一周年記念の日 2 さあ開演です
噺が進んで行って私の目の前には、久しぶりに会う笑遊師匠の懐かしい顔がありました。瓜ざね顔のいい男、と言いたいところではありますが、決してお世辞にも言え、ま、せ、ん。(ゴメンね、正直な私で)瓜のようにひょろんと長い顔をし、眉も目も噺家に丁度いい男、せめて「超・ど・いい男」と分割して書いて差し上げましょうか。
芸風は学生時代からのそのままで、ヘロヘロフワフワとした態度で極楽トンボのような、ノー天気で底抜けに明るく楽しい噺家でありまして。ちょっぴり卑猥な感じがしないでもなく、本人自ら進んで
「わたくし、落語界の歩く生殖器って呼ばれてまぁすぅ」
と言うと、会場では「いやだぁ」と笑いながらも中には頷く人もおりまして。
「学生の時、先輩の所へ何度か行ったことがあるんですがね、ここ何年って行かなかったら道わからなくなっちゃって。で、あたし、蒲田の駅前で聞いたんですよ。そしたら誰も知らないんですよ。」
「ねぇ先輩、確か駅前で俺んとこの会社の名前、言ったらすぐ分かるって言ったんですよぉ」
と先輩を立てるように言うと、誰かが
「蒲田の駅前じゃぁ無理だわ。家の近くだったら、知ってるよっていう人もいるけどなぁ」
と笑って言いました。
すると彼はそのお客に向かって、妙に真剣な顔で言うのでして。
「でもね、お客さん。それが分かったんですよ。ええ。本当にっ!」
「 『え~、この辺でぇ、今にも潰れそうな会社でぇ、藤戸製作所って言うんですけど知ってますかぁ』って大きな声で聞いたら、ああ、それなら知ってるよって言うんですよ。 先輩、だいぶ有名な大会社なんですねえ」
馬さんはニヤニヤ笑っておりまして。
「そりゃぁ有名だよ。藤戸さんなら誰でも知ってるよ」
などとヤジが飛びました。
鬼頭さんもニヤリと笑っております。
「私ね、笑遊って名前なんですよ。よく覚えて下さいね。笑遊ですよ、笑遊。」
「偉い人だからって『お』をつけて丁寧に呼んでくれなくっていいんですよ。『お』を付けてくれるとですねぇ『お笑遊』んなっちゃって、お醤油と間違えられちゃいますからねぇ。」
「そんでね、私には妻がたった一人いるんですけどね、これが又いい名前でして、 『きっこ』ってんですよ。おあつらえ向きのいい名前でしょ。キッコーマン笑遊なぁんちゃってね」
さんざんフニャラフニャラと引き付けて笑わせ、更に佐川さんの所が床屋さんと聞いて知っていたのか偶然だったのか、「不精床」を演じ始めました。
「ええ?理容室?バーバー? ここがかい?ずいぶん汚ねぇ床屋だねぇ。」
「何てぇ名前だ? なに、ヤング?ババァのヤング? へえぇ、これが理容室ねぇ」
「全く汚ねぇハサミだねぇ、何だいこりゃぁ。 汚ねぇ水だねえ。おや、ボウフラが沸いちゃってるよ、汚ねぇなぁ、おい」
先ほどまで会場を飛び回っていた佐川さんでしたが、床屋の話をやると知って喜んで聞いていると、話があまりにも汚いのですっかり沈み込んでしまいました。
(ああ佐川さん、ごめんなさいね。彼は知らなかったので悪気はないんですよ。私、どうせなら佐川さんの為に「浮世床」をやって欲しかったな。町内の人々が床屋さんに沢山集まって楽しんでいる様子の噺で、それなら佐川さんにもきっと喜んで貰えたことでしょうに、残念)
会場の皆には大爆笑の楽しい落語でしたが、彼にだけはどうしても愉快な話に聞こえなかったのでありました。
武田さんはとても嬉しそうに「あらあら」とか「まあまあ」とかを連発して、コロコロとよく笑っておりました。笑遊師匠のオーバーな演技に「いやだぁ、もう」などと呆れたような声も上がり、会場はどっと盛り上がっていくのですが、それと比例するように佐川さんは静かになってしまいまして。
「どうしたヤング。もっと綺麗にしろよ」
などと榎木さんがやじると、もう会場から佐川さんの姿は消えてしまったのでありました。
地震の為に来られなくなって代わった芸人の声帯模写の懐かしい歌に、「似てるね」とか「そっくりだ」とか、又「全然似てないよぉ」などという言葉が聞こえたりしていましたが、時々歌の頃合を見計らって掛け声がかかりました。
「ひばりちゃーん!」美空ひばりの大好きな武田さんです。ウットリとして落語研究会会員から、もうすっかり「美空ひばりファンクラブ会員ナンバー・への五十八番」に変わってしまっておりました。
そして鬼頭さんまでもが
「声の質はまあまあというところだが、美空ひばりのこぶしってぇのは、あんなもんじゃぁないね。あれは物真似芸人がやっているのを更に真似ているってぇやつで、彼は自分の技を出して歌ってはおらんようだねえ」
と急に音楽評論家に変身していたのでありました。
トリは笑遊師匠の先輩が勤め『時そば』をやりましたが、これもまた武田さんが蕎麦屋の女将さんであることからの配慮だったのでしょうか、大いに武田さんを喜ばせてくれました。それでまた、武田さんはひばりファンから素早く、お店の経営者へと変わったのでありました。
噺が終わると寄席の会場は大急ぎで宴会場に模様替えとなりました。お客も全員で会議用のテーブルを並べ座布団を敷き、手際よく弁当や飲み物を配りそれは見事に、一気に大宴会場を作り上げてしまいました。
演者も仲間に入りひと時を、町内の住人になったような気分で過ごしておりまして。下足を預けた時に渡された紙がクジになっていて、当たった人には郵便局や銀行等に協力して貰った景品が配られました。
浦辺さんは会社の写真入テレホンカードを用意し、笑遊師匠達も自分の名入りの手拭や扇子を、かけ問答のお題提供者にサービスしてくれまして。
会はとても賑やかで二千円也の入場券も、決して高いものではなかったようでありました。
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