第3話



     ◆



 ねぇ、アダ。知ってる? 人間にはね、一人に名前がいくつもあるんだって。


 唐突に、だけどいつものように、イヴはそんなことを話掛けてくる。その日は、二人で村はずれの廃墟に、隠すようにあった地下シェルター来ていた時だった。村の大人たちは知りながら、無意味なものだと切り捨て放棄していたそれは、アダとイヴにとっての秘密の場所だった。

 データベース。イヴはそう言っていたが、そこを呼称する正式な名称は誰も知り得ない。ただシェルター内には、人間が生きていた時代の記録が、ペトリクレイの技術を応用した有機石版として保管されていた。文字が読めず、理解力にも乏しいアダは、隣にイヴが得意げに話す知識に、耳を傾けるのがそこでの日課のようになっていた。


 どういうこと?

 イヴは、イヴのことを『イヴ』としか呼ばないでしょ? それにアダは、アダのことを『アダ』としか呼ばないでしょ? 人間たちはね、自分たちのことを個体名だけじゃなくていろんな名称で呼ぶの。

 ……ごめん、よくわからない。

 例えば……『ワタシ』。

 ワタシ?

 そう。ワタシは、イヴって、人間は言うんだって。

 変なの。

 どうして?

 それじゃ、そいつが『ワタシ』なのか、『イヴ』なのかわかんないじゃん。


 壁沿いに規則的に並べられた有機石版に背を預けて、知ったかぶったフリをすると、移動式の脚立に器用に腰掛けていたイヴは、クスクスと喉を鳴らした。


 だよね。でもね、昔の人間にはそれが凄い大事なことだったんだよ。

 なんで?

 人間はさ、イヴたちみたいに見た目からはっきり現れるほど、共通した遺伝子が少ないの。いろんな人たちの遺伝子をまぜこぜにして、いろんな顔や、形……髪の色とか、肌の色とか、いろんなパターンを生み出して生まれるから、同じ形はないの。『十人十色』って言葉があるくらい、人間たちの外見は似通わないものだったんだよ。だから人間たちは、自分を表す最少の単位さえ規定すれば、自己を表現することができるの。

 それが、『ワタシ』ってこと?

 うん。他にもね、『カレ』と『カノジョ』は性別で別れるし、地域によって『ワタシ』も、『ワイ』とか『ウチ』とかに変わったりするんだよ。

 うーん……? なんか、気持ち悪い。というか、よく覚えてられるね、人間たちは。

 ゴーレムから見たら、そうかもね。でも人間たちからしたら、同じ規格で、同じ顔のゴーレムも、ちょっとおかしいって思うかも知れない。

 そうなのかな……? アダは、そうは思わないけど……。

 不思議だよね。きっと人間もゴーレムも、生まれ持った心だけで自分を造り出すことは出来ないんだと、イヴは思う。だって、自身を構成している要素は人間もゴーレムも変わらないはずなのに、物の考え方は全然違うんだもん。

 うーん……?

 ……アダは、どうしてアダなんだと思う?

 え?

 ううん、なんでもない。


「にーに」


 そんなイヴとの会話を脳裏に浮かべたのは、キリと紹介された幼生ゴーレムの鳴き声のせいだろう。

 アダの呼び名であるらしいそれは、以前イヴが話していた、多様化された人間の呼称の一つなのだろう。『にーに』という言葉が、どういう人物をカテゴリしているかは、想像もつかないが。


「……アダは、にーにじゃない」

「にーにっ」


 訂正するアダを余所に、キリはシートに座ったアダの膝に乗りながら、大きな瞳でこちらを見上げている。全てを反射し煌めく無垢な眼差しからは、しかし肝心な感情を読み取ることができない。しかしキリの興味は自分と、キリがアダの代わりに抱えている繭殻に向いているということは辛うじて理解できた。


「随分懐かれてるじゃないか。誰かに好かれるというのは美徳だねぇ……尊敬するよ、アダ」


 前の運転席から、ルシが声を投げかける。ルシは腕を組みながら自動運転するヴィークルが表示するマップを見つめていた。


「懐かれてるって、どういうことですか」

「そのまんまの意味だよ、難しく考えてないかい? アダはキリに気に入られてるんだよ」

「アダは何もしていない」

「それが美徳なんだって。……ふむ、アダはどうにも人の好意に疎いようだねぇ」


 ルシの分析するような言いように心がざわめきつつも、アダは何も言わずに手を伸ばしてくるキリの手とじゃれ合いながら、二体のゴーレムの頭部を注視する。オーグメントタグには紹介されたとおりの名前が表示されているものの、それに付随する情報を理解することはできない――つまるところ、アダが知らない概念があって、それをアダ自身が文字情報として読み取れていない部分がある……というのを、イヴから教わったことがあった。


「それにしても運命的だね、まさかアダがデータベースの場所を知っているなんて。やっぱり、『情けは人のためならず』なんてことわざは、今のゴーレムの時代には合ってないのかも」

