導きの獣 四
あまりにも唐突なことで、
「いってぇ~」
その声に引かれるように陸王は歩みを進めたが、そこで突然足下が崩れていることに気付いた。
「な……っ」
踏み出した足下が崩れる感触がして、陸王は慌てて足を引く。
と、その下に雷韋が尻餅をついた恰好で
よくよく見れば、地面は切れ目が分からないほどの巧みさで段差を作っていたのだ。そしてそこに雷韋が落ちた。
その様を見て、陸王は深い深い溜息をついた。呆れたように眉根を寄せ、頭を掻きながら雷韋に声をかける。
「何してやがる」
「何してるって、見て分かんないか? 落ちたんだよ。ケツ思いっきりぶった」
唇を尖らせながら、雷韋はぶっきらぼうに答えると尻をさすりながら立ち上がる。そんな雷韋に陸王も言葉を返した。
「だから足下に気を付けろと言っただろうが」
「んな事言ったって……。精霊の声がちゃんと普通に聞こえてたら、こんな事になってなかったよ」
「なら、精霊の声が聞こえていたら段差にも気付いたってのか?」
「まぁな」
小さな崖と言っていい段差の下から、雷韋が陸王を見上げてくる。
「お前は……。普段、どれだけ精霊に頼ってるってんだ」
「だって、こんなに綺麗に足下がなくなってるようには見えなかったんだもんさぁ。これくらいの障害があるんだったら、俺が気付かなくても精霊が教えてくれてたんだよ。俺だって目で確認はしてたけど、見た目じゃ全く分かんなかったんだからしょうがないだろ。大体、こういう時の為の精霊の声じゃんか」
「確かに綺麗に足場がなくなっているからな。だが、俺だったらお前のようなドジは踏まんぞ。俺には精霊の声なんざ聞こえんのだから、自分の目に頼る」
言いつつ、身軽に段差を降りた。
それを聞いて、雷韋はぷっくりと頬を膨らませる。まさしく面白くないという顔だ。
「そら、そんな顔してねぇで、行くぞ」
陸王は雷韋の頭を軽く叩いて、先を促した。すると背後から「ちぇっ」と小さく舌打ちする音が聞こえて、それから隣に雷韋が並ぶ気配があった。だが陸王は構わず、低い下生えを掻き分けて進むのみだ。
と、隣を歩く雷韋から声がかかる。
「なぁ、陸王さぁ」
「なんだ」
「なんか自信満々で歩いてるけど、どこか
その言葉に陸王は
「行く宛てなんざ知るか。行き先が分からんなら、兎に角移動するしかあるまい。ぼけっと突っ立ってても何が変わるわけでもないんだ。お前もさっきは同じようなことを言っていただろうが」
「あ~……、そだな」
その声音には、半ばの落胆と半ばの納得が同居している。
雷韋の肩ががっくりと落ちているのは容易に想像がついたが、今は少年を励ます気にはなれなかった。こんなおかしな場所まで来てしまったのだ。陸王には精霊の事など詳しく分からないが、素人目にもおかしいのだからその原因を知りたかった。
それはおそらく雷韋も同じだろうと思う。
雷韋は精霊使いだ。しかも全ての精霊と契約している、見目にそぐわぬ異能を持つ少年なのだ。
「雷韋」
「ん?」
「お前、気にならんのか?」
「え? ……あ~」
最初はきょとんとした顔をしていたが、合点がいったのか嘆息を一つついた。
「気にはなってるよ。なんてぇのか、ここら辺って、不安定だからさ」
「不安定? どういうことだ」
陸王は意外な言葉に歩みを止めることなく、雷韋をまじまじと見た。
「何かに邪魔されてるように、精霊の声が聞こえにくいし。不安定としか言えないよ。でも鹿のことも気になる。俺はどっちを優先したらいいんだろう」
「知るか」
呆れて乱暴に答えると、雷韋は考えるように小首を傾げた。
「案外ここがこんなんだから、俺達を連れてきたのかも知んないなぁ」
