第32話 こっそり引っ越しです
五合さんのキャラクターは大変変わっておりまして、よく言えばマイペース、悪く言えば何とも奇妙なつかみ所のない、糠に釘を打つよりなお手ごたえを感じない人、とでも言いましょうか。皆が何か話していても黙々と聞いているようないないような、でも時おり相槌を打つけれどその打ち所がずれて、とんでもない所に打たれているような。
「そんで、この頃すぐに疲れてしまって、身体弱いんじゃないかって・・」
「やっぱ年なのかなぁって思うん・・」
「もう老人もいいとこなんじゃないっすか」
「バカ言うな。金ちゃんよりもまだまだ若いぞ」
「俺、こんなの持ってるから・・へっへっへ、どうだい」
榎木さんが友人から貰ったと言って、バイ貝があぐらをかいたような名の小粒な薬を見せびらかして、盛り上がっておりますと、今まで皆の色々な話題をよそに、全く存在感なく座っていた五合さんでありましたが
「そんなのなくったって、若返りにはもっといいものがあるよ」
「えっ、五合さん、今なんて言ったの」
「特別に作れるんだけどね」
「なになに、教えてよ」
「でもぉ、ぉぉぉ・・」
「嘘だ、そんなものないんだろ」
「いや、それがあるんだよ」
「だから何なんだよ」
「いや、大したことないけど、優れものとでも言うか・・」
「どんなものなの」
「ええーえっと・・」
「だから何だって言うんだい、じれってぇな、言えよ、言ってくれよ、気になるよ」
「ごまと、シソと蜂蜜と・・あと特別の秘密のものをちょっと加えて練って、薬のように団子状に丸めるんだよ。それを三週間ねかせて・・」
「で、秘密のものって何なの」
「秘密っていうからにはハハハ秘密なんだよ、これが・・」
「教えられないんなら最初から言わないでくれよ、ま、それはいいけどさ、でも効果はあったのかな」
「そりゃぁ、ふぬぬ、ふふ・・」
「何だよ、気持ちわりいなぁ。で、試してみたの」
「うん、ぬふふ、ふふひ・・」
「誰と?」
「誰って、ふぬふふ、はへへ・・」
「五合さんよ、しっかりしてくれよ。誰と試して効果があったかが問題なんだぁな。古女房じゃなけりゃぁ、そんなもん要らないだろう」
「・・・・」
「五合さん。 五合さん、聞いてるの」
「・・・・・」
「ねえ、五合さん、その丸薬っていうか・・その団子俺にもくれない」
「・・・・・」
「おーい、五合さーん」
「・・・・・・」
こうして又、すぐ側に存在しているにも関わらず、糠に釘を打つより空しい手ごたえを、皆に感じさせる五合さんなのでありました。
この不況のもと、どこの工場でも暇をもてあましている所が多いという中で、五合さんの工場では毎晩残業していると聞きましたから、きっとその丸薬が「二十四時間働ける」元気の源になりうるもので、毎日使用しては仕事に精を出しているのだろうと、私は思っておりました。 が、実はそうではありませんで。
五合さんの工場は幸か不幸か、榎木さんの工場のすぐ側にありまして、あのあ宝伝さんったら、仕事の合間をぬっては五合さんの仕事場に押しかけては、ばかばかしい話で一息つくのだそうでして。五合さんがこの上なく人がいいのと、奥さんのもてなしもいいからでありましょう、彼の工場はいつも誰かしら人が訪ねて来ていますから、その相手で全く仕事がはかどりません。
早い話が、邪魔が入って仕事にならねぇってやつなのでありまして。それでも五合さん夫婦は訪問客にはいつでも熱烈歓迎で、その結果、毎晩一人で熱烈残業と相成るのであります。
ところでこの居心地のよい仕事場には、もう一つ大きな魅力がありまして。
毎日通い詰めている榎木さんに、その秘密の扉を発見されて、大弱りの五合さんでありました。
作業場の脇にあるロッカーの扉の裏に、かわいい若い女性のヌードポスターが何枚も貼られてありまして、それが「お仕事頑張ってねぇ」と囁いてくれてるようだとか(んな訳ないだろう)で、何と五合さんは彼女のファンクラブの会員になったのだそうでありました。
あの榎木さんではなく五合さんなのでありますから、衝撃的な大ニュース発表となりました。五合さんの素晴らしい趣味を共有しようと、俺も俺もと皆で押しかけまして。又その晩も、熱烈歓迎・熱烈鑑賞のつけは、熱烈残業で賄うしかありませんでした。
そのせいでしょうか、近頃五合さんの住所が変わったそうですが、誰も新住所を聞いてはおりませんようで。 さぞ五合さんの残業はもうなくなったことでありましょう。
でも実は五合さん、仕事は趣味でやっているようなものでして、たくさん持っている家作の大家さんだけをやって、のんびり過ごしていてもいい身分なのでありますから、本当に結構なことではありませんか。
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