「? アダを助けたことが、ルシたちの利益になっているなら、その人間の言葉は合ってますよ」

「え? そうなのかい? いや『ならず』なんて言うから、人間は人助けなんてしないものだと思ってたのに……」

「にーに、知ったかぶり……」


 非難がましいキリの視線が突き刺さると、ルシは「あ、あはは……まぁまぁそういうときもある」と誤魔化すように呟いた。キリにとっては、アダもルシも同じ『にーに』らしい。


「まぁアダも、イヴに教えられただけですけど」

「なるほど、確かにイヴという子の知識もすごいもんだね。管理局の仕事なんてあまり乗り気じゃなかったけど……うん、俄然興味が湧いてきたよ」


 都市へと向かう道路沿いの小屋で、アダを介抱してくれたルシに事情を説明すると、ルシは医者を自称しながら表向きの役職を紹介してくれた。

 ミームス。旧人類文化的遺産管理局。

 ゴーレムを遺し、地球上から絶滅してしまった人間であるが、人間たちが生前に発展させた歴史的な文化遺産は今でも数多く存在する。建造物などは長年の劣化によって形を保っているものはほとんど存在しないが、一部芸術などは保管用のシェルターが各地に存在し、都市を運営する政府はそれらをデータベースと呼んでいる……奇しくもそれは、イヴが勝手に付けた名前を合致していた。

 資源的思想主義を推す政府として、人間の遺した独自の文化をどう扱うかは日々議論を重ねているようだが、先人の知恵というのは模範的であろうと反面教師的であろうと重宝する大事な資料となるというのが現状の結論であり、それらを保護し解明する組織としてミームスが発足された。

 ミームスの仕事は各地に残るデータベースを調査・解明すること。ルシたちはアダの村の外れにあるデータベースを目指している道中で偶然アダを見つけたらしい。


「本当に、都市へ向かう道路上でアダのようなゴーレムを見てないんですか」

「本当さ。仮にそのイヴという子が都市を目指して道路沿いを歩いていたのだとしたら、間違いなく目につく。他の誰かが先に保護したかも知れないけれど……話を聞く限りイヴは生得的欠陥が見られるし、そういったゴーレムは率先してルシの施設に運ばれてくるだろうからね」

「施設?」

「言っただろう? ルシは医者なんだ。現代の医療施設だよ」

「病気にならないゴーレムに、病院はいらないんじゃないんですか」

「そういうわけにもいかない。ごく稀に、ゴーレムには生得する欠陥があるんだ」


 欠陥。アダはキリを見やる。キリはルシの話に耳を貸さず、繭殻のひんやりとした感触を楽しんでいるようだった。


「アダが文字を読めないように、キリは他のゴーレムを代名詞的にしか形容できないように。原因はわかっていない……あーくの脆弱性とも言われているが、バイタルに影響が出ていない以上病気と判断することもできない。だから政府も、生まれつきの欠陥だと称しているんだ」

「欠陥……」思わず口に出た呟きに何を感じたのか、ルシはやや焦ったかのように言い繕った。

「ああ、言葉が足りなかったね、すまない。ここで言う『欠陥』というのはね、政府の掲げる資源的思想主義……リソーシングソサエティに適さない唯一性の機能、ということなんだ」


 資源的思想にそぐわない唯一性の機能。アダはザウロのことを思い出す。生まれるべき時と、還るべき時が決まっているゴーレムたちに余計な知識は必要ない。なのに知識を求め、知りたがるアダやイヴは、たしかにルシの言う生得的欠陥というものを抱えているのかもしれない。

 キリの抱えた繭殻を撫でる。この繭殻もまた、生得的な欠陥によって生まれてこないんだろうか。生まれていない繭殻に、『生得』という言葉を使うのは間違いかもしれないが、アダにはそれを訂正する語彙はなかった。

 アダはヴィークルの窓から、遠くの地平線を眺める。赤褐色の大地と、空を覆う暗い雲。ひとたび車外を出れば、灼熱に見舞われる環境。この様を、人間はどう判断するんだろう。

 イヴは言っていた。同じ組成のゴーレムと人間で物の考え方が全然違うのは、生まれ持った自分だけでは心を作り出すことはできないのだと。正式な役職ではない医者を先に名乗ったルシは、それが存在していた人間という時代をどう思っているんだろう。


「どうして最初、局員ではなく医者と名乗ったんですか?」

「好きなんだ、『医者』という概念がね」


 好き。昔の人間同士が、掛け合わせに必要な行動原理。イヴが話していたニュアンスの違いに、アダは思わず眉を顰めた。『好き』というのはそういう使い方もするのだろうか。それともさっきのことわざのように、ルシが誤用しているのだろうか。


「きっかけは、間違いなくルシの家の地下にデータベースがあったことかな。元々その土地を管理していた人間が医者だったのか、その関係者だったのか……今は知るよしもないけどとにかく、ルシの家の地下には医学的な資料が大量にあったんだ。

 そこには人間を直すエンジニアの記録が詰まっていて……同種であるはず他の人間を直す医者という人種に、上位種のような優位性を感じずにはいられなかった。ルシは多分、そういう人間に憧れているんだと思う。実際に今の時代に医者の仕事がなくても、そのように生きた人間の軌跡を、なぞってみたいんだ」


