第8話 高尚なお坊さま、ですか?
会が始まってから数年間は、どこかの組の集会と間違えそうなほど、どいつもこいつも、いえどなた様もパンチパーマがお好きだったようで、われ等落語研究会はまるでパンチの集団でありました。 広原さんなんぞは特に、薄黒い色の入ったメガネを着用いたしておりましたから、それはそれは迫力あるお兄ぃさんでありました。
しかしある時からそんなど迫力のお兄ぃさんの頭に、あらっ! 清らかな天使の輪っかが・・と思えるような毛配、否、気配が見え始めると、次第に髪が寂しくなり出して、頭頂部がうっすら涼やかになって参りました。そのうち、あれよあれよと言う間にオゾン層の破壊のように、小さな穴が開き始め環境対策の手遅れからか、とうとう長い友である髪に、別れを告げる日が来たのでありました。
広原さんの潔さと言ったらそれはもう、男らしい! の一言に尽きるものでありました。残り少ない横の毛を右から左へ、大横断させて貼り付けるという悪あがきなどはせず、バッサと刈ってツルッとさっぱりさせたのでありました。
初めのうちはまだ剃り跡が黒かったり(刈ったり)、青かったり(刈ったり)・・と、くどい駄洒落ですか、これは失毛い(失敬)しました・・していたのが、次第にツルツル、ピカピカとなり出して、時にはほんと、眩しくて大変なんスからもう。 後光が射しているようであります。
ですからあの広原さんと面と向き合うと、何だかこう妙にありがた~い気持ちになって思わず、私のぶっとく皺だらけのお手手とお手手を合わせて「なむぅ~」と言ってしまいそうになるのでございます。鬼頭さんの創作落語に出て来る、クリーニング屋の爺さんが変装したお坊さんの唱える、『かいきゅうけんご~ら~くぅ・・』の、あのありがたいお経が聞こえて来るような気が致します。
いよいよその坊主、いや広原さんの出番であります。
彼豊楽さんは師匠の持ちネタである「子別れ」という人情話に、大変惚れ込んでしまいまして、とうとう自分のネタにすることになりました。
それは遊び人だった元亭主が,二人の間をとりもってくれた子供のお蔭で、別れた女房とよりを戻すという涙の物語でありまして。
この話を練習中に豊楽さん、気持ちが入り込んで自分が泣いてしまったという、鬼の目にも涙の物語を観客にぜひ聞いてもらいたい。 そして自分と同じように何人の人を泣かせることが出来るでしょうかと、とても意気込んで迎えたこの日でありました。
初めて高座にかけるので、まだ少々不安もあったらしく、一番前の横の席での出囃子の担当をしている私に、途中で危なそうになったら助けて欲しいと台本を渡したのでありました。
軽く受け止めた私がいけなかったのでしょうか。それともこんなに早いうちに、つっかえてしまった豊楽兄さんがいけなかったのでしょうか。
あぁ何ということか、まだ「まくら」(本題に入る前に話す部分)のところでありましたよ、その時歴史は動いた! いや、ちっとも動かなかった。
「ってぇと、なにかい・・ってぇと。 それからどしたい。それからってぇと・・で、どうなんだい、次の言葉は何なんだい、ちどり姉さん・・して、ちどり姉さん・・」
ちどりちどりと呼ぶ声。悲痛な叫びだったんですねぇ。 ムンクのあの絵を思わせるような。まさかもう詰るなんて、古くなり過ぎた水洗便所のようじゃござんせんか。 つまるところ、こんな大噺をいきなりこのような晴れ舞台にかけるという考えの軽さは、あっさり水には流せませんようでして。
するってぇとやはり、これは明らかにアッシのせいでござんすねぇ。アッシはまだまだあっし、いえ安心しておりやしたんで。 ですから台本を追わずに次の下座の確認なんぞをしておりました。
しどろもどろになっている豊楽さんの声にはっと気がついたけれど、時すでに遅しでありまして。彼は深々とおじぎをして高座を後にするところでありました。賑やかに下座をならすのには大変に気がひけまして、何だか申し訳なくて申し訳なくて。
そこで、やはりでしゃばりな私のことでありますからとっさの判断で、ざわざわしている観客に呼びかけたのであります。
「あの~ぉ、みなさ~ん、聞いて下さいなぁ~・・」
必死の声に観客は何事かと思ったことでありましょう。
「実は豊楽さん、この話が大変気に入りまして。 あのぉ、人情噺ですごぉくいいお話なんですよこれ。 本人も一生懸命に練習して、話のあまりの切なさに、自分自身が何度も泣かされたんだそうです。 それで今日は皆さまを泣かせたいものだともくろんでいて、反対に本人が泣いてしまった、というオチになっちゃいましたが、次回こそは素晴らしいものを聞いて頂きますので、是非よろしくお願いします・・」
今にして思えば、これってフォローになんかなってませんでしたね。やっぱりでしゃばりなアッシの考えは浅はかで、人情噺を聞かずとも涙が出てきちゃいます、ほんと。
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