第18話 初めてのお客

 己を知らない、知ろうともしない我が研究会の面々は、着物を揃えたいと師匠に訴え続けました。テレビに出て来る噺家達のような、ど派手な色の着物が何としても着たい、それが皆の夢でありました。


 そしてその夢と同じ位に色々な所からお座敷がかかり、落語と仕事の両立は難しいと嘆いてみたいという、有り得ないことだけれどそれも又、皆の夢でありました。

諦めないで努力すれば叶うからこそ、人は夢をみて頑張るのでしょうが、この落研の仲間達は、夢をみるだけで努力などは全く致しませんで。

  


 芸の精進などという言葉はどこかに置き忘れて、来るはずのない出演依頼に備えて、色とりどりの着物を作りたいのだとうるさいことうるさいこと。小さな子供のおねだりならまだかわいいものの、五十面さげたオヤジ達が欲しい欲しいと叫んでみても、スケジュール表の一行にだって、出演予定とは書き込めませんでした。

 


 ところが、ところが、でありました。誰かのこねたダダのお陰でしょうか。出演の依頼があったのですから不思議です。しかし、依頼というと大げさで本当は、出してやってもいいよ位のものだったのですが、皆には大きな喜びでありました。

 

 早速着物を作ろう。誰が何色を着ようか。自分は何色が好きだ。俺は顔が良く見える色にしたい。羽織はどうする。共の色で揃えようか、それとも色違いの方が映えるだろうか。順番はどうするか。大喜利は台本がなくても大丈夫か。

 そんなこんなで大騒ぎして、練習日以外も連日打ち合わせの大宴会となりました。

 

  しかし、ここで本来ならばどんな出し物にするか、噺は仕上がっているのか、練習は十分なのだろうかとまず考えるものでしょうが、師匠がわざと放っておいたら、とうとう最後まで誰一人として、そんな有意義な発言をする人はおりません。

師匠はどうせ十分か十五分位の持ち時間なのだろう、自分一人で大丈夫だからと皆を大いに楽しませて、何日か夢を見させて過ごしたのでありました。



 ところが数日後、今度はパーティーの時間の都合で落語は割愛させて欲しいという連絡がありまして。皆は大いに力を落とし怒り狂いました。幸いにも着物はまだ注文していませんでしたし,その為に何かを犠牲にした訳でもありませんから、問題は何もなかったのに怒りはなかなか収まりませんで。


 「大体にだ、俺達を何だと思ってるんだよ」

 「三谷の奴め、今度何か頼まれても誰も言うこときくなよ」

 「俺、借金ちょっと残ってるけど返さない」

 「広原さんとこ飲み代貸してない。あったらゼロひとつ多くしときなよ」

 


 ブンブン文句を言って、皆グイグイ飲んでおります。師匠が笑いながら

 「ところで、もしキャンセルされなかったら皆どんな噺やったの。」

 「誰かマジに話せる人いたっけかな」

 と言うと

 「勿論、それならそれで考えがあるっつうもんだ」

 「そうさ、俺だって山にこもって修行しようと思っていたんだよ」

 「俺も。滝に打たれるつもりだったし」

 「何だよ、山伏じゃぁあるまいし」

 「いや、酒も女も断って芸を極めるつもりだったし」

 と、勝手なことばかり言っております。しかしそれもほんの一瞬のことで

 「だけど本当は良かったよな、中止で」

 と、本当にほっとしたように言うので皆大笑い。

 

 

  「俺たち学生の時にね」と、これは馬さんの経験話でありまして。

町内のお祭りに落語の出演を頼まれて、三人の後輩を連れて出かけて行きました。民謡や踊り等の出し物が沢山あって、自分達の出番まで控え室で待つように言われまして。 しかし待てど暮らせどお呼びがない。


 とうとう出番がないままお祭りは終了。係りの人がこの素人の落語家達の存在を、すっかり忘れてしまっていたのでありました。後で町会長さんが大変恐縮しながら、ビールやお酒やらをどっさり届けてくれて、山のような贈り物のお陰で楽しく酒盛りをしたそうで。


 その後輩達もめでたく今では立派な真打になっておりまして。因みにこの「にせ師匠」の後輩には三遊亭笑遊、林家正雀、桂幸丸、古今亭志ん馬などなど、沢山の噺家さんがいて、彼らはみな「正真正銘の師匠」と呼ばれる人であります。



 そんな訳で着物のことは又もや先送りの話となりましたが、浴衣は絶対に次回には持って来るようにと互いに念を押しました。以前、着物を作りたいという話があった時には、あれほど先ずは浴衣を着る練習からと、意見が落ち着いていたにも関わらず、今日もまた誰も持参してはいませんでしたから。



 そして次の練習日には皆が揃って浴衣を持って来たのは良かったけれど、季節はとうに夏を過ぎておりまして。勿論ストーブを炊くにはまだまだ早く、猛暑だ残暑だと文句を言っていた頃が懐かしい、うすら寒い日でありました。皆の姿を見て

 「何だか季節はずれの幽霊みたいだなぁ」

 と師匠が言うと、鍋さんが細い身体に浴衣をハラハラさせながら、「ウラメシイ~」とふざけて見せました。身体をくねらせると余りにもリアルでゾクッとする程でしたが、ふっくらした大埜さんがやると全く幽霊には程遠いものでありました。



 「さ、ひとつ『へっつい幽霊』でもやってみるか」

 と師匠が言って高座に上がりかかると

 「へっついって何ですか。どんなお化けですか」

 と弦巻さんが興味深そうに聞いたので、鬼頭さんが渋い顔をして答えました。

 「お化けじゃぁないよ、へっつい幽霊だよ」

 「お化けじゃなく幽霊ですか。お化けと幽霊って違うんですか」

 「そりゃぁ違うよ。皿屋敷でうらめしぃ~って出て来るお菊さんが、一本足のから傘お化けだったら興ざめだよ」

 「ところでへっついって何ですか」


 鬼頭さんがもっと渋い顔をしたので、今度は師匠に向かって真剣に尋ねました。

 「へっついって言っても分からないかも知れないな、若いからねぇ。」

 「竈の事だよ。なに、かまども知らない?」

 「昔、ほら、鍋とか釜とかのっけて飯炊いてたでしょ。時代劇とかで見たことない?」

 「はぁ、そうなんスか」

 「竈って言葉、知っててもいいと思うよ。かまどが賑わうなんてぇと暮らし向きが豊かだってことだし、反対にかまどを破るってぇと、破産するとか身代が潰れるとか言うことだし」


 

 「しんだいって何ですか、寝台車みたいですね」

 「身代って? 身代を築くとか身代を潰すとか言うでしょ。財産のことだよ。弦巻さんとこはお父さんが今の身代築き上げたんでしょ。鬼頭さんのとこは」

 と言いかけると、鬼頭さんは嬉しそうに自慢げな顔をして、先祖の代からの歴史までさかのぼって説明が始まりました。

 はいはいそうですか、と皆は弦巻さんを鬼頭さんに向けておいて、自分達は着物の練習に戻りました。



 鍋さんがどうしても上手く帯が結べません。よぉく見ると帯が極端に短いのでありまして。そういえばいつかの練習日に、着物を着る練習の前に帯の結び方を練習したことがありました。その時に鍋さんのウエストが細すぎて、グルグル巻いても余ってしまうので、詰めて調節して来るようにと言われていたのですが、どうやら切る箇所を間違えて短くなり過ぎたらしいのです。


 武田さんは相変わらずかわいらしくって、オバハンオバハンと榎木さんにからかわれています。そんな中を評論家もどきの私はいつもの通り、皆のすることに口を挟んで歩き回っておりました。



 せっかく着物を着たのだからと、そのまま高座に上がって喋ってみることになりました。大埜さんは「ねずみ」を、と請われましたが「中身が完全ではありませんから」と遠慮をすると、あとのねずみ達も続こうとはしませんで、今日は七匹のねずみの出演はありませんでした。


 「それでは私が新しく考えて来ました噺をひとつ」

 と、最近では創作に一層力を入れてきている鬼頭さんが高座に上がると同時に、三人のお客が入って来ました。広原さんのお店のお客で釣りの帰りだそうでして、皆には初めての観客でありましたから、大歓迎でビールをどうぞ、おつまみをどうぞとサービス満点で迎えました。



  鬼頭さんの噺もちょうど釣りの話で、観客にはぴったりでして、興味深く聞いてくれていましたが、やれ竿がどうの餌がどうのとやたら能書きが多くて「まくら」が随分と長すぎる。われ等には毎度のことですが、お客には少々じれったく感じられるらしく、暫くするとやんやのヤジでして。


 「どうしたぁ、釣れないのかぁ。餌が悪いんじゃぁないのか」

 「私は釣り、全く分かりませんので潮干狩りに変更しました。何が採れたかってぇとアサリがあっさり採れましてぇ」

 「釣りに行ってぜんぜん釣れなかったので、帰りに魚を買いました。お金を払ってつりはいらねぇ」



 全く鬼頭さんを無視して三人でふざけて大喜びしております。ここへ来る前にもだいぶ飲んでいたらしく、口調もちょっとおかしくなっています。それでも鬼頭さんは悠然として両手を膝につっぱるように置き、首を少し傾け気味にやや斜め右前方を眺めながら話しております。


 私は一番前の席で暫く話を聞いていましたが、本当に退屈でたまりません。。

ひょいと後ろを見ると最後部にいる筈のお客の、三人がたった一人だけになっているではありませんか。見えなくなった二人は、と探すと、テーブルの下に潜りこんですっかり眠っておりました。


 しかし、つきあいの良い辛抱強いこの人は、もう陥落寸前でありまして。 彼の眠くてクランクランと揺れる頭に、先ほどの鍋さんの、幽霊のようなフワフワとした動きが重なって、私は思い出し笑いを堪えるのに必死でありました。



 鬼頭さんに背を向けたまま私がクックッと笑いをこらえていると、その私の懸命さとお客の様子に皆も気づいて、全員が一斉に笑い出しました。すると鬼頭さんは自分の噺に皆が笑ってくれたのだと勘違いして、より肩に力が入り十分で終わるつもりでいた噺を、三十分近くもやってしまいました。


 素人の余り面白くない噺を、そんなに長い時間聞くのはとても苦痛でありますが、今日はそうならなくて済んだ、ありがいお客でありました。


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