 優位性、憧れ。聞き慣れない単語を咀嚼すると、なんとなくルシの人間性が垣間見えてきた。ルシは医者というものを、イヴの言う『好き』をしていて、医者と自分を掛け合わせようとしているんだろう、きっと。


「ルシは、人間になりたいの?」


 脳内で出た結論を、アダはルシに投げかける。するとルシの後頭部が一瞬膠着し、また次の瞬間には声を上げて笑い出した。


「なるほど、なるほど……面白い着眼点だ。人間になりたい、か……。たしかにそうかもしれないね」


 天を仰ぎながら納得したように何度も頷くと、ルシはおもむろにアダに問いかけた。


「知ってるかい? 人間が、ゴーレムを作らざるをえなくなった理由を」


 ねぇ、知ってる? どうして人間が、ゴーレムを作らなきゃいけなくなったのか。


 脳裏のイヴが、ルシの問いかけと重なる。

 そう、聞かされたことがある。どうして人間がゴーレムを作り、滅びなければいけなかったのかを。


「まだ人類が栄えていた頃、世界中にウィルス感染症が蔓延したんだ。それによって世界経済は大混乱して、人々の生活も変わらざる終えなかった。

 そんな中で人類は、ウィルスに対して抗体を作ろうとした。でもそのたびにウィルスは進化していく、それを克服するためにさらにワクチンを開発する……」


 こういうの、いたちごっこっていうんだって。で、最後に勝ったのは人類だった。


「ただウィルスを克服するために、人類はあらゆる外的物資を拒絶するほどの抗体を自分たちに投与した。人間が双性生殖であることは知ってるんだっけ?……ウィルスを克服した人間は、異性からの遺伝子を拒絶するようになってしまったんだ」


 だから、人間は子供を作ることができなくなったんだって。

 皮肉だよね。病気から人間たちを守ろうとして、抗体医療を続けたのに、最後にはそれが原因で滅ぶなんて。


 イブの囁きと重なるようにルシは話し終えると、キリに向かって振り返り、その腕に抱えた繭殻を見つめてにっこりと笑った。


「人間がデータベースを遺したことは、政府でも意見が分かれるところだけど……、人間はゴーレムに人間らしさを失って欲しくなかったんじゃないかってルシは思う」

「人間、らしさ?」


 ルシの言葉に、アダは首を傾げる。実感を伴わない空虚さが、ひどくもどかしかった。


「人間は、愛を犠牲に病気に打ち勝つことができた、それは間違いない。でもルシは、こうとも考える。

 ……人間の愛は、結局ウィルスに打ち勝つことができなかったんじゃないかって。だからこそゴーレムに、人間の遺産を託そうとしたて……人間の文化や、人間らしさを学んでほしいんじゃないかって思うんだ」


 そこまで言ってルシはくたびれた様子で背もたれに寄りかかると、真っ直ぐと息を吐いた。


「大半のゴーレムは、ゴーレムは地球を生かすリソースくらいにしか思っていない。……こういう批判が出る時点で、ルシもアダらと同じ欠陥持ちさ」

「悪いことなんですか」

「さぁね。ただルシは嫌いじゃない」


 アダはイヴのこと、好き?


 イヴと最後に会ったあの日のことを思い出し、もう一度繭殻に手を伸ばそうとすると、それに気付いたキリがこちらに繭殻を差し出した。

 イヴは何を考えて、アダとのゴーレムを作りたがったんだろうか。

 アダはイヴを、愛していたんだろうか。これがわからないのは、生得的欠陥によるものなのだろうか。はたまた資源的思想に殉じるゴーレムとして正しい姿なんだろうか。村の大人たちは、資源的思想をあーくのもたらす秩序だと解釈していた。ルシはあーくを作った人類は、人間らしさや愛を持って欲しいと解釈した。わからないものを、知らないものを解釈するのは、それを理解することに繋がるとはアダには思えなかった。

 ならアダは、アダをどう解釈すればいいんだろう。

 アダには、アダがわからなかった。


「にーに……? まだ、調子、悪い?」


 胸元から不安そうな声が上がり、アダはキリを見下ろす。キリはアダを見つめながら、眉尻を下げていた。

 会ってから間もないアダを、この幼ゴーレムは心配してくれているように見えるのは、アダの錯覚だろうか、それともキリの本心だろうか?


「心配してくれてるの?」

「うん」

「なんで?」

「んー、心配だから?」


 とりとめのないキリの答えに困窮していると、ヴィークルの車体が大きく揺れた。舗装されていた道路から外れて、荒野へと飛び出したのだ。

 ルシの言葉は正しいとするなら、イヴが都市へと向かっている可能性は少なく、もし向かっていたとしたら誰かに保護されているだろう。それなら後で安否の確認はできるが、問題なのは他へ行ってしまった場合だった。聡明なイヴがそうするのは考えにくいが、もしこの荒野をあてどなく彷徨っているのだとすれば命に関わる……最悪、もう死んでいる。

 腹の底が凍えるような感覚が、アダを襲う。客観的に考えて、イヴが生きている可能性は少ない。それでも生きていたとするなら、アダの心当たりはもう廃墟の地下データベースにしかなかった。




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