呪い、そして精霊王 五
「行くぞ。掴んでろ」
花梨はその言葉に素直に頷いて、陸王の手を取った。そうして三人は水晶の通路を進んでいく。
円筒形の場所にはすぐに出た。その中心で、地面から光が吹き出すようにちらついている。吹き出してはぱっと散って、散っては吹き出す。その様はまるで、地面が呼吸をしているかのようだった。
陸王は一つ大きく息を吐き出すと、花梨の手を強く掴んだ。
「行くぞ」
「う、うん」
花梨が頷くのを見届けてから、陸王は吹き出す光の中に踏み込んだ。
途端、足下から身体が浮くような浮遊感に襲われる。だがすぐに足の裏には地面の感触が蘇った。
陸王は辺りの景色を見るまでもなく、慌てて目を閉じる。
強い光に襲われて、反射的に目を瞑ったのだ。それでも肩には雷韋のいる感触、もう片方の手には花梨の手の感触がある。それだけで内心ほっとする。
強い光が瞼の内側にある目玉を焼く感覚が、今は堪らなく辛かった。これまでどのくらいあの
目を瞑っていても瞼を透過する光は、薄い瞼の中を縦横無尽に駆けている血管を真っ赤に知らしめてくる。
そうして少しの間目を瞑っていたが、ゆっくりと目を開いていった。手を繋いでいる花梨を見遣ると、彼女はまだ辛そうに固く瞼を閉じていた。
やはりいきなり陽の光の下に吐き出されて、陽光が眩しかったのだろう。
「大丈夫か」
ぶっきらぼうに花梨に声をかけると、少女は眩しそうにしながらも細く目を開ける。
「大丈夫。眩しかっただけ」
それに対して頷き、今度は雷韋に声をかけた。
「雷韋、お前はどうだ」
「俺はあんたが陰になってるからたいしたことない」
ぶすくれたように言って、雷韋は辺りをきょろきょろと見回しているようだった。
なんとか薄暗い闇の世界から外界に出て陽の光に目を慣らして辺りを見遣ると、そこは崖と崖の間のそれほど広くもない場所のようだった。左右に聳える壁面は、頂上がずっと空の方へと続いている。それから見ても、かなり高い崖のようだ。そこは山と山の間とでも言った方がいいような場所だった。
崖の合間から覗く太陽は、ほとんど真上に見える。太陽の位置から正午だと推定すると、随分と長い間結界の中にいたようだ。昨日泉に辿り着いたときには、真夜中を過ぎた頃だったはずだ。
陸王は花梨と繋いだ手を放して、雷韋を地面に降ろした。
「勝手な事するんじゃねぇぞ」
そう言い含めると、雷韋はふんと面白くなさげに鼻を鳴らした。
そんな雷韋の態度など放って、陸王は背後を見た。距離はそこそこあるものの、そちらは行き止まっているようだった。方角が分からないからなんとも言えないが、前方は森の中に続いている。背後が行き止まりなら、前方に進んで森に入るしかなかった。
そうして進むにつれて、森の方からアイオイの匂いが強くここまで漂ってくる。薄紫の花弁も風に乗ってひらひらと運ばれてきた。
陸王はその匂いと運ばれてくる花弁を目にして、よく分からない水と光蘚の世界から、やっともとの世界に戻ってきたのだと実感することが出来た。
現実感を噛み締めながら崖の
森にもその周辺にもおかしな気配はない。ただ草木がざわついているだけだ。人の気配も動物の気配もない。崖の陰から出てみたが、やはりおかしな気配は微塵もなかった。
そこで陸王は二人を手招く。
「雷韋。精霊におかしな気配はないか」
雷韋は陸王に問われて周囲を見渡した。その様子は不機嫌なままだ。
「ん。ここには特にない」
「ここにはって事は、何かほかにあるのか」
「ここ、あそこに近い。あの泉。水の精霊が狂った感じがある。昨日はなんにも感じなかったのに。やっぱ姉ちゃんを助けたからじゃねぇかな。感じる」
不機嫌に言う雷韋の言葉に陸王は瞬間考える風を見せたが、すぐに問いかけてきた。
「それはどっちだ」
「あっち」
答えて、雷韋はその場所へ腕ごと指を指した。その様はいたって乱暴だ。
「あっちはえっと、南西だ」
「なら、逆に行けばいいか」
そう言って、陸王は雷韋の機嫌になど構わぬように、少年が指差した逆の方向へ歩き出した。丁度、切り立つ岩壁を左に仰ぐ感じだ。
