過去の残滓 三

 男達が料理の皿を持って村外れの洞窟に辿り着くと、その前にはどこか底意地の悪そうな顔付きの中年の女が一人と、見張りの男が二人立ち尽くしていた。女は男達がやってくるのを遠目から眺めていたが、彼らがやってくると足早に近付いてきて言った。



「今は中に入れないよ」

「どうしてだ」



 先頭の樹大じゅだいが不満そうに問うと、女は気に食わなそうに鼻を鳴らして返答を返す。



花梨かりんに最後の湯浴みをさせている最中だからだよ。少し待っておいで。もうそろそろ終わる頃だ」



 その言葉とほぼ同時に、洞窟の中から女達が数人出てきて、中の一人が見張りに何かを手渡していた。彼女達の腕の中には、大きなたらいや手桶が抱え込まれている。



「終わったのかい?」



 女が問いかけると、たらいや手桶を手にした女達は黙したまま頷いた。そして我先に村の方へと歩き去ってしまう。


 まるで何かから逃れるように。

 その女達を見送って、樹大は意地の悪そうな女に声をかけた。



「もう入っていいだろう」

「いいよ。好きにおし」



 それだけ告げると、中年の女もその場から立ち去って行った。

 樹大はそれを見遣って、これでやっと厄介払いが出来ると思った。


 樹大にとっては花梨は厄介者でしかないのだ。その母親と共に。身寄りが花梨の母親の姉──つまり樹大にとっては妻で、花梨にとっては伯母だが──しかいないという事で引き取って育てたが、今まで一度も姪が可愛いと思った事などない。半分は村の者だが、半分は余所者だ。そんな者が生まれてきても、いい迷惑でしかなかった。だから今まで冷遇してきた。仕事も人の何倍も押しつけた。それを咎める者がいなかった事も冷遇を後押しした。


 しかしそれも今宵限りだ。運んできた食事をさせれば、時間が来るまでは見張りに任せておけばいい。


 決行は今夜だ。

 樹大は後ろからついてきている男達に合図を送って、洞窟の中に入っていった。


 洞窟の中に岩牢が作られていて、鉄の柵の向こうには真っ白い衣装を身に纏い、濡れた短い亜麻色あまいろの髪をした少女が膝を抱えてうずくまっていた。


 その左の二の腕には、黒く丸い痣が浮かんでいる。



「花梨、食事だ」



 樹大が声をかけると、花梨と呼ばれた娘がそっと顔を上げた。その目は怯えを示している。年の頃は十六、七と言ったところか。 



「今夜は豪勢な料理だ。腹一杯食え。そして未練を残すな」



 花梨は伯父の言葉を聞きながら、今夜だ、と思った。ここに閉じ込められてから日を数えていたが、丸三十日が経過していた。今まで色々知らなかった事を知らされ、そして伯父は「未練を残すな」と言った。


 間違いなく今夜だった。

 それをなんとか阻めないものかと、花梨は鉄格子に縋り付いた。



「伯父さん、これからはもっと働きます。我が儘も言いません。なんでもします。だから助けてください」



 必死なその言葉を樹大はあっさり蹴った。



「今年十七になる娘はお前しかいないんだ。これまで育ててやった恩を返して貰う。何、お前が犠牲になってくれれば、この先また五年やっていけるんだ」

「でも、五年経ったらまた次の子が犠牲になります。こんなのみんなが幸せになる方法じゃありません」



 それを、うるさい、と鉄格子を蹴って脅しつけた。



「俺達もしおを問われる時なんだ。この年、十七になる娘は他にいない。お前が生まれたのはつまり、そう言う事だ」



 そう言って、おい、鍵を開けろ、と樹大は尊大な態度で命じた。それに従って、さっき女達に返された鍵で見張りが錠を開けると、樹大を先頭にして岩牢の中に料理の皿を持った男達が入り込んだ。


 花梨は恐怖に両目を見開いて後退あとじさりする。自然、首を左右に振っていた。



「花梨、今夜は特別な馳走だ。腹一杯食え」

「食べたくない。いらない!」



 花梨の悲鳴じみた声に、押さえつけろ、と誰かが命じた。


 花梨はあっという間に男達に押さえ込まれ、無理矢理口を開けられて、その中に肉だの野菜だのを強引に突っ込まれた。そのまま口を押さえ込まれてしまっては咀嚼も思うように出来ず、口に入れられたままを飲み込むしかなかった。喉が詰まって食道が破裂しそうだったが、それでも無理矢理飲み込んだ。飲み込めば、また口の中にものをねじ込まれる。何度も何度もそんな事が続き、ほとんどを咀嚼出来ないままに飲み込んで、その苦しさに涙が溢れた。


 真っ白い服も、肉汁やミルクなどのしずくで胸元は汚れ放題だった。


 食べさせられる途中で胃が一杯になり、飲み込む事すら出来なくなったが、それでも男達は構わなかった。吐き出す事は決して許されず、飲み込むまでは口を強く押さえられた。


 まるでその様は、肥え太らせる鵞鳥がちょうの如くだ。

 それでもそれぞれの皿からは、半分の量が消えていた。

 その様を眺めて、樹大は男達に声をかける。



「このぐらい食わせればもう充分だろう」



 その言葉に花梨は涙を一滴ひとしずく二滴ふたしずくと零した。口からも手を離され、飲み込めずに口に溜まったままの食物を吐き出す。


 それを見ていた男の中の一人が、花梨の横頬を殴りつけて怒鳴った。



「勿体ない事をするな」

「ご、ごめんなさい。でも、もう無理です」



 横座りになって両手で上半身を支えていたが、その言葉は切れ切れの息遣いだった。


 ここで胃の中のものを全て吐瀉してしまえれば楽だったのだろうが、そんな事をしたら何をされるか分からない。花梨はただ耐えるしかなかった。

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