第6話 マイペースの五合(ごんごう)さん
こんな下らない会話に鬼頭さんが乗って来ないのは当然のこと。けれどもう一人、われ関せずとおとなしく、皆の会話を静かに聞いている人がおります。
その人は五合さんといってなかなか不思議な個性の持ち主でありまして。ま、五合さんに限らず会の仲間達は、全てが独特の個性の持ち主ですけれど、とりわけ彼は抜きん出ているとでも言いましょうか。
新聞の読者の投稿欄に載った私のエッセーを見た彼は、すぐに新聞社に手紙を書いて、私に連絡をしたいと言ってきたそうです。新聞社から貰った名刺を見ると、何と偶然にも同じ町内の住人ではありませんか。私は至急電話をかけました。するとあまりの偶然に彼もひどく驚いて
「大田区だけしか書いてなかったから、まさか同じ町内だとは思いませんでした。いやぁびっくりしたぁ」
と、どこかなまりのある口調で言いました。
そしていつまでも驚いた驚いたと言ってばかりいるので、本当にびっくりした様子が伝わってきました。
「生涯学習に何かやりたいと思っていたところなんですよ。まさか素人で落語の勉強ができるなんて・・」
と感激はなかなか収まりません。
そんなに喜んでいただけますればと、お節介な私のことですからその場ですぐに、会の詳しい説明をしようと致しました。まずこの会は皆いろいろな職業の人が集まっていて、その職業から芸名を付けているので、貴方は因みにどのような職業ですかと丁寧にお尋ね致しました。
すると、この五合さんが不思議な人と思われる第一歩が、この時からもう始まったのでありました。
「いやぁ、私は人に言えるような仕事をしていませんのでちょっと・・・」
「はぁ? お仕事なさっていませんの」
「いや、仕事はしていますけど、ひとには言えないんですよ」
「住所、すぐ近くのようですねぇ。工場か何か経営なさっています?」
「いや、ほんと、言えないんですよ」
「分かりました。しつこくお尋ねするつもりはありませんから、失礼しました。
では、よろしかったらですが、お近くですもの伺いますけど」
「いや、来て頂だかなくても結構です。分からないと思いますから」
「それじゃぁ、もし入会を希望されるようでしたら、多分、番地が近いようですから・・おたくヤングさんっていう床屋さんご存知ですか」
「分かりません」
「では、電話番号お教えしますので、詳しいことはそちらに・・・」
まずはこんな会話でお付き合いがスタート致しました。
すぐに彼はヤングさんのお店を捜して訪ねて行きました。やはり同じ会話がなされたそうで、業をにやしたヤングさんは言ったそうです。
「人に言えないような仕事って何なんだよ!」
「人に言えるような立派な仕事じゃないからとぉ? 職業に立派も葉っぱもあるもんか。」 (うまいぞヤングさん、そのとおり!)
「どこに住んでいるかも言えないようじゃぁ仲間になんかなれないな。」
初対面の、それも年上の人にお説教をしたそうですが、この素直な五合さん。本当に控えめというかおとなしいというか、ヤングさんの迫力にすっかり負けてしまって、とうとう白状?してしまったそうです。
聞いてみれば何のことか、あの榎木さんの会社のすぐ側の小さな路地をちょいと入った所の、こじんまりしたアパートの一階にある小さな工場を借りていて、自宅は馬込の方にあるとのことでありました。
「あたい、おじさんの仕事、知ってるよ。頭にど・がつくでしょう」
「おおそうだ。 どがつくぞ、よく知ってんなぁ。で、何だい言ってみろ」
「ど・ろ・ぼ・う」
「ばかいえ、このやろう。道具屋だ」
と、落語でこんなのがありますが、私は五合さんが人に言えない、言えないとあまりにも言うものですから、ちょいとどのつくものを想像しそうになりました。
五合さんという芸名はそんな訳で、彼が職業にあまりこだわりたくないものとみなし、酒之家に因んだものを考えることになりました。そんな時に張り切るのはやはり私なのでございます。例によってすぐ
「酒とくれば、一升びん。一笑なんてどうかしら」
「どうも一升ってほどじゃぁないんじゃないの」
と師匠が言いました。
「じゃぁ半分の五合だったら・・精進したら七合とか八合とか上がっていくってのもいいアイデアじゃないかしら」
「ならいっそ五酌からいくか」
と師匠が言えば、いや五合がいいと皆は言いました。
五合に決まりだ、とすんなり決定しますと、彼はそんな半ちくな名前をいとも嬉しそうに、ありがたがって頂戴したのでありました。
わが落語研究会では控えめが過ぎると損をしますよ五合さん。名前まで半分削られてしまったじゃぁありませんか。ずうずうしい皆だったら、きっと一斗って言いますよ。えっ、洒落かって? かもね、へへへ。
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