第5話 怒っちゃ嫌ですよ
ごめんなさいね、ヤングさん。スカイブルーの前に親切で心の温かい、「真っ赤に燃えるハート色」のヤングさんのことを、紹介しなくっちゃいけませんでしたね。
会の発足から暫くたつと、私は馬さんの親友であるヤングさんと、次第に色々なことを話せる間柄になって来ました。最初は勿論のこと、当分の間はさすがにでしゃばりな私ではあっても、先輩達には少なからず距離をおいて話すところでありました。けれどヤングさんが馬さんよりも先輩であるにもかかわらず彼をたててくれ、会以外の所でも馬さんを大事に思ってくれるので、私にとっても大切な存在になりました。
バブルが崩壊してから数年の間に、私達夫婦には劇的な出来事がありました。
決して笑いだけは忘れることのないように、と努めた日々でしたが正直なところ、心底から笑えない程の苦難の毎日でありました。
長年の付き合いの親会社が海外に行ってからというもの仕事量は激減してしまい、社長である馬さんは絶好調から、一気に奈落の底に転落してしまいました。工場は銀行のものとなり、それからの経営も最悪状態に陥りました。
私にとっても、生まれて初めての耐乏生活が始まったのでありました。
そんな馬さんをヤングさんは自分の事のように心を痛めて、仕事の合間をぬっては様子を見に来てくれたり、飲みに誘ったりと励ましてくれました。何もかも失くして裸同然、いやそれ以下にまで落ちてしまった馬さんでしたが、決して失くならないものがありました。沢山の友人でした。
馬さんには友というかけがえのない宝物がどっさりと残っていたのです。本当に有り難いことでした。人生捨てたものじゃぁありません。負けん気の強い馬さんは、友人という強い強い味方を何人も得て、ますます仕事に精を出し頑張りました。
ある日、あぁもうこれまでか、という時に、従弟や学生時代の友人らに窮地を救って貰う出来事がありました。嬉しくて私がその報告に行くとヤングさんは、仕事場からそっと抜けて奥の休憩室に私を誘ってくれました。そして私の報告に一つ一つ喜びを噛み締めるように頷き、まるで自分の事のように喜んでくれました。その姿に目頭が熱くなり出した私に、彼は入れたての熱いコーヒーを差し出しました。
狭い室内に良い香りが充満し、湯気が目元をくすぐると、我慢していた私の涙を、一気に吐き出させようとしました。苦労知らずの私でしたから、力量以上の辛抱をしていたので、とうとう身内以外の人前で涙を流してしまいました。
こんな不況の時代に自分の身を顧みず、他人の窮地に手を差し延べてくれたその人達の行為に、涙が流れたのは言うまでもありませんがそれ以上に、心の底から心配し心の底から喜んでくれるヤングさんのハートに、涙が止まらない私でありました。
どれ位の時間が過ぎていたのでしょうか。「そろそろいいかしら」とパンチパーマのお客が待っていることを告げられるまで、室内の明かりを点けずに、私に思う存分涙を流させてくれたヤングさんでした。
いつの間にか窓の外も真っ暗で、スイッチが入ると室内はパッと明るくなりました。部屋はヤングさんの、「熱く燃える真っ赤なハート色」に染まりました。
そんな馬さんにも私にも大切な、燃える真っ赤なハート色のヤングさんを、こともあろうにスカイブルーの金ちゃんは、平気でおちょくるのであります。この研究会では重大なるルールがあって、一日たりとも先に入った方が兄さんで、たとえ不本意であっても敬わねばなりません。
それなのに、恐れ知らずでお調子者のスカイブルーは、大先輩の兄さんと顔を合わす度に余計なことをぬかしおります。
本人はいたって洒落たつもりでいるのでしょうが、この燃える真っ赤なハート色には、スカイブルーの洒落が通用する訳がありません。
よって彼が大先輩にものを言うと必ず、燃える真っ赤なハート色は更に真っ赤に燃え上がり、ついには大炎上するのであります。
でも怒っちゃ嫌ですよ。血圧が上がりますよ。われ等夫婦には大切な恩あるヤングさんなんですから、元気で長生きしていただかねばなりません。
あ、そうそう。スカイブルーったら自分の若さをひけらかして、落研の大先輩諸氏に向かってこう言うのですから。
「もっと若い人に入ってもらうようにしましょうよ。私が一番若いでしょ、年寄りの世話はもう大変なんスから。」
「やだなぁ、皆の葬式に俺、どんだけ出りゃぁいいんだよ。香典代がたまらない・・・」
こんなこと言われたら勿論のこと、大炎上致しますよヤングさんは。
そんな時、私はすぐ言い返してしんぜるのであります。
「遠慮はいらないわよ金ちゃん。この会は師匠より上手くなったら破門だけど、葬式には順番ないからいつでもおさらばできるわよ。」
「高齢化社会だもん、このメンバーは図太く生き永らえますからね。 遠慮なくお先にどうぞ」
ヤングさんへのせめてのご恩返しに、言って差し上げたつもりでしたが、そこへ更に榎木さんが友情の弁を。
「おい金ぼこ、安心せい。俺が死に水取ってやっからな」
すると師匠までが
「金ちゃん、首のしこり大丈夫か。俺のとは違うようだぞ、ガンじゃねぇのか」
と、自分の切開して平らになったしこり跡を指して言うのでした。
「何言ってるんですか、師匠のは垢が溜まってしこりになってたって言うじゃないですか。汚いったらないですよ。僕のこの膨れてるのは垢なんかじゃないですから、もう清潔なんですからね」
「垢じゃないんならお前、なお心配だよ」
「嫌ですよ、そんなぁ。ガンでも垢でもなく、病なしの清潔な首ですよ」
と、スカイブルーが湯上りの顔で言うと、本当にきれいな首に見えました。
そういえばこの金ちゃん、やけに首が長いように思えますがもしかして、夜な夜な行灯の油をペロ~リペロ~リと・・
「大丈夫なら汚くても垢で結構よねぇ。墓に用があっちゃぁお終いだもんね」
とはかばかしくない洒落で締める私なのであります。
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