昨日は右に岩壁を仰ぐ形で森を進んできた為、夜と昼の違いはあれど、この辺りを通って来たのだろう。崖に切れ目がある事になど気付きもせずに。
歩き出した陸王のあとを花梨が追う。
だが雷韋は、素直にあとを追おうとしなかった。
「陸王、精霊の狂った気配がある! 俺、このまま放っておけないよ。村の人達にだってあんなものに関わらせちゃ駄目だ」
「そんなもん、俺の知った事か。行くぞ」
振り向きもせずに言葉だけをぞんざいに放り投げると、背後から雷韋の吐息が聞こえた気がした。が、陸王は雷韋を振り向こうとはしなかった。その代わりとばかりに、花梨に声をかける。
「お前、村から出たあとはどうするんだ」
「え? あ、うん。どうしていいのか分からないわ。でも、村にだけはいたくないの」
どこか心許ない返事ではあったが、陸王は「そう言う事もあるか」と頭のどこかで得心していた。
いられない場所、いたくない場所もあると。
「お前、贄に選ばれる前はどうしてた」
「伯父さんの家にいたわ。伯父さんの家の納屋の中で生活してた。外には出られなかったから」
「外に出られなかっただ?」
陸王は思わず自分より少し後ろを歩く花梨を振り返った。
陸王の言葉に頷く花梨からは、もう心許ない気配は消えていた。それどころか、眉をひそめて嫌悪を表す表情になっている。
「私、納屋から外に出たことがほとんどないの。出ても、納屋の周囲ね。それに物心ついた時には納屋に閉じ込められてひとりぼっちだった。伯母さんが一日に二回食事を運んでくれる以外は、いとこともあまり顔を合わせなかったわ。そして納屋で家畜と一緒に寝起きして、家畜の面倒をみせられてたの」
花梨の嫌悪の感情に触れて、陸王は
「なら、お前どうする気だ。何が出来る。それによってこの先の身の振り方も変わってくるぞ」
陸王は渋面のまま問うた。それに対して花梨は、悔しそうに唇を噛み締めてから答える。
「私が出来るのは家畜の世話くらいよ。それしか知らないもの」
「納屋の外にくらいしか出たことがねぇ。家畜の世話しか出来ねぇ。だが、もう村にはいたくねぇか」
何か考え込む風な陸王の声に、花梨は噛み付くように言った。
「痣が消えたって、みんなにとって私は贄よ。その為に十七年も生かされてきたんだもの。そう言われたわ!」
「どういうこった」
「五年ごとにその年、十七になる女の子が水神様に選ばれて腕に痣が浮くって。見たでしょう? 私の腕の痣」
花梨は眉をひそめたまま語り出した。
花梨の母は花梨を産んですぐに死んだが、花梨が十七の年に贄の儀式があることを伯父の樹大が気付いたのだ。ほかの家には、その年、女児は生まれなかったから丁度いい。だから彼女はその為だけに養育されてきたが、その間、本当に最低限のことしか教えられなかった。対もいない。そして、村の何もかも、母親についてさえ、贄の痣が現れたこの一月の間に知らされたのだ。しかも父親は村の者ではないと言うことまでも。半分、村の者ではないと言われたことで酷く動揺した。それだけで花梨は村中から嫌われてきたのだ。そんなことを贄として隔離されていた間に、一気に知らされた。
それに、ほとんど外に出ない生活をしていたせいで、村人との接点もまともにない。そんな村の為に犠牲になるのは嫌だと、花梨ははっきり言い切った。痣が消えたのなら、尚、嫌だと。
嫌悪を込めて、花梨は吐き捨てるように言った。自分が逃げたことで村は水の恵みを失うだろうが、そんなことは知ったことではないと。
それを見聞きして、陸王は長嘆息を零す。
「まぁいい。街に住むには市民権を取らなけりゃならんが、荘園か村にでも行けば何かの仕事にありつけるだろう。それまでは俺達と一緒に来い」
「いいの?」
花梨は闇夜の長旅の果てに、やっと灯火を見つけた旅人のように顔を輝かせた。
それに対して陸王は渋々という感じに頷き、
「それでいいな、雷韋。お前、この娘を助けたかったんだろうが」
まともに振り向きもせず、背後から黙々とついてきている雷韋の気配に声をかける。
雷韋からは特に声は返らなかったが、黙ってあとをついてきていることを
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