【いきなり最終話】最終話 一文島弁惑談【ジャンル : サスペンス・ミステリ】

水山天気

最終話 一文島弁惑談

「なぜなら、6年前まで桜井氏の視力が低かったことを石橋氏が知っていたことを松本氏が知っていたことを梅原氏が知らなかったことを萩谷氏が知っていたことを虹橋氏が知っていたことを菊川氏は知らなかったからです」

 祖国を捨てると宣言した絶島弁理官・芒丸擦摩のぎまるさつまの〈最終講義〉は、ざわつく一同を尻目に淡々と続く。

 柳瀬やなせは理解が追いつかず、ひどく困惑した。度をこえて早口な上に、芒丸の板書ばんしょはあいかわらず下手くそだ。ホワイトボードに次々と書かれていく謎の図は、もしかすると講義の内容には何の関係もないただの手遊らくがきなのかもしれない。

「ちょ待って先生!」たまりかねたのか、石橋が声を上げた。「孤島が存在しないたらいうのは、そりゃいったいどういうことなんですの? ここにありますよね、孤島!」

「言葉が適切ではなかったようですね」と芒丸は言った。「〈孤島〉という概念はゴミである、と言ってしまうべきでした。5次元的観点はもちろん、4次元的にも3次元的にも意味がゴミである概念です。師のたまわく、空手に密室なし。活殺自在の空手家にとって〈密室〉という概念がザコであるように、ガイア的な観点から見れば〈孤島〉は無いも同然です。国境の内側にも外側にも、無主の大地と水たまりしかありません。もちろん、〈国境〉という概念も20世紀に捨てておくべきものでした」

「ぬう……」石橋はうなった。「わかったような、わからんような。今そこに書かれた絵は、先生の娘さんですか?」

「父方の祖父です。質問は以上ですか? よろしい。続けましょう。〈国境〉はゴミです。この一文島いちもんじまはどちらの国のものであるのか。ゴミの子供は男か女かといった程度のくだらない問題です。それこそ、故事にならって悪銭一文びたいちもんで売り買いしてしまえば済む話です。私にとっては、もはやどうでもいい。そもそも性別など曖昧なものであり、ましてやそれについての個人の判断を国家に認めてもらう必要などない、とも言えます。今すぐ戸籍をやめろ。しかし、桜井氏がそうは思っていなかったことを梅原氏が察していたことを石橋氏が喜んでいたことを萩谷氏が気づいていなかったことを松本氏が古文書の雑な扱われ方から推測していたことを菊川氏はどうですか? そう。どちらでもいい。結論は同じです」

「そんな理由で犯人にされちゃたまらないな」と菊川が言った。「どちらでもいいとか言ってないで、俺のことをもっとちゃんと見てほしいよね。たとえばだよ、俺が殺した動機はどうなの?」

「言うまでもなく、ちゃんと見ています。ちゃんと見ていることは自明である、と言ってもいい。先述の通り、消去法であなたが好きです。しかし、すべてはあなたが、罪をきちんとつぐなってからですね」

「罪を?」

「償う」

「しかも?」

「きちんと」

 そう言葉を交わし合ってから、芒丸と菊川は同時にゲラゲラと笑いだした。

 やはりこの2人は同じ種類の人間だ、と柳瀬は思った。20世紀に捨て去っておくべきだった〈人種〉や〈戸籍〉というゴミ概念ではなく、もっと根本的な気性を介して通じ合っている。学生時代には「高性能なゴミ」と呼ばれうとんじられていた芒丸擦摩ですら、孤島ではないのだ。

 芒丸の涙を指でぬぐいながら、菊川は言った。

「人をこの世から消しといて」

「この世で罪を償うとか」

「しかも?」

「きちんと」

 そしてまた、芒丸と菊川は涙を流すほどに笑い合った。

「祖国のために、死ぬつもりですか?」と芒丸は言った。

「ごめんな、そんなこと言わせて」と菊川は言った。

 遠くから微かにエンジン音。菊川は、広間からゆっくりと立ち去った。菊川に匹敵する空手の使い手がいない今、それを止めようとする者もいなかった。

 ほどなくして、孤島復旧師団の偵察機が窓の向こうに現れた。海底ケーブル復旧艦隊の支援を受けながら電話線復旧中隊が上陸し、5G復旧小隊を屋敷に突入させた。客間に戻った芒丸がオンラインゲームを再開できるようになるまで、それほど時間はかからなかった。


 その翌週、柳瀬は『十二官病坊論』という古い書物の紙コピーを届けるため、八兆皇子市にある芒丸の家を訪れた。一文島の問題を「国家にとって肯定的に解決」した元公務員は、〈データ通信量制限〉というゴミ概念に苦しめられながらも限界まで無職をやっていくつもりらしい。今や、この国に領土問題は存在しない。絶島弁理官という官職も存在しない。そういうことになった。そして今日、