陸王がそれに対して何も言わずにいると、雷韋は続けた。
「だからさ、どこにもアイオイの花どころか蕾みもついてない。その原因を取り除いて欲しいとかさ」
「何がだ」
「え? あぁ、あの鹿がさ」
雷韋は一方的な説明になっていたことに気付いて、
つまり、例の鹿が精霊使いである雷韋を呼んでいたのではないか、と言うことだ。この山そのものに、根本的な異変があるのかどうかは分からないが、原因を取り除いてくれと言っているのではないかと雷韋は言う。
「あの鹿も俺が精霊使いだって分かったんだ。だからここに連れてきた。姿を消した理由は分かんねぇけど、助けを求めてきたんじゃないかってさ」
その時、雷韋はしっかりと陸王を見詰めていた。だから陸王も足を止めて、雷韋の真剣な深い琥珀の瞳を見詰め返した。
雷韋の自信ありげな様子に、陸王は暫し黙って黒い瞳を向けていたが、やがて逸らした。
別に雷韋に気圧されたわけではない。
雷韋は陸王と出会うまでの間、一人前の精霊使いとして堂々と世を渡ってきた。雷韋には雷韋なりの経験があるのだ。そこから導かれた答えに陸王としても、完全ではないにせよ、納得する部分もある。
いつもは子供然としている雷韋だが、いざと言う時の判断は出来る。そこが一人前なのだと思わせるのだ。
だから陸王も言った。
「なら、行くぞ。どこに隠れてるのかは分からんが、あいつがお前を誘い出したって事は、いずれ姿を現すって事だろう。俺もこんな山の状態を見せられたんじゃ、気にはなるしな」
「ん」
雷韋もしっかり頷いて返した。
そうして再び歩き出し、森を真っ直ぐに進んでいく。そのまま進んで暫くすると、やがてどん詰まりに陥った。
木々の間からも見えるほどの高い断崖絶壁が聳え立っていたのだ。それが光から外れた暗闇の向こう左右にずっと続いているようだった。
「まさかここを登れってわけじゃねぇだろうな」
切り立つ岩壁を見上げて陸王が言った時、近くで物音がした。藪を掻き分けるような音だ。
音がした方へ陸王と雷韋が揃って顔を向けると、そこにはあの白い鹿がぽつりと立っていた。
「あっ」
雷韋が思わずと言った風に声を上げると、鹿は飛び跳ねるようにその場から走り去ってしまう。
陸王と雷韋は言葉を交わすでもなく、当たり前のようにそのあとを追って走った。見失って、また闇雲に歩き回るのはごめんだからだ。
そうして追っていくと、やはり鹿は一定の距離を保って二人を案内しているようだった。駆けては振り向き、また駆けては振り返るのを繰り返して。
全速力で走っていっても、鹿の姿は一定間隔を空けたままだ。駆けていく鹿の足に追いつこうとするのは無理だ。所詮、脚力が違うのだから。
途中から息を乱し始めると、不思議と鹿は息を継ぐ間を与えてくれた。それでも二人は尚走った。鹿がどこまで彼らを案内するのか知れないが、陸王の中にも雷韋の中にも負けん気があったからだ。
簡単にくたばって堪るか、と。
木々を追い越し、藪を掻き分けて崖を右に見ながら走りに走った。
春の夜風は冷たかったが、二人の身体は燃えるように熱く、汗が全身の毛穴から噴き出していた。走る拍子に、顎から汗の雫が音もなく魔法の明かりに照らされて散っていく。辺りの藪の葉に、汗の粒がぱたっと落ちることもあった。
「あの野郎、どこまで行きやがる気だ」
陸王は走りながら面白くもない声を上げ、脇に茂る葉を駆け抜け様に平手で殴った。その音が後方に、暗闇と共に流れていく。
「陸王、余計な体力使うなよ」
雷韋が息切れと共に、ようようと言った
と、また雷韋の姿が陸王の視界から忽然と消え去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます