奪われた贄 四

 広場から離れて森の中へ入って少ししたところで、木々の向こうに明かりが煌々と見えた。


 それは人がいる証だ。おそらくは松明の明かりだろう。それも二本や三本ではない。十数本の松明が一カ所にひしめいている感じだ。


 その明かりを目印にして雷韋らいの先導に従い、陸王りくおうは下生えの中に身を屈めて進んでいった。雷韋もそうしている。


 明かりに近付くごとに大勢だろう男達のざわめきが聞こえてきた。中には声を荒げているものもあった。


 そうして木々の切れ目まで来たとき、またその向こうは開けていた。だが、丈の高い雑草は茂っていない。剥き出しの土の地面だ。片側には背の高い崖。その麓には広い泉があり、石柱が立っていた。


 その石柱に、まさに今、少女が縛り付けられている最中だった。


 数人の男達の怒声の合間から、少女のくぐもった細い悲鳴が漏れ聞こえてくる。


 男達が身につけている衣装は見たこともない織物で、それだけでも独特の雰囲気を醸し出しているというのに、たった一人の少女を石柱に縛り付けるなどという常軌を逸した行為に及んでいれば、余計な異常さをも引き出しているようだった。


 そんな異様な行為を目にして、陸王は低く抑えた声で雷韋に話し掛けた。



「おかしな連中ってのはあいつらだな?」

「ほかに誰がいるよ。つっても、俺が見たときには松明を持った男達だけだった。石柱に縛り付けられてる姉ちゃんは見なかったよ」

「なら、お前が見たってのは先鋒だったわけだ」

「なのかも」



 二人は短い会話を終えて、暫く様子を見守った。


 崖に沿って半円を描く泉の周りに男達が集まり、少女の正面には老人が立った。そして何をするのかと思えば、水神に贄を差し出すと宣言するように大声で言い遣るのが風に乗って聞こえてきた。


 どうやら思っていた事態より、事は穏やかではないようだ。雷韋をちらと見ると、顔色を変えて激しい怒りの色が窺える。呼気こきも荒ぶっていた。



「雷韋、抑えろよ」



 言って、その細い肩に手を置く。



「こんなの、こんなの間違ってる!」



 呻くように雷韋は言った。その声は震えている。



「だが、今出て行くのは得策じゃねぇ。何をするにしても、連中が帰ってからだな」

「分かってる。けど、酷ぇよ。水神ってなんだよ」

「んな事、俺だって知るかよ」



 陸王は飽くまでもつまらなげだった。こんな面倒事が雷韋の目の前で行われては、止めることも出来ない。陸王としては、このまま見て見ぬ振りをしたいくらいなのに。これは完全に厄介事だ。下手に首を突っ込まない方がいい。


 けれど、雷韋にとっては違う。『贄』というくらいだ。魔物か何かが村の水源でも押さえているのだろう。水は生き物にとって、なくてはならないものだ。水分を取らなければ、人でも四、五日で確実に死ぬ。水はどんな生き物にとっても生命の源なのだ。魔物が水を押さえて村を支配しているのなら、村は簡単に贄を出そうものだ。


 村人全員の生命と贄一人の生命、どちらかを取るとなれば答えは容易に出る。


 今にも飛び出していきそうな雷韋を抑えて、陸王は男達の様子を見ていた。老人の宣言後、彼らは泉から離れて、荷車のようなものを中心にしてぞろぞろと立ち去っていく。


 残る者は一人もいないようだ。


 最後尾に当たった男が松明を少女の方へ掲げて様子を窺ったのを機に、その男もまた立ち去っていった。


 松明のあかりがなくなった泉周りは、あっという間に暗くなる。そして静かになる。



「陸王、もういいだろ。手ぇ放せよ」

「お前、あの娘を助けに行くつもりなのか」



 至極真面目に陸王は言った。



「は?」



 陸王の言葉があまりにも意外だったのか、雷韋は呆気にとられた顔になる。



「何言ってんだ、陸王。助けるに決まってんだろ? だって、贄とかなんとか言ってたから、あの姉ちゃん放っておいたら魔物かなんか出てくるんじゃないのか? 水神がどうのって言ってたし」

「雷韋、よく考えろ。贄を出したって事は、村の存続がかかってるってこった。それに俺達は余所者だ。村の慣習を変えてまであの娘を助ける義理はねぇんだ。娘が喰われようが何しようが、俺達は痛くも痒くもねぇ。こいつは俺達には関係のねぇ事なんだ」



