第21話 寄席文字  1 どうする受験生の息子

 私が寄席で魅了されているものの一つに、寄席囃子があります。

芸人さん達が高座に出たり入ったりする、その時に流れる太鼓や笛などでなる下座とよばれる音楽であります。面白さでドッと沸いて噺家が拍手で送られて奥へ引っ込むと、会場は少しザワザワとします。


 そして次の演者の出囃子が鳴り出すと、サッと静かになり小さな拍手が起きます。次はどんな楽しみがあるのだろうと一瞬期待が沸いてきて、舞台の脇から顔がチラリと見え出すと、拍手は更に大きくなります。


  この拍手もまた寄席の音楽の持つ不思議な魅力に、載せられるように湧き上がるのであります。あの太鼓のズズンと胸に染み入るような響き、三味線や金のワクワク踊りたくなるような調子良さ、それらがたまらなく大好きでして。 


 これがもし、鳴り物が何も無く出て来たらどうでしょう。それはそれでも成り立つでしょうが、やはり出囃子で調子良く載せて貰って出た方が、噺もやりいいだろうし舞台も華やぐことでしょう。

 

 そしてこの音楽と同様に寄席文字の素晴らしさも、私にはもう一つの大きな魅力でありまして。 黒々とした墨で太く力強く書かれた文字は、何とも言えない芸術であります。寄席文字は客がびっしり詰め込まれるように入る事を願って、文字に隙間のないように書かれてあります。


 そんな寄席文字に感動して、少し真似て練習してみた頃がありました。本を見てそれらしく書いてみるだけでしたから、本物とはほど遠い出来でありました。しかし墨の濃さと文字の太さが、下手ながらもそれらしく見せる手助けをしてくれます。


 一人で悦に入って円生や文楽、小さん、正蔵等と書いていると、もうそれだけで十分に寄席の気分に浸る事が出来ました。特に贔屓の志ん朝の文字はつけ馬と共に、念入りに練習してみたり致しまして。


 落語研究会の仲間達の芸名が揃うと、各々の名を書いて壁に張り出してみたりもしましたが、ズラリと並べられた文字を見ていると、誰もがみな一流の寄席芸人のように思えて来るから不思議であります。


 何かに興味が沸いてくるとのめり込む癖のある私でしたから、やはりこの寄席文字の練習にも熱心で、そのうち家族や友人や会社の名前や住所等々を、色々書いては遊んでおりました。

 以前にオペラを聞き始め、すっかり「カルメン」が気に入ってしまっていた私でしたから、「カルメン」を聞きながら台所のテーブルで寄席文字を書き、時を忘れて過ごしておりました。 出囃子を聞きながらと言うのなら分かるでしょうが、カルメンとの取り合わせは妙なものでありました。



 さて、研究会の発足ですっかり張り切っていた私は、ちょうどその頃に息子が大学受験を控えていても、新しい楽しみに夢中でありました。大の勉強嫌いで、努力などという言葉すら大嫌いという徹底ぶりの息子でありますから、受験生とは思えない緊張感のまるで無い予備校生でありました。

 大学進学など自分の人生設計には当然なく、のんびり過ごしておりましたが、それを大学生にさせてやりたいからと、あえて受験を勧めたのは馬さんでありました。



 そんなに言われても学力不足で入れる訳がないだろうと食い下がる息子に、馬さんは二年間の猶予を与えるから、その間に何とかしろと無茶な事を言いだしまして。

馬さんは学歴主義の人間でもなかったし、見栄を張りたかった訳でもなかったのでありますが、学生の間は就職しないで済むからとか、女子大生がワンサといるぞとか、学割が使えるとか様々な魅力を並べ立て、全くその気のない人間に受験させたのでありました。


 その裏に隠された馬さんの本心を知るのは私だけでありまして。とにかく大学生にさせて落研に入れたい、たったそれだけの事でしたから、息子にとってはいい迷惑というものでありまして。 

 馬さんは自分の今日の姿は、落研時代に作られたものだと固く信じている人でありまして、他人から見たら果たしてそれが良いものかどうか疑問であっても、自分には落研の経験が財産に思えて仕方なかったのでありました。



 おとなしくやや引っ込み思案で、人前で発言するのも恥ずかしかった子供時代の馬さんが、今のようにむしろ人前に出たい、目立ちたいと思える性格に変わったのは、ひょんな事で誘われて入った落研のお陰だったのでありました。


 最初は勿論、われ等落研の仲間達のように、小噺を話す事すら苦痛な程でありましたが、それが上手く載せられ何度か話す内に、少しずつ自信がついて来て、やがてそれに内面に持っていた負けん気が加わって積極的になり、大変身して今日に至ったのでありました。


 自信過剰は嫌なものでありますが、良い意味での自信は人間を豊かにさせ強くもさせるものでして、良い友人も沢山出来た上にその話術は、仕事の上でも得意先の取引で十分役に立っておりまして。 


 単に話術だけの事を考えれば弁論部でも良かったし、カルチャースクールの話し方教室でも良かったのですが、落研にこだわったのは洒落の解せる人間になって欲しい、出来る事なら落研仲間とのキャンパスライフも経験させてやりたい、と言う親心からでありました。



 寄席文字練習が楽しみとなった私には、息子の受験は二の次になっておりました。有頂天になって、そのうち書くものに受験する大学の名前も加わるようになって行き、駒沢、法政、日大、明治、専修、東洋等と面白がって書き上げていきました。


 どんなに練習して文字が上手になったところで、所詮息子の頭では、行きたい学校が必ずしも行ける学校ではありませんで、その力の実情は余りにも現実離れしているので、私はついに「灯台」「波婆止大学」とか「県武利痔大学」「粗留盆奴大学」とまで、ふざけて書くようになりまして。


 それでも時折、真面目な受験生の母の顔が覗く事もあり、そんな時には台所の入り口の扉に、ビッシリ張り出された大学の名前に向かって、真剣に手を合わせる事もありました。台所は扉に張られた九枚の大学の名前と、壁や冷蔵庫にまで張られた落語家の名前で、何とも賑やかで落ち着きの無い場所となってしまっておりました。



 受験の日もいたって平静で、特別に気遣ってやる事もしませんでしたが、ただ体調だけには注意して後は運まかせと決め込みまして。    

 全くいい加減なもので、親子揃って受験をなめてかかった報いは当然に来ました。合否の通知表には目当ての番号はただの一つも無く、馬さんは

 「惜しいな、前後賞だったらお前もセーフなのになぁ」

 とか、百番違いや千番違いの番号を見つけ出しては惜しい惜しいを連発しておりました。


 私も不合格の通知を受け取る度に、娘と一緒に時代劇さながらに、「日本大学殿、討ち死にィ」とか「専修大学さまのかみぃ~討ち死にぃ~」と叫びながら扉に張った大学の紙を一枚づつ剥がして行きまして。 一枚が二枚、二枚が三枚と剥がしていく内に、残りが少なくなって行きました。

 

 私の心の中には、九枚もあるうちには、一つや二つ滑り止めとなる学校もある筈と思っておりましたが、それは思う方の勝手でありまして、ふざけた親へのお仕置きとばかりに、滑り止めにまで加速が付いて、見事完敗となってしまいました。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る