「ありがと」

 廃墟の中に建っている廃墟の中に建っている廃墟の中に建っている荒家あばらやの中でゲームをしていた芒丸は、電話として使われることのない携帯端末の画面から眼を離すこともなく、紙の束を受けとってから放り投げた。いつ読んでいるのかもわからない本の山の上に、古書のコピーが追加された。何のためにいつ読むつもりであるのか柳瀬は知らない。そんなことよりも、

「今日、ニュース見た?」

 芒丸の右横に腰を下ろし、柳瀬は尋ねた。

次回団体戦つぎ風属性有利かぜだね」と芒丸は答えた。ゲームについてのニュースしか見ていないようだ。

「じゃなくてな、一文島、消えたって」

「やっぱり噴火した?」

 芒丸が驚く顔を見ることはできなかった。

 こちらの顔を見もしない知人に対して、柳瀬は無意味にうなずいた。

「ああ。今日の早朝だよ。それで完全に――」

爆滅ばくめつしたんだ。うける」

 芒丸は微かに笑った。

「驚くだろ普通」

「10万年以内に起きることが今朝起きたっていうやつでしょ。先週じゃなくて良かったね」

「いや、でも、島が吹っ飛んで消えるって……」

「夏が終わるね」

 室温以外には季節感の欠片もないマトリョーシカ屋敷の中心で、芒丸はつぶやいた。

 2つの国の間で宙吊りになっていた1つの島は、帰属する国家が確定した直後に消え去ってしまった。いや、消えてしまったからこそ「確定」したと言うべきか。

「君にとってはもう、夏よりどうでもいいことかもしれないけど」柳瀬は窓のほうへ無意味に眼をやった。外の廃墟の内側しか見えない。「一文島について、君はまだ僕らの知らないことを知ってるんじゃないか?」

 そのはずだ。そうでなければ、犯人についてあそこまではっきりと断言することはできないはずだ。

「なんだっけ?」

「萩谷さんが死んだ日に、楓川かえでがわさんが言ってたろ。一文島の祟りがどうとか。あれはどういうことだったんだ?」

「ああ、それは聞き間違いだよ」芒丸はあっさりと答えた。「一文島には関係のない話だ。雑談、をしようとしたのかな。誰も乗ってこなかったけど。まあ、普段が普段だからね。いつ激昂して空手を行使されるかわからない」

「でも、一文島に関係ないわけないだろ」

「だから、それが聞き違いなんだよ。楓川氏は新玉村椿島あらたまむらつばきじまの出身だ。あの島にはイチムンジャマの伝説があるからね。一文島じゃなくてイチムンジャマと言ったんだよ。それはイチムンジャマのことかもしれないしイチムンジャマのことなのかもしれないけれど、いずれにせよ一文島には関係ない。それなのに桜井氏は」

「待て待て待て待て」

 生まれて初めて聴く単語が出てきた。いや、初めてではなかったのか。柳瀬は携帯端末で検索する。あった。イチムンジャマ。「生物邪魔」もしくは「一門邪魔」という漢字を当てるものらしい。動物の邪霊、あるいは武力組織が使役する邪霊を意味するそうだ。あるじのために他人の所有物や土地を奪い、時には命をることもあるとか。

 なるほど。

 これを知らずに今の芒丸の説明を聴いたとしても、何を言っているのか意味不明だったに違いない。漢字もわからない。そこで板書だよ、と思うところで芒丸が板書をしたことはない。これまで自分は、芒丸の言うことをどのくらい正しく聴き取れていたのだろうか。柳瀬には自信がない。

「イチムンジャマの、祟りか……」

「うん。どちらのイチムンジャマであるにせよ、主を失ったそいつは、ハグレになって誰彼だれかれかまわず祟ることがあるんだって。まあ、一文島の揉め事とは何の関係もない豆知識だけどね。だから、楓川氏の言ってたことは無視でよかったんだよ。あのとき皆は、一文島のことで頭がいっぱいだったのか、少なくとも君と桜井氏と石橋氏と梅原氏は聞き間違ってたね」

 芒丸はオンラインゲーム用の手を止めることもなく、早口で続けた。

「言うまでもなく言語の花言葉は「切断」だけど、切り方は人によって違う。きれいときたない。高いと安い。夏と秋。箸と橋。ハギとハギ。でも国は、切り方を1つにまとめようとする。あの時の君たちは、かなり国だったね。まあ、人や土地を分類する因果な国務に手を染めていた、私が言うことでもないけど」

「……これからどうするの?」

「今は音楽を聴いている」

 柳瀬は、芒丸の手の中で小鳥のようにさえずる携帯端末の音に耳を傾けた。このゲーム音楽を意識して聴くのは初めてだが、とてもいい曲だと思った。昔、家庭用ゲーム機で遊んでいた頃の記憶がよみがえってきた。

