導きの獣 二

 陸王りくおうはこのまま仮眠を取るつもりだった。野宿の時はいつもそうしている。


 山の夜は獣や魔物の時間だ。いつ何がやって来るとも限らない。特にこんな廃墟では尚のことだ。だからこそ陸王が見張りに立つのだ。雷韋らいに夜番をさせると必ず眠ってしまう。しかもなかなか起きないからたちが悪い。


 それはあの白鹿がやって来た時にも証明されている。

 だが、元々雷韋が寝汚いぎたないわけではない。


 それは彼らが『つい』だからだ。


 この世に生きとし生ける物は、必ず一対になっている。


 魂が全て『陰』と『陽』に別れているのだ。


 陰の中に僅かに陽が混じっている魂を『少陽しょうよう』と言い、陽の中に僅かに陰が混じっている魂を『少陰しょういん』という。そしてそれを『きょく』と言い、対になった極は太極を作る事から総じて『太極魂たいきょくこん』とも呼ばれる。


 けれど、誰しもが同じ比率で陰と陽を持っているわけではない。必ず違う。そこには法則があるのだ。


 同じ比率で正反対の陰陽を持つ者が『惹かれ合い』、対となる。


 通常、対となる陰と陽は同じ種族に生まれ落ちる。そして惹かれ合って、大概は『つがい』になる。それは兄弟姉妹でも関係ない。近親婚は珍しい事ではないのだ。


 ただし人間族に限って言えば、陰は女に宿りやすく、陽は男に宿りやすいと言われている。


 しかし寿命の長い獣の眷属には関係ない。男女はもとより、男と男、女と女でも対に生まれ落ち、番になる事も多かった。


 何故なら、長寿だからだ。


 儚い寿命の人間族なら種族を絶やさない為に子孫を繁栄させなければならないが、寿命の長い獣の眷属が人間族と同じように次々繁栄していけば世界の均衡を崩してしまう。だから同性の番は多いし、繁殖能力も人間と比べれば低かった。


 人間族の中では忌避され罰される事も多いが、獣の眷属の中では同性愛は忌避すべきものではない。対として生まれ落ちたからには、異性であろうが同性であろうが魂が惹かれ合って番になる事は自然な事なのだ。


 だからと言って、対が必ず番になるわけでもなかった。対の魂は己の魂の安定の為に生まれてくる。それ故に、番をほかに探す事は人間族だろうが獣の眷属だろうが、通常的にあり得る事だった。


 対の魂は傍にあるだけでいいのだ。魂が惹かれようが、それは『惚れる』と言う事とは厳密には違う。飽くまでも魂の安定の為に対が近くに存在すればいいだけだ。傍に居続けている間に対に惚れると言う事はあるが、ほかに番を探す事も大いにあり得る。


 同性同士で対であっても、異性に恋をする事はいくらでもあるのだから、番を別に持つ対も当然ながらいる。


 対にも色々な形があるのだ。


 その中で異色なのは、異種族間の対だ。


 対は必ず見つけなければならないこの世で絶対のものだ。対の魂が存在しない魂はあり得ないし、もしいなければ時間の経過と共に魂が狂っていってしまう。そして最後には精神を病んで死ぬ。


 けれど、通常は近くに生まれ落ちて、物心つく前に対が誰だか判明する。


 それでも異種族間の対というものも存在するのだ。


 陸王と雷韋がそうだ。彼らは種族が違う。なのに惹かれ合った。


 人は他人の事は分からないが、己の魂の形を朧に感じ取る事が出来る。


 雷韋が陰で、陸王が陽だった。


 彼らは出会った瞬間に感じたのだ。魂が惹かれ合っている事に。


 初めは何がなんだか分からなかった。当時はそれまでに感じた事のない感覚を受け、互いに困惑したものだが、今なら分かる。


 傍にいると不思議と落ち着くのだ。

 それは絶対的な安堵だった。


 だからこそ傍にいればその安心感に浸って、雷韋のように眠りも深くなる。


 ただ、一般的に『眠りが深くなる』と言う事ではあるが、陸王の場合は違った。これまで足りなかったものが満ちた気分になり、雷韋が傍にいるだけで満足出来る。存在を確認出来ればそれだけでよかった。


