呪い、そして精霊王 四

 それを見て、雷韋らいは大きく息をつく。そして花梨かりんのもとまで行くと、彼女の手を握って地に片膝をついた。それから歌を唄うように音高く、音低く、精霊語エレメンスを唱える。


 雷韋が残った片手に印を刻んで大地につけると、すぐに淡い黄色の光が集まりだした。


 大地に手をつけたまま、片方の手では花梨の手をしっかりと握る。


 地につけた掌から、腕を伝って花梨の中に力が入り込んでいくのが見えた。同時に、黒い靄のようなものが少女の身体から立ち上り始める。


 これが穢れが可視化したもの、瘴気だ。大地の精霊力で、花梨の中から押し出されていっているのだ。


 そのかんも雷韋は薄く目を開けたまま、じっと地面を見詰めながら精霊の歌を唄い続ける。


 そのまま、じっとりとした時間が流れていった。とても長い時間だった。一刻いっとき(約二時間)ほども雷韋は精霊の歌を唄い続け、今では辛そうに目を閉じている。全身から汗も噴き出していた。


 こめかみから頬を伝って、顎からぽたぽたと汗の雫がいくつも地面に落ちていく。地につけた方の腕も汗にまみれて、汗の筋が幾筋も作られていた。


 そうなってもまだ花梨の呪いは解けないのか、雷韋は唄い続けるままだ。けれどその声音も、僅かずつ小さくなっていっているように感じられる。


 流石に限界か、と陸王りくおうが目処をつけようとしたとき、雷韋が大きく息を吸って吐き出す息に乗せて旋律を放った。


 するとそれが合図でもあったかのように、花梨の全身から真っ黒な煙が噴き上がった。


 と、同時に、雷韋がその場にくずおれてうずくまってしまう。



「雷韋!」



 陸王は矢も楯も堪らず、雷韋に走り寄った。


 辺りには瘴気が渦巻いていたが、陸王が雷韋を抱き上げるのとほぼ時を同じくして消え去った。はっと陸王が顔を上げると、霞のようなものが棚引いている。


 セレーヌが空気中に水を放って、呪いを解呪したのだろう。

 陸王は肩口で女を振り返ってから雷韋の顔を覗き込んだ。



「雷韋、大丈夫か?」



 雷韋はそれに対して力なく、へへ、と笑い、顔を上げた。



「ちょっと疲れたかな。大地の力は大きすぎて、操るのに苦労したから。でも、姉ちゃんの解呪は成功だ」



 言って、汗塗あせまみれの顔を花梨に向ける。


 陸王も花梨の方へ目を遣ったが、腕にあった痣は跡形もなく消え去っていた。


 そして、呪いが解かれたことによる為か、花梨が目を醒ます気配を見せた。瞼が何度か痙攣し、そのあと、ゆっくりと瞼が開かれていく。


 それに気付いて、雷韋が声をかける。



「姉ちゃん、気分はどうだ? 姉ちゃんにかかってた呪いは解呪したけど」



 その声音は僅かばかり不安な色を伴なっていたが、花梨はそれに気付く様子もなくぼんやりとした眼差しを雷韋に向けてくる。そしてそのまま、何かを思い出そうとする眼差しに変わり、宙を眺め始めた。


 暫く宙を眺めていたが、突然ばっと上体を起こした。それまで繋がれていた雷韋との手も振り払うように放す。



「私、私……。一体何があったの? ここ、どこ!?」



 恐慌状態に陥っている花梨の隣へ進み出たのはセレーヌだった。


 セレーヌはそっと花梨の肩に手を置き、



「大丈夫。何も心配することはありません。ここはわたくしの結界の中。それに貴女はもう贄ではありません」



 そう言ってセレーヌは花梨の腕を示した。



 花梨はそれに促されて腕を見たが、痣がなくなっていることに気付いて、それでもまだ不安を押し隠しきれない様子でいた。



「痣が消えてる。どうして……」

「そこの少年がじゅを解いてくれたのです。貴方はもう、贄ではありません」

「えっと……、雷韋、が? 私、もう贄じゃないの? 本当に?」



 覚束ない口調で雷韋の名を口にして問う花梨に対して、セレーヌは頷いて返す。花梨は雷韋にも目を遣ったが、小さな精霊使いは疲れを見せながらも、にっこりと笑って返してくれた。



「じゃあ、私はもう自由なの? 贄じゃないなら、もう堂々としててもいいの?」

「里に戻りますか?」



 セレーヌが問うと、花梨は大きく首を振った。



「村に戻る事なんてできないわ。また私を贄にするかも知れないもの。あんな村のことなんて知らない! 水神様の加護を失って、みんな死んじゃえばいいのよ!!」



 花梨の境遇を考えれば、それは当然の帰結と言える言葉だった。


 けれど、陸王達は詳しいことは何も知らない。セレーヌは知っているのかも知れないが。その証拠に、セレーヌが辛そうな顔をしているのを陸王は見た。


 反して雷韋は花梨の言葉に耳を傾け、陸王を仰いだ。



「なぁ、陸王。花梨姉ちゃんを逃がしてやろうぜ。そんでそのあと、俺は精霊王をなんとかしたい。姉ちゃんは知らないって言ってるけど、村の連中を放っておくことは出来ないし、精霊王はなんとかしなきゃいけないと思う。駄目か?」



 その雷韋の言葉に陸王は眉根を寄せる。



「いいか、雷韋。これだけは言っておく。お前は利用されようとしているんだ。そこの女、セレーヌとか言ったか。こいつはお前が精霊使いエレメンタラーだから俺達の前に姿を現したんだ。あの鹿はこの女の変わり身だ。そしてここまでお前を連れきた。その事実だけは忘れるな」

「え?」



 雷韋は言われた言葉に驚きを隠せなかった。抱き起こされたままの恰好で、雷韋はセレーヌに目を遣る。


 セレーヌは雷韋の目を見詰めたあと、頭を一度下げた。



「お願いします。わたくしはこの地を正常に戻したい。ここは本来、私の管轄地です」



 だから山の中腹に住んでいる里の人間達も助けたいと。呪いを身に受けて、瘴気を溜めてしまった皆をなんとかする為には、セレーヌの力では弱すぎること、そして、その根本は精霊王にあることだと語った。精霊王さえ散らしてしまえば、皆助かるのだと。



「貴方がこの地へ来てくれたのは、光竜がわたくしの願いを聞き届けてくださったのだと思っています」



 雷韋はセレーヌの言葉に小さく頷いた。それから陸王を見遣る。



「さっきも言ったけど、俺も精霊使いとして役割を全うしたい。精霊が狂ってるのは世界の流れからしてみたら物凄く大変なことなんだよ。あんたが一緒にいてくれれば俺は死なない。だって、対を遺して死ねっこないもんな。それにさ、あんたが俺の立場なら、みんなを見捨てるか? 花梨姉ちゃんだけを助けて、それでおしまいにするか? 俺は精霊使いとして、やれることは全部やりたい。精霊からこうしてお願いまでされてるんだぜ? あんたならそれをほっとくのかよ」



 陸王は雷韋の言葉を受けて、ついっとセレーヌへ黒い瞳を向けた。その瞳には蔑む色がありありとあった。



「俺がお前の立場なら、放っておく。村の一員を自分達の勝手で贄に差し出すような連中を助ける義理はねぇ。村の連中がどうなろうが知った事か。精霊が狂ってるのが尋常じゃねぇって事は理解するが、俺達にはなんの関わりもねぇ事だ。面倒事に付き合って、手前ぇの生命を捨てる気はねぇからな」

「陸王! それは侍としての考え方だ。精霊使いとして考えてくれよ。世界の声が聞こえる者としてさぁ!」



 陸王はセレーヌから視線を引き剥がして、強く雷韋を睨み据える。



「世界の声なんざ知った事か。いいか、さっきも言ったようにお前は俺の生命の綱だ。勝手な事をされるわけにはいかねぇんだよ。お前が動くって事は、俺の生命も同じようにかかってくるって事だからな。お前にもしもの事があって、俺まで芋蔓式に殺されちゃ堪ったもんじゃねぇ。俺が面倒を見るのはそこの娘だけだ」



 吐き捨てるようにそう言うと、雷韋をひょいっと肩に担ぎ上げてそのまま立ち上がった。



「セレーヌ、この結界と外の世界を繋ぐ道がある筈だな。どこだ」

「陸王! 何すんだよ、下ろせよ!」



 雷韋はじたばたと足掻き、陸王の背中を力一杯叩くが、彼は全く痛痒を感じていないようだった。罵声を浴びせられても、陸王が気にする様子もない。ただセレーヌを促そうとするだけだ。


 その様子に彼女も諦めを感じたのだろう。「案内します」と言って、先に立った。


 それを見て取って、陸王が花梨に声をかける。



「お前は村には戻れねぇな。戻るつもりもないらしい。ついて来い。外の世界に連れて行ってやる」



 一瞬、花梨はぽかんとした顔を見せたが、慌てて水の寝台から下りると、セレーヌのあとに続く陸王を追った。


 セレーヌの案内で雷韋を担いだ陸王と花梨が向かった先は、水晶が連なる通路だった。その先に狭くはあるが、円筒形の空間が見える。


 どうやらそこが結界内と外界を繋ぐ場所らしい。


 その全ては光蘚ひかりごけの光に照らし出されている。水晶が密集するどこにもそこにも、光蘚は僅かな隙間に生えていた。それが水晶の根元からちらちら散って、まるでそこかしこの水晶そのものが発光しているように見える。



「この先の、あの円筒形の中心が外と繋がる場所です」



 セレーヌは落胆を禁じ得ない声で言った。


 陸王の肩に担ぎ上げられている雷韋はもう暴れるでもなくなっていたが、セレーヌを思い詰めたように見詰めている。


 雷韋としては諦めきれないのだろう。それでも、対極である陸王がこうまでして強行することだ。対であれば逆らいようがなかった。

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