一周年記念の日 3 打ち上げの会

 お客が引き上げると仲間達で手早く後片付けをし、武田さんのお店で打ち上げが行われました。少し遅れてお店の前に着くと、もう階段の下まで二階の様子が手に取るように聞こえており、榎木さんが笑遊師匠とすっかり気が合って、バカ笑いをしておりまして。

 「あたしもねぇ先輩、方々へ出かけて行って噺やらせてもらっていますけどね、そりゃぁ色んな舞台ありましたよ。だけどですねえ、今回初めてですよ。」


 「何って?ストーブですよ、ストーブ。 高座にね、ストーブ置いてくれたとこなんて初めてですよ。それも両方から。ステレオストーブですよ。」

 「最初はね、そりゃぁ暖かかったんですよ。そのうち暑くなって来ちゃってね。それからもう暑くて暑くてたまんないんですよ。脱いじゃってよかったんですか、先輩。脱ぎますよあたし。本当にぃ。脱いだらすごいんですよ。もっと皆さんに喜んで貰えましたよ」

「そう言えばお前は学生ん時、よく裸になってたよなぁ」


 ストーブは佐川さんの優しい気配りからでありました。私も途中で気が付きましたが、何しろ自分が寒がりなのでま、いいかと。 しかし二台もとは恐れ入りました。演じている人は懸命に喋ったり動いたりしていますから、きっと暑かったことでしょう。

 「しかし先輩、みんな結構その気になってやってますねえ」

 「そりゃぁそうだよお前。この町内は文化村なんだよ。俺達みんな、お前らより上手くなっちまうよ」


 「嫌だねえ先輩。こういうの一番困るんですよ。私らの仲間うちじゃぁ天狗連って言うんですけどね、自分の芸に酔って天狗になってる先輩みたいな素人さん、一番恐いですよ。ほんと、やだやだ。」

「ところで先輩、奥さん会う度に変わりますねぇ。いえいえ、そうじゃなくっていい意味に、ですよ。 決してそんな。相変わらずお美しくなって・・へへへ」

 「無理しなくていいよ。会う度にブクブク太って行くって言いたいんだろう。いいもん食わして金かけてやってんだよ」



  暫くは昔の話に花が咲き、私も遠い学生時代を懐かしく思い出しておりました。

彼はスケジュール表には余白が一杯で「釣り」「釣り予定」としか書くことがないから、仕事を紹介してくれるようにと大いに宣伝をして、今までに見せたことがないキリリとした顔になって、今日の礼を述べて帰って行きました。



 彼らの姿が消えるのを待って、広原さんがこんなことを。

 「俺、何か自信が出て来たなあ。だってさぁ、あの位の前座なら、俺達にだって務まるよなあ」

 「もうちょっと話し込めばあれ位いけるよ」

 浦辺さんや鬼頭さんにも目標とするものがはっきりと見えて来たようでありましたが、皆には先ほどの笑遊師匠の言葉の意味が、少しも分かっていないようでありました。素人の天狗連の困る所がそこなのだと、笑いに隠した本音の言葉が、われ等仲間達の誰にも理解出来ていないので、私はおかしくて仕方ありませんで。



 「おい、おっさん。ずいぶん床屋の宣伝になったな」

斜め向かいに座っていた榎木さんが言うと、佐川さんは真面目な顔で

 「俺、ああいうことを言って貰うと困るんだよ。お客さん沢山来て貰っていたから。あんなに汚い汚いって言われちゃうと嫌んなるよ。いくら洒落だからって言われたって、こっちはそうはいかないよ」

 と嘆きました。その顔は本当に切なそうでありました。



 私には佐川さんの気持ちがよく分かりました。彼は明るくてとても良い人ではありますが,洒落の全てを洒落として受け取れない生真面目さがどこかにあって、たまに皆で騒いでいてもむきになる時があるようでして。 榎木さんのように柳に風とふざけ切れないところのある彼なのでありまして。


何事にも真剣にとってしまう彼を思って、 

「私もそう思ったわよ。あれじゃァお客さんに変に思われちゃうわよね」 

と武田さんが慰めるものだから、余計にグチっぽくなってきております。


私は気になって

「でもヤングさんがものすごく綺麗好きだってこと、誰だって知らない人はいないし、皆何とも思わないと思いますけど」

 と口を挟むと、武田さんが又言いました。

「私、師匠もお気の毒だったわぁ。あれってとっても失礼じゃない。潰れそうな会社って言われていい気持ちする人いないわよ、ねえ。 師匠は偉いからニコニコして聞いてたけど、冗談じゃないよって思いませんでした?」

