第2話 邂逅2

「『かげおくりのよくできそうなそらだなあ。』」

「『えっ、かげおくり。』」

「『と、お兄ちゃんがきき返しました。』」

「『かげおくりって、なあに。』」

「『にゃあ』」

「『と、ちいちゃんとたまたまそこにいたネコニンゲ——」

「——ハイ、ストップ。」


国分は足を止め、次の段落を読みかけていた児童を食い気味に静止する。

「津田さん、ちょっと待っててね。高橋さん、もう一度読んでくれるかな?今度は立って、ね。」


高山は不思議そうな面持ちで国分の顔を見つめ、高橋は緊張した面持ちで、ぎぎっと椅子を引きながら立ち上がった。


「『かげおくりって、なあに。』」

「なるほどねえ。高橋さんはかげおくり、知ってるかな?」

「いいえ、し、しりません。」

「何だか知りたい?」

「し、しりたいです。」

「だよねえ。ちいちゃんも同じ気持ちなはずだ。この前の部分でお兄ちゃんが聞き返しているよねえ。待っていればお父さんがきっと説明してくれるはず、それなのにちいちゃんもわざわざ聞き返してる、それはちいちゃんがそれだけかげおくりに興味があるってことなんだよね。ね?」


こくん、と高橋は頷く。自分に何をさせたいのか、教師の意図が図り切れない少女は、そのふわふわした眉毛をくっと眉間に寄せて国分の顔を見つめていた。

「なら、もっと感情をこめて読まないと。じゃないとちいちゃんの気持ちも分からないし、高橋さんの感情も表現できてないよねえ。ハイもう一回。」

「『かげおくりって、なあに。』」

「もっと抑揚をつけて。」

「『かげおくりって、なあに?』」

「『なあに』の部分をもっと知りたくて知りたくて辛抱たまらないよ、っという気持ちを込めて!」

「『かげおくりって、なあに?』」

「Perfect!すばらしい!最高だったよ、高橋さんみんな拍手。」

 何度も衆前で音読をさせられたはずかしさと、皆に拍手をされるというはずかしさから高橋はすっかり縮こまり、がッとすぐ席を引いて着席した。拍手をするほどのことなのかと戸惑い、適当に拍手をしている児童たちを横目に、国分はその狐目をさらに緩めて満面の笑みで誰よりも長く拍手を続けていた。


 国文はロリコンだった。国語の時間は彼にとっては至福の時であった。音読で飛び散る幼女の唾を思う存分浴びることが出来たし、好きな一文を本物の小学生の声で何度も言わせることが出来た。当人自身はなんら自身の愛に何ら疑問を持っておらず、人と性的思考が合わない性的マイノリティ者であると自身をカテゴライズしていた。


「はい、次。高山くん。」

「『にゃあ。』」

「『と、ちいちゃんとたまたまそこにいたネコニンゲ——』」

「——ハイ、ストップ。津田さん、待ってってねー。高山くん。高山くんのポテンシャルはそんなものではないと私は信じているよ。もっとネコニンゲンの姿を思い出して。手をブランブラントさせて直立不動、何処かをずっと見ていて日陰にいるあの姿、写真とかは見たことない?あるよね。ならさぁもっと脱力して無感情で!お母さんが『そう言えばこの前あんたの友達のお母さんにスーパーであったわよ。』と報告してきたときくらいの無感情さで。さんはい!」

「にゃあ。」

「もう一回」

「にゃ、にゃあ。」

「もう一回」

「『にゃあ』」

「イエース!すばらしいごちそうさまですみんな拍手!」


 またかと思う気だるい拍手の中で国分は一番大きな音で手を叩いていた。国文はショタコンでもあった。実はどっちもいけるのだった。

 国分が再び甘美な時間に浸ろうとしているとき、隣の教室からざわめきが起こる。橘が又何かしてるのか、と国分はじっと隣の教室の方を睨みつける。すると、すぐにがたん、と扉を勢いよく開ける音が廊下から聞こえ、甲高い靴音が近づいてきたと思うと、大きな音を立てて教室の前の扉が開いた。


「やばいっやばいって、コクブンッ!」


 橘の声が音読を遮って教室に響き渡る。普段のひょうきんな橘しか知らない3-2の子供たちは、橘のひきつった表情と教師然としていない素の言葉遣いにきょとんとして、何事かとその顔をじっと見つめる。


「ワッ、びっくりしたぁ……。ど、どうしたんですか、橘先生?」

「どうしたもこうもないっつうの!不審者!不審者が校庭に出たのッ!」


 不審者という言葉を聞いて、クラス中がざわめき始める。不審者という言葉に国分は驚いたものの、生徒の不安を鎮めないといけないとすぐに教師の職分に戻る。


「テンパってど忘れたんだけどさ、どうすんだっけ。不審者出たとき——」

何の遠慮もなくしゃべる橘の口を手でとっさに覆い、

「大丈夫です。ちょっと、話してくるので待っててくださいねー。」

と生徒らに告げ、鋭く橘を睨みつけ、口元に一指し指をあてながらそのまま廊下へ押し返し、ぴしゃりと教室の扉を閉めた。


「お前なあ、もうちょい言い方ってもんがあるだろうがっ。」

 

 国分は声は抑えつつも、切れ長の目をかっと見開いて橘を𠮟りつけた。そこには橘の教師らしくない行動へのいらだちだけでなく、幸福な時間に水を差されたことへの苛立ちも混ざっていた。


「そんな場合じゃないって。不審者だよ、不審者!校庭にいるのっ!玄関前の桜の下!」

「お前、そんなん伝えに来るなって。内線で職員室に連絡だけしておけばいいんだろ馬鹿。」

「……え、そうなの?」

「そうだろ。」