 柳瀬はしばらく沈黙した。

 芒丸に何か言っておかなければならないことがあったような気がするが、頭から出てこない。なかったような気もする。芒丸の横顔を見ていると、たまにこんなことがある。

 視線を外すと、床に置かれた楽譜の上に転がっている銀色のバッジが目に入った。

 絶島弁理官が身に付けるバッジだ。

 柳瀬はそれを拾い上げ、芒丸の視界に入れた。

「返却しなくてよかったの?」

「ああ、それか。それ昨日、セカンド廃墟のゴミの中から出てきたんだよ。2年前に紛失くしたやつ。そのあと使ってたのは、もう返した。そっちも、ついでがあれば返すよ」

「今の君に、どんなついでがありうるんだよ?」

「それか、あんに渡しとく」

「いや、それはダメだろ。いま按ちゃんが官庁街に立ち入ったら、他国の情報屋が無駄に騒いでややこしいことになる。絶対にやめてくれ」

「うん」

「あの子、君に対しては本当にアレだから、素直に返しに行きかねない。頼むよ」

「わかったよ」

 芒丸は、こちらに一瞥いちべつもくれずにうなずいた。

 柳瀬は、つまんだバッジに目を落とした。

 バッジの図柄は、島、海、そして「辨」という文字。「弁」に収束した幾つかの字の中の1つ。もうほとんど使われることがなくなった文字だ。

 その字の意味は、「正しく断じる」。絶島弁理官は、わきまえること、判別すること、適切に処理することがその本分であり、長広舌をふるうことが仕事ではないのだ。ずっと国内で誤解されがちだったのは、常用漢字のせいではなく、主に芒丸個人のふるまいによるものだったのだろうが。

 なんにせよ、すべてはもう終わったことだ。この徽章きしょうを芒丸擦摩が付けることは、もうありえない。

「晩飯は? まだなら一緒にいこうか。おごるよ」

 と柳瀬は提案した。

 芒丸は、「あーーーーーーーー」と15秒ほど声を伸ばしてから、携帯端末を床に置き、立ち上がった。

 柳瀬も立ち上がって入口にある自分の靴に眼をやり、そこで思いだした。

 外に出る前に言っておかなければいけないことがあったのだ。

「桐木から伝言。4年前の事件のことだけど」

「なんだっけ?」

「キタの」

「ああ」

「あの犯人、実は生きてて拘束されてたけど2ヶ月前に死んだって」

「なんだそれ」

「君にも伏せておくしかなかったって」

「なんで今さら」

「死んだから? あるいは、君の立場が変わったからかもしれない。まだ桐木個人のリスクはあるだろうに、わざわざ訂正するところが律儀だね」

「どうだか。嘘をつくと、そのぶん孤独になるからね。あの桐木くんも、歳をとって弱くなったのかもしれない」

「元気だったよ。申しわけなさそうにはしてたけど」

「顔を見ないと、腹が立つかどうかはわからないな。今回の処理が終わって暇になったら必ず来い、って言っといて」

「ああ」

「菊川氏は?」

「死体は見つかってない、と言ってた」

「そう」

 2人で外に出て歩き、最初の角を曲った時には、太陽が沈みかけていた。

 次の角を曲ると、道の先に人影が見えた。

「ん?」

 その人影は、腰を折り頭を下げるような動きをした。

 それから小走りで、こちらに向かってきた。

 右腕を三角巾さんかくきんらしきもので吊っている。

 藤杜ふじもりだ。

「やあ、どうしたの? 偶然?」

 と柳瀬は訊いた。

「や、ほんとにかなり近所だったし、芒丸さん前、いつでも来いって言ってたから、ちょっと」

 はにかみながら、藤杜は答えた。

 ああ。

 こんなことは何度もあった。

 どういうわけか、ある種の人たちは。

 宙吊りの孤島に招き寄せられた人たちも。呪われた一族の人たちも。極寒の鍛錬所に囚われた人たちも。

 無惨な血の海から脱け出そうとあがく運命にあった者たちは、なぜか皆。

 柳瀬の横に立っている変人のことが好きなのだ。

 何か言いたげだが口を開こうとしない藤杜を、柳瀬は誘った。

「じゃあ一緒にメシいこうか。僕たち、これからなんだ」

「いんすか?」

「おいで。カレーはどう? 店で事件の話はできないけど――って藤杜くん、ニュース見た?」

「見ました。俺たち、危なかったんすね」

「噴火がなくても危なかったかもしれないけどね」

「それはないです」

「ん?」

「あの、俺……」

 藤杜は、口ごもりながら言葉を続けた。

「なんかあの島、全部終わっちゃって、だから……ってわけでもないんすけど、ひとつ、言っとこうかなって」

 夕暮れ。

 眼の光。

 藤杜の視線は、柳瀬ではなく芒丸の方に向けられている。

 藤杜は言った。

「俺、実は左利きなんですよ」



 (終)

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