過去の残滓 二

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 三方向を山に囲まれた山間部に大きく開けた土地が広がり、麦畑と、遠くには傾斜に沿った牧草地が眺められた。


 村だ。


 その村の中心部付近には、集会所兼酒場があった。今日、村の男達は昼間からそこを忙しなく出入りしていた。陽が傾こうかというこの時間なら尚更の事だ。


 しかし皆が皆、落ち着きなく酒場を出たり入ったりしている。


 酒場の一番奥の席に最も人が集まり、その中心となっているのは随分と白髪が目立つ老いた男だった。


 その男に向かって、集まっている男達の一人から声がかかる。



「村長、今夜の食事で最後になりますが、充分でしょうか?」



 村長と呼ばれた白髪交じりの男が、うむ、と一つ頷きを返す。



「この一月、食べ物には不自由させなかった。今の場所が決して居心地のいい場所と言えないのは分かっているが、我々も必要最低限、良心的に振る舞ったつもりだ。今夜の食事が最後だ。それで勘弁して貰おう」

「でも村長。花梨かりんの奴、なかなか食べようとしない。この一週間は無理矢理食べさせたくらいだ。……いや、元々が無理矢理だったんだが」



 別の男が村長に向かって言う。



「分かって貰うしかないだろう。これが村の為なんだ」



 村長が溜息交じりに言葉を零すと、場には沈黙が降り積もった。そして誰もが落ち着きなく、うろうろとしていた。


 だがその中に於いて、一人だけ様子の違う男がいた。中年の無精髭をたくわえた、少し柄の悪い男だ。



「何も気にする事はねぇよ。母親からしてどうかしてるんだ」



 一気にその男に視線が集中する。



「村についがいないってんで、ある日、外に出たっきり何年も帰らずじまい。帰ってきたと思ったら腹に子がいたんだからな。その父親だって、どこの誰とも言わないまま花梨を生んで、さっさと死んじまいやがった」



 うちで面倒見てやらなけりゃ花梨もとうに死んでるさ。と男はうそぶいた。



「この十七年間の恩義、返して貰わにゃな」



 それに合わせるように別の男が口を開く。



「そうだ。あの娘は半分は村の者じゃない。俺のところは五年前に娘を亡くしてる。どこの馬の骨とも分からん男の娘を使うのに、躊躇いなんて持っちゃ駄目だ。これまで娘を差し出した家のもんなら分かるだろう」



 その言葉に、そうだな、と声が細波のように広がっていった。

 更に男は続けた。



「それに今年、十七になる娘は花梨しかいないんだ。花梨に犠牲になって貰わないと、村は破滅する。うちだって花梨の為に羊を一頭潰してるんだ。村の為を思えばこそだ」

「うちんとこは山羊だ」

「俺の家は家鴨あひる五羽だ」



 次々と皆、差し出した家畜を口にする。


 その中で村長は、やはり遣り切れないという風に溜息をついた。そうして最初に花梨という娘を悪く言い始めた無精髭の男に向かって言った。



樹大じゅだい。俺はそれでも花梨が哀れだ。母は花梨を生んで死に、そのあと、引き取られた伯母夫婦には冷遇され、夜遅くまで働き詰めだっただろう。伯父であるお前が虐待していた事に、誰も気付かないと思っていたか? 皆、気付いていたぞ」

「俺はただ飯食らいを家に置く気はない。あいつは要領が悪いんだ。だから与えられた仕事が夜になっても片付かない。自業自得だろう」



 男──樹大は遠回しに虐待を否定した。


 花梨の母親は昔から知っていたが、義妹は所詮、他人だった。その事でとやかく言われたくなかったのだ。突然出奔したと思ったら腹に子供を抱えて戻ってきた。戻ってきてから面倒を見たのも、姪の花梨が生まれる際に面倒を見たのも樹大だ。そのあとだって養育してきた。


 必要最低限に、だが。



「……まぁいい。花梨はこの一月、今までに考えられんほど豪勢な食事をさせて貰ったのだからな。痩せ細った身体にも、多少肉がついただろう。思い残す事もあるまい。……それで、花梨はどうしている」



 村長が周りの男達に尋ねると、



「さっき見に行ってみたら、縮こまっていましたよ。それに毎日三食食べているのにやつれて見えた。顔色も悪い」



 手に火の消えた松明を持った男がそう答えた。

 そうか、と答えて、村長は顔を曇らせ再び溜息をつく。


 その時、酒場の奥から前掛けをかけた男──酒場の主人が姿を現して、村長に声をかけた。



「村長。夕飯の支度、出来ましたよ。最後ですからね。盛大に贅沢にしました」



 振り向くと、一つ席を空けた卓の上にご馳走と呼ぶに相応しい食事が並んでいた。家鴨の丸焼きや、羊肉のソテー、付け合わせのたっぷりとあるステーキ肉、馬鈴薯じやがいものポタージュ、馬鈴薯のパイにミートパイ。柔らかな白パンにミルクはたっぷりと。



「分かった。皆、食事を運んでくれ。食べるのを嫌がっても、口に無理矢理ねじ込むんだ。最後の晩餐だから、なるべく手荒く扱って欲しくはないが、致し方あるまい」



 村長のその言葉に促されるように、男達は手に手に料理の皿を持って酒場から出て行った。


 残された者はなんとも言えない顔をしている。

 安堵なのか、哀れみなのか、恐怖なのか。

 どうともつかない複雑な顔をしているばかりだった。

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