第三章
奪われた贄 一
村の男達は松明を手にして村の中心にある広場へと集まっていた。ざわざわと落ち着かない雰囲気だ。どこか皆、神経をぴりぴりとさせている。
そこには十人ほどの男達がいたが、更に二人の男が走ってきた。
「
三十半ばの男が誰にともなく問うと、五十がらみの男が答えた。
「道を見に行っている連中からはまだ連絡が来ていない」
そこへ一人の男が駆けてきた。
「おい、道が開いたぞ!」
「何? 本当か」
「樹大達を急かさなきゃならんな」
「よし、洞窟に行ってみよう」
「誰かここに残って、村長が来たら洞窟にいるから来てくれと伝えてくれ」
男達はそれぞれを口にして、花梨が監禁されている洞窟へと向かった。
**********
村外れの崖の一角には荷車が用意されて、そこにも松明を持った複数の男達が立っている。そのすぐ脇には洞穴がぽっかりと口を開いて、暗い穴を晒していた。
荷車のところにいる男達に「道が開けた」と伝えると、中の一人が洞窟の中に入っていく。
洞窟の奥からは僅かに光が漏れている。奥の方で何やら悶着があるようで、何事か言い争っている声が聞こえてきたが、それもやがて静まった。
そうして洞窟の奥から現れたのは、粗末な木の檻に入れられた
花梨だ。
だが檻を運び出してきた男達は、そんなものは目にも耳にも入らないという風に、粛々と檻を荷車に押し込む。
檻ごと花梨を押し込めて、樹大が辺りの男達に問いかけた。
「村長は?」
「今頃はきっとこっちに向かってる筈だ。少し待ってみよう」
その言葉に樹大は頷き、村長がやってくるのを待つ事にした。
待つ事暫し。十分ほどした頃、二人の男に付き添われて村長がやってきた。
「待たせたかな? 道が開いたと聞いたが、花梨の方はどうだ」
それに対して樹大は嫌な風に笑みを作って言う。
「さっきまで助けてくれと喚いていましたが、猿轡をして黙らせました。今は檻の中で大人しくしてますよ。もっとも騒ぎたくても騒げないし、動きたくても動けやしませんが」
「そうか。可哀想な事だが、村の掟には従って貰わねばならんからな」
「何が可哀想なもんですか。どこの馬の骨とも分からん男の子供なんて」
その樹大の言葉は、反吐でも吐きそうな言い口だった。
「その事も俺は可哀想だと思っているよ。父の顔も母の顔も知らずに育ってきたのだからな。その上、この扱いだ」
村長は目を伏せて、溜息交じりに言った。
「ですが村長。今年はあいつの腕に痣が現れた。思った通りにね。選ばれた以上、仕方のない事でしょう。まさに親の因果が子に報うってね。第一、逆らうなんてできゃしない。もし逆らいでもすれば、この村は終わりだ。それはお分かりでしょう」
「分かっている。ただ、五年ごとに犠牲になる娘の事を思うと不憫でならなくてな」
「だが今年は何も気兼ねはない。身寄りなんていないも同然なんですから。対すらいないんですよ」
その言葉に村長は不機嫌そうな目を向けた。
「それでもお前の姪だろう」
「関係ありませんやね」
鼻先で笑い飛ばす樹大にきつい眼差しを向けたが、村長は仕方なげに荷車を先導して歩き出した。
檻の中では花梨が手足を縛られ、猿轡を噛まされた状態で嗚咽を漏らしていた。これから起こる事に自然、身体も震えてくる。
大切なのは、五年ごとに行われる儀式の事だけだ。村でのつまはじき者である花梨に同情を寄せるのは、村長一人だけだった。けれどそんな村長も、儀式をやめようなどと言わない。
これは村にとって必要な事なのだ。
荷車はそのまま村外れの洞窟から、今度は林の中に入った。下生えが丈高く茂っている途中から、突然に道が開けた。村人全員の手で草毟りでもしたかのように綺麗に雑草がなくなり、土が剥き出しになって、その先に緩やかな坂が続いているのだ。
坂は蛇行して林の奥、森の奥の山を登っている。