 「洒落だよ洒落。ああいうもんなんだよ」 


 私は武田さんが一生懸命になるのが可笑しくもありましたが、その反面、余りにも現実的な洒落に、少し寂しい思いがしないでもありませんでした。

 産業の空洞化で日本全体が不景気になっていて、この町もそのあおりをもろに受け、あれほど活気に満ちていた職人の町も、勢いが薄れているのが現状であったからでありました。 



 この町では馬さんのような町工場の経営者達にも、少し前まではいい時代がありました。バブル期には暮らし向きも豊かでありましたから、浦辺さん達の営業もやり易かったでしょうし、広原さんや武田さん達のお店も賑わっておりました。


 もちろん全部がそうとは言えなかったけれども、大体が不景気の風を受けて大変なのでありました。人は自信があったり物心共に豊かであれば、他人の言ったちょっとばかりの台詞など、大して気にも止めないものでありましょう。


 美しい人が「もう綺麗な人が羨ましいわぁ」等と言うと、それには余裕があるから言えることであって、聞く方も相槌には困りません。でもお世辞にも美人とは言えない人や太った人には、ブスとかデブの言葉は避けようとするし、増してや相手に面と向かって、それを平気で言える人はそうはいません。


 だからいくら笑遊師匠がこの馬さんと気安い間柄だと言っても「潰れそうな」という形容詞で笑わせる事が出来たのは、師匠にはその言葉にひっかかるものは何も無いからと判断した上で,安心して言った言葉なのでありましょう。


 それが大真面目に受け取られて、聞き流すことが出来ないものとなってしまうのは、誰の心にも不景気の嵐の中で、必死で頑張っている経営者達の痛みが分かるからこそなのでありました。



 「いやぁ、潰れそうで潰れないのがウチのいいとこなんだよ。借金だって大したもんだけど何とかやっていってるんだ。あとひと押し銀行さんが力貸してくれりゃぁ、サッと生き返っちゃうんだけど、小林さんどう?」

 「いやぁ、その方は支店長に言って貰わないと」

 「小林さん、銀行に金いっぱいあんだろ、これから行ってさ、金庫みんなで開けようよ」

「そうだそうだ。金庫のダイヤル番号とか教えてよ」


 小林さんは大分飲んだらしく赤い顔をしておりましたが、はっきりした口調で、

 「そういう話はあんまり好きじゃないな。私は来年定年を迎えますが,今まで真面目にやって来て、ここでなんか変なこと言われちゃうと・・」

 と真剣になって答えるのです。


 余りに懸命なので

 「いやいや小林さん、洒落だよ洒落」

 と慌てて馬さんが言うと、酔った赤い顔を更に真っ赤にしてすっくと立ち上がり、直立不動の姿勢で言ったのでありました。


 「仮に冗談でも言っていい冗談と悪い冗談があります。皆は冗談だ洒落だって言うけれども、私は銀行員ですよ。冗談にも金庫をどうするのお金をごまかすのとからかったりしないで下さいよ」

 と少し目が潤んでおりまして。 実直な人なのでありました。



 人間には様々なタイプがあって、佐川さんや小林さんのように洒落によっては、単なる洒落と軽く流せない生真面目な人が世間にはいるものでありまして。そういう人には自分の感覚と同じ気持ちで、デリカシーに欠けた事を言わないようにしなければならないと痛感することがあります。


 友人達と話している時だってそうでして。自分では場を賑わせているつもりでいても、中には気まずい顔になってしまう人もいます。自分は何とも思わなく言った事でも、人によっては辛辣な発言と受け取られてしまう事もままあるものでして。

 そんな時には決まって、誰もがみな自分と同じ価値観を持っていると勘違いして話している自分を、猛反省してしまう私なのであります。

 


 小林さんの真剣に訴えるような声を遮って、佐川さんのびっくりするような大きな声が。

 「止せよバカ。本当に怒るぞ。鍋ひっくり返ったらどうすんだよ。」

 「こいつ、わざわざ席から立ってさ、俺に酒つぎに来てくれたのかと思ったらチチ触りゃあがって。何なんだよお前」

 「おっさん、男のくせに豊満なチチなんだもん気になるよ」

 そう言われると佐川さんも怒っていたくせに、胸の膨らみを皆に見せておりまして。


榎木さんと佐川さんのじゃれあいを、鬼頭さんは冷ややかに眺めながら言いました。

 「ところで、今年は噺家さんに出て貰ったが、来年の二周年には、自分達が出られるようにしたいものだねえ。うん、是非に」

 「来年は頑張りましょうね絶対。師匠、気合を入れて練習しましょうね、お願いします」



 大盛況に終わった一周年記念の会が、阪神淡路大震災のその日であったとは。

この町内でこんなに楽しく大宴会をしていたその時に、遠い地で六千人以上もの人が亡くなる大事件がおきていたなどと、仲間達の誰にも分からない事でありました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る