 日ノ本を発った時には独りで生きていくものだと思っていたが、出会ってたった一月で雷韋の存在は陸王の中でもう欠かせなくなっていた。


 特にこの少年の、子供全開のなんの警戒の欠片かけらもない笑顔は。

 それは自分の中には全くないものだから。


 何故なら、陸王の中には警戒心しかないからだ。


 特に雷韋には、自分の生まれや生い立ちなど知られたくない。だから一般的な日ノ本の話は多少なりともすれど、殊、自分に関わりのある事は口にしなかった。


 その事に気付いているのかいないのかは分からないが、雷韋はそれで許してくれていた。許すと言うよりは、陸王を純粋に信じてくれているようだ。


 それもこれも雷韋の天衣無縫とも言える無邪気さで、変に勘ぐったりしてこないのは陸王にとって救いであった。


 そして、もし対が死んでしまえば、残された極も引き摺られてじきに死ぬ。しかも、ゆっくりと狂気に蝕まれて死ぬのだ。どちらか一方が、生と死を司る光竜の懐に迎え入れられれば、残された極も引っ張られる。その際、対の喪失感に狂うのだ。だからそれほど長くは生きていられない。それに、出会ったというのに長期間離れてしまっても生きられない。どちらの魂も安定を失って静かに狂っていくのだ。


 それが魂の条理だ。


 暖色の明かりの中、たきぎの爆ぜる小さな音が不規則に陸王の耳に届き、彼自身もうつらうつらとした時だった。突然、甲高い獣の泣き声が響いてきた。


 この泣き声は鹿のものだ。さっきの鹿かも知れない。


 陸王が目を開けるのと、雷韋が俯せ状態で半身を起こすのが同時だった。それを目にして、眠っていなかったのか、と思う。



「今の、あの鹿の声だよな?」



 雷韋が半分寝ているような状態で、崩れている壁の向こうに目を遣って言う。



「さてな。それよりおまえ、眠ってたんじゃなかったのか」

「寝てた。寝てたよ。でも、いきなり頭ん中にあの鹿が出てきて鳴いたんだ」



 そこまで言って雷韋は、



「あれ? 夢?」



 自分でも不思議そうに呟きながら耳の後ろを掻く。けれど、それを陸王が否定した。



「夢じゃねぇ。俺も確かに聞いた。だが、あの鹿の鳴き声かどうかは知らん」

「ちょっと様子見てこようぜ」



 座った格好で、両腕両足を伸ばしながらの言葉だった。あくびは噛み殺している。



「何故だ」

「よく分かんねぇけど、呼ばれた気がしたんだ」

「呼ばれただ?」



 陸王は眉根を寄せて不機嫌そうに返した。だが雷韋はそれに頓着する事もなく立ち上がると、陸王の腕を引っ張った。



「行ってみようぜ。ほら、陸王も早く」

「なんだって俺まで行かにゃならんのだ」

「あいつが呼んでるんだ。行こうぜってば」



 強引にぐいぐいと腕を引っ張って言う。



「待て。大体、本当に呼ばれてんのかどうかも分からんのだろうが」

「呼んでた、確かに!」



 そこまで言われて、陸王は渋々立ち上がった。



「ったく、どうしようもねぇな、お前は。行くんなら荷物持っていけ。あと、火も呼び戻せ」



 雷韋は陸王の言にこくんと頷くと、放り出してあった荷物を手に取り、「火よ!」と呼ばわった。その途端、雷韋の掲げた左腕に焚火たきびの炎が吸い込まれて消える。それとほぼ同時に、陸王が再び光の玉をあらわした。身仕度は調えていたが、その表情かおはどこまでも面倒臭げだ。


 そして用意を調えた雷韋が陸王の手を引っ張って、二人は堂内から抜け出した。

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