緩やかな坂道だったが、騾馬が荷車を牽き、数人がかりで後ろから押して道を登っていった。がたがたと車輪が土を噛んで、大きく荷車が揺れる。
その荷台の上で、檻に入れられたまま花梨は固く目を瞑った。猿轡をしていてさえ歯の根が合わずに
少しずつ山道は険しくなり、勾配も急になっていく。道の状態も悪く、途中で何度か立ち往生してしまう有様だった。それでも無理矢理に荷車を引き、後ろから押して山道を登っていく。
小一時間ほどしてから、広く平坦な場所に出た。そこでは水音が小さく響いている。
花梨はその音に、恐怖に目を見開いて辺りを窺った。見れば、荷車の周りを松明の明かりがぐるりと囲んでいるのだ。そして、伯父の樹大が檻を開けようとしていた。花梨は寝そべったままじりじりと
しかし、そんな花梨のささやかな抵抗などなんの役にも立たなかった。すぐに樹大を初めとする村の男達に引き摺り出されたからだ。
花梨からくぐもった悲鳴が上がるが、誰も気にしない。それどころか怒鳴りつけられる。
後ろ手に縛られた手の縛めはそのままだったが、足の縛めは解かれた。両側から腕を掴まれて、そこから歩けという事らしい。
花梨は、静かに水音のする方向へと歩かされた。
その先に待っているのは死だというのに、強引に歩かされるのだ。いや、それは力尽くで引き摺られていると言った方がいい。
水音のする場所は、大きな半円を描く泉だった。泉の向こうには岩壁があり、そこからさらさらと水の流れる音がする。
その泉の中央に石柱が
だが男達は、そんな事には少しもかかずらわなかった。花梨を石柱にしっかりと括り付けたのを確認すると、泉の中から出て行ってしまう。
そして村長が宣言するように言うのだ。
「水神様、再び五年の歳月が流れました。今年、貴方のお求めになった娘はこれにあります。贄をお受け取りになって、どうか我々に水の恵みをお与えください」
村長はそれだけを見えない誰かに告げると、村の男達を率いて再び山道へと戻って行ってしまう。暫くがたがたと車輪の音が響いていたが、それもやがて聞こえなくなってしまった。
辺りから人の気配が完全に失せ、闇の中は静寂に包まれて、花梨の嗚咽だけが水音に混じって響く。
花梨は嗚咽を漏らしながら、自分の運命を呪った。父の顔も母の顔も知らず、幼い頃から冷淡な伯父、伯母の仕打ちに耐えて生きてきた。いとこ達も花梨を小馬鹿にしていた。彼らの目はあからさまに厄介者を見る目だった。家での仕事も人の何倍もさせられ、それを知っている筈の村の者は誰も花梨に同情しようとはしなかった。優しく手を差し伸べてくれる者など一人もいなかったのだ。
その果てに贄に選ばれた。
水神が自分を選んだのだ。
自分が一体何をしたというのだろう。冷淡な伯父と伯母の言うとおり仕事をしてきた。誰にも迷惑などかけた覚えはない。それどころか、遊んだ記憶すらなかった。だと言うのに最後の仕打ちがこれだ。
五年ごとに行われる贄の儀式。
花梨はその為の贄。
この村はそうしてこれまで存続してきた。何百年も五年ごとに、その年に十七になる娘を一人、水神に差し出して水源を確保してきたのだ。
それは今では村の暗黙の了解──いや、制度になっていた。
花梨には運がなかった。この年、十七になる娘は花梨しかいなかったからだ。だからどうしたって選ばれるのは彼女だった。
贄がどうなるのか、それははっきり知らない。教えられていない。けれど、『贄』と言うくらいだ。死ぬのだろう。
一体どんな風に?
どうやって?
そんな事が頭の中を巡る。
どうせ死ぬというなら、何も分からないままに生命を奪って欲しかった。苦しい思いも、痛い思いもしたくない。
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