 陸王は言い聞かせるように言ったが、その言い様に雷韋は信じられないものを見たという顔をする。



「あんた、最低だな」



 吐き捨てるように雷韋は言い遣った。が、陸王は何食わぬ顔で返す。



「最低でもなんでもいい。もう行くぞ」



 そう言って立ち上がり、屈んだままの雷韋の手を引こうとしたが、その手を撥ね除けられた。



「俺はそんな最低な奴にはならない!」



 悲鳴にも似た声音で言って、雷韋が下生えの中から泉に向かって飛び出した。



「雷韋! ……あのクソガキ」



 最後の言葉は苦々しいものだった。


          **********


 雷韋は一気に泉へと駆けた。その足音が聞こえたのか、娘──花梨かりんは俯けていた顔をはっと上げる。


 月の明かりの中でも、花梨の頬を伝っていく涙がはっきりと見えた。



「姉ちゃん! 大丈夫か? 今助けてやるからな」



 走った勢いのまま、雷韋は泉の中に飛び込んでいった。そして水飛沫を上げながら走ったが、途中で「うわっ!」と声を上げて慌てて後退あとじさりした。入ってきたときの逆を演ずるように、「うわ、うわ、うわ!」っと声を上げながら、何かをけるように泉の外へと出て腰を抜かしたようにその場に尻餅をつく。


 その滑稽でもあり、異様でもある雷韋の様子に、陸王は駆け寄った。



「どうした、雷韋」



 言う陸王の傍らには再び光の玉が浮遊している。言霊封ことだまふうじで再びあらわしたのだ。


 尻餅をついてへたり込んでしまった雷韋の両足が、がくがくと震えている。



「足に何かあったのか? 蛭でもいたか?」



 陸王が雷韋の膝に手を当てると、



「水が変なんだ。汚染されてる」



 大きく息を継ぎながら雷韋が答えた。



「汚染?」



 それに対して、雷韋は強く何度も頷いてみせた。


 陸王は泉の中を覗き込んだが、水の状態は至って綺麗だ。泉の中には苔が生えている気配もなければ、水草一本すらない。明度も高く、底まで見渡せた。



「汚染されてるってな、どういうこった」



 泉を覗き込みながらの陸王の言葉。



「水の精霊が悪意を持って歪んでるんだ。こんなの普通じゃない。呪いみたいなもんだよ」



 雷韋は身体をぶるっと震わせて、地面に手をついて精霊語エレメンスを唱えだした。靴の中に入った水や足に触れた水の影響を、地の精霊の力で浄化しようというのだろう。


 大地は癒やしの力だけでなく、解呪の力も備えている。癒やしの延長線のようなものとでも言えばいいか。


 大地の力は循環だ。生と死、再生と破壊を司っている。その循環の力で怪我を癒やしたり、解毒をしたり、解呪したりと大地の精霊力が様々に働くのだ。違う使い方をすれば、逆に人々を病にすることさえ出来る。


 そして、雷韋の精霊魔法エレメントアのほとんどが言霊封じで行使出来るが、今の彼には大地の精霊力は大きすぎて、言霊封じに昇華出来ていなかった。


 雷韋が精霊魔法を使っている間、陸王は花梨をじっと見詰めた。花梨は花梨で、自分を救ってくれそうな陸王と雷韋とを見詰めながら、猿轡でくぐもった悲鳴を必死に上げている。


 陸王も流石にここまで来て、花梨を助けないと言う事は出来なかった。仕方なさげに腰を上げる。



「雷韋、解呪は任せたぞ。俺はあの娘を助け出してくる」



 しかしそこで、雷韋の待ったがかかった。



「陸王、おかしい。地の精霊が集まってくんねぇ」

「あ?」

「正確に言うと、集まりはするけどすぐに散っちまうんだ。これじゃ解呪なんて無理だ」

「呪いってのは、要するになんだ。この泉の中に入ったらどうなる」



 陸王の言葉に、雷韋は眉根を寄せて暗い顔をする。



「身体が穢される。それでどんな影響が出るか分かんねぇ」

「だが、男達はあの娘を石柱に縛り付けるときに入って行っていただろう。連中にも何か起こるのか? あの娘だって、今は何も変わったところは見えねぇぞ」

「それは……分かんねぇよ。兎に角、よくないんだ。水は汚染されてて、絶対によくない」



 それを聞いて、陸王は長嘆息したかと思うと、最早、問答無用で泉の中に入っていった。



「陸王!」



 雷韋が叫ぶも陸王は聞く耳を持たなかった。



「んなこと言っても、お前は助ける気満々だったんだろうが。それともこのまま放置するか?」



 陸王は肩越しに雷韋を睨み付ける。



「そりゃ、助けたい、けど」



 尻窄みになっていく声を無視して、花梨の前に立った。


 そして花梨は陸王を目の前にして、泣き腫らした真っ赤な目を見開き、断続的に鼻にかかった呻き声を上げる。呻きが鼻にかかっているのは泣いているせいだろう。

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