寄席文字  2 寄席文字で書く「祝合格」

 気が付いてみると扉には大学の名を書いた紙は一枚も無く、それでも台所のあちらこちらには落語家の名前の紙が賑やかに張られてありました。改めて読んでみると、あれほど好きだった噺家なのに、随分ふざけた名前、何の意味があるのかこんな名前と、身勝手なイライラが募ってくるのでありました。


 馬さんや私にはどこか人と違って、可笑しな勇気付けや励まし方があって、他人にはそれはややもすると、おちょくっているだけにしか思われない事のようでありまして。リラックスも大切ではあるけれど、適度な緊張感も必要であったし、落ちた者への対処の仕方にしても、もっと気の毒がってあげる事も必要だったかも知れません。



 考えてみれば現役の時から数えたら、息子は十五通の不合格通知を受け、十五回の悔しさを味わっているのでありました。努力不足で自業自得であったとしても、それが自分から望んだ事ではないだけに、可哀想でもありました。


 世の親達は大義名分の元に受験を強いる者もいますが、果たして本当にその子の為になっているのかどうかは、甚だ疑問であります。親の強引な期待で将来を輝かしいものに決定される人などほんの一握りであって、後はそうとは言えないのがほとんどのようでありまして。



 所詮、一升の升には一升以上は入らず、例え上手く入ったとしても、表面張力で盛り上がった山は、ちょっとつつけばあっけなく崩れる儚さであります。馬さんの「おためごかし」も私の「お祭り騒ぎの如きおふざけ」も大きな反省点として、家族でもう一度一升の枡に入る一升の中身を、考えてみる事に致しました。

 馬さんにとって落研で得た宝物が、息子にとっても宝物になれるのか。又、大学でなくとも自分にあった道を捜す事が肝心である、という結論になりました。



 息子も真剣みには乏しかったが、それでも一年間浪人生活をしてみて、そしてこの結果を見て思う事もあったのでしょう。死んでも落語などやる気は無いけれども、大学には入ってみたいと言うようになりました。


 そうだ、忘れておりました。私は二葉亭四迷が、「くたばってしまえ」をもじって付けた名前だから、この息子にも落研に入ったらそんな洒落た名前を付けてやろう、と考えた時がありまして。 


 そして考えたのが二浪家三浪、うかり亭大学、入っ亭四迷だったのでありますが、それも必要が無くなってしまっておりました。 あくまでも学校が全てと言う馬さんではありませんでしたから、次の年の受験はそれ程の期待は持たず、本人の気の済む程度にやれ、とだけ言ってお終いになりました。



 そんな訳でこの受験生は、今度は自分の意志で再度受験生となり、大きな期待もかけられず、変なお祭り騒ぎで迷惑を受ける事も無く、大震災のあったこの年の二月に、最後の受験を致しました。表面上はそ知らぬ振りをしていた私でありましたが、心の中には相変わらず、黒々とした太い文字の張り紙が何枚も張られ、一枚二枚と剥がされていく度に密かにため息が漏れました。


 しかし神の思し召しか二枚の紙がそっと残り、二月の末から三月の初めにかけて我が家にはめでたく、さくらの花が咲いたのでありました。そして晴れて息子は馬さんと同じ学校の、同じ学部の後輩となったのでありました。

 


 馬さんはもう決して自分の落研の後輩になれと勧めることはしませんでしたが、今度は同じ時に見事現役で合格した私の姪に、落研の入部を執拗に勧めたのでありました。それも弁護士を目指す東大法学部の学生に、であります。


 私も張り切ってお祝いの手紙に添えて、貴女の為に寝ずに考えた名前よと、「赤門亭原液」を進呈致しました。

 しかし馬さんはあまりのつまらない芸名に「もっとなんとか考えろ」とうるさく言い、私はまた急いで「祝合格! 六法家善笑」と寄席文字で書いて、速達で送ったのでありました。

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