣れなかったのだ。それくらい光蘚の明かりはささやかなものだった。


 けれど花梨の次に入ってきた雷韋の目は特別製だ。闇の中に星明かりがあるだけで闇夜を見通す猫目の持ち主だ。だから花梨が転んでいる事にはすぐに気付いた筈だ。今も花梨のぶつけた膝の状態を見ていたらしい。



「大丈夫か」



 花梨を突き飛ばしておいて言う台詞ではないが、陸王は何事もなかったかのようにそう声をかけた。



「大丈夫かって……!」



 花梨が声を荒げて足下で振り返った気配に、



「ちゃんとものは見えるか」



 まるで話を逸らすように、また何事もなく言う。



「まともに見えないわ。真っ暗よ」

「よく目をこらせ。ものの陰影が浮かんでくるはずだ」

「俺は目なんてこらさなくても普通に見えるけど?」



 雷韋が間に割り込んでくる。しかも脳天気に。



「お前はどうでもいい」



 何も考えていない風な雷韋の声に、陸王は嘆息と共に言い遣った。



「あ~、差別はよくないんだぁ」

うるせぇぞ、サルガキ」



 自然と陸王は渋面じゅうめんを作っていたが、雷韋がそれを見咎めて足を蹴ってくる。



「痛ぇな。何しやがる」

「あんたのその顔だよ。物凄く迷惑って顔」



 雷韋のぶすくれた声が返ってきたが、その騒ぎを聞きつけてか、人が走ってくるような足音が近付いてきた。そして薄闇の中に声が響く。



「皆さん!」



 その声はセレーヌのものだった。しかもその姿がはっきりと認識できる。頭から薄物を被った白き女は、自ら光を放つようにうっすらと姿が闇の中に浮かび上がっていた。今の周りの光量よりも、ずっと明るく彼女の姿が見える。それは不思議な現象だった。


 水晶の通路の向こうに現れたセレーヌは、三人の姿を見止めて駆け寄ってくる。



「一体、何故戻ったのです? もうすっかり山から下りたものとばかり」

「それがさぁ……」



 雷韋が立ち上がり、溜息交じりに首を振る。



「花梨姉ちゃんがどうしても森の中、抜けられないところがあって」



 それを聞いて、セレーヌは僅かに眉根を寄せた。かと思えば、小さく俯く。



「なんだよ、セレーヌ。そんな顔しちゃってさぁ」

「お前、何か知っているのか」



 雷韋に続けて陸王が言葉をかける。



「知っている事があるなら話せ」

「そう、ですね。解呪されたのだし、大丈夫かと思ったのですが。わたくしが甘かったようです」



 その言葉を耳にした陸王の黒い瞳が、闇の中で鋭くセレーヌを射貫いた。



「この山には精霊王の結界があるのです。どういうものか簡単に言えば、現実空間に混沌があるようなものです」



 それを聞いて驚きを露わにしたのは雷韋だった。



「まさか! だって、混沌がアルカレディアに存在するって、そんな馬鹿な事!」

「正確には似て非なるものですが、その気配は限りなく混沌に近いものです。全てがあり、全てがない状態が混沌。精霊王が現れた時、その気配が持ち込まれたのです」



 そこで雷韋は眉根を寄せて、僅かばかり押し黙った。そして呟く。



「……でも、そっか。混沌の気配が持ち込まれたから、だから精霊達の様子がおかしかったんだな。静かなのに、精霊の声が凄く聞こえにくかった。アイオイの花だってついてなかった」



 そう呟いていた雷韋だったが、ふとセレーヌに目を遣る。



「でもさ、セレーヌだってあそこを通り抜けただろ? 鹿の姿の時にさ。精霊なら影響があるんじゃないのか?」

「わたくしは人と同じような存在ですから、影響を受けずにすんだのです」

「じゃあ、花梨姉ちゃんがあそこを怖がったのはなんでだ? 人だぞ?」

「完全に解呪されていなかったと言うことでしょう」



 苦しげな言葉だった。



「そんな馬鹿な! 俺はちゃんと解呪した。今だって姉ちゃんから呪いの欠片かけらだって感じらんねぇよ」



 セレーヌもその言葉に何度も頷いた。



「分かります。わたくしにも彼女から呪いは感じられません。ですが、人の身体は難しい。細胞の中に一滴紛れ込んでいても、精霊王や混沌の気配に干渉されてしまう。人体は大部分が水分で出来ていますから、完全に解呪出来なかったとしても不思議はないのです」

「そんな。でも、俺は確かに……」



 一人呟くように、雷韋は口の中で言葉を紡いだ。



「ですが、結界が途切れている場所もあります。里からなら外へ出られます」

「村? 村になんて下りらんねぇよ。俺や陸王でさえ無理だ。絶対、誰かに見つかる」



 雷韋が言うのを横目に、陸王が口を開く。



「なら、これ以上、俺達に出来ることはねぇな」



 冷たく断言するように言った陸王の言葉を聞いて、雷韋が陸王を見上げる。



「ちょっと待てよ。俺は花梨姉ちゃんを助けたい。出来るなら、村の人達だって!」

「仕方なしに花梨を助けることにしたが、俺は村の連中のことまで言及したか? 知らんと言ったはずだ」

「じゃあ、姉ちゃんはどうするのさ!」

「ここに置いていくしかあるまい」

「そんなの酷ぇよ!」

「セレーヌに面倒を見させりゃいい。それにここにいたって、別に監禁されるわけじゃねぇんだ。外にはいつだって出られる。山を下りようと思わなけりゃ、十分自由だろうが。それに俺は花梨に言ったはずだ。三度目はねぇと」



 そう言う陸王に、雷韋は本気で噛み付いていった。



「そう言う問題じゃないだろ! セレーヌのほかに、人には会えない。自由つったって、毎日なんの刺激もない。姉ちゃんは精霊と心を通わせることだって出来ないんだぞ。それにこれが一番の問題だ。対はどうすんだよ! こんなところにいたら、いくら魂の条理があったって、誰も来てやくれない。狂死しちまうじゃんかよ」



 一気に捲し立てる雷韋をうざったそうに陸王は見た。



「んなもん俺が知るか。魂の条理が正常に働けば、対も現れるかも知れんだろう。ばらばらの場所と時に生まれても、対であるなら時間をかけても出会うと言うからな。そいつに縋るしかねぇ。実際、俺達もそうだっただろう。種族も違えば生まれた場所も違う」

「そりゃそうかも知んないけど、あんたの言い方は勝手だよ!」



 雷韋の必死な剣幕に些かも押されることなく、陸王は逆に押し返した。



「はっきり言うぞ、雷韋。本当なら、俺はこの娘のことだってどうだっていい。ただ、お前がこいつだけはと言うから助けてやろうかと思っただけだ。だが、結果として山からは下りられなかった。理由はどうあれな。障害があるんだ。そいつを俺がけてやる義理はない」



 言いながら、雷韋の額を指で突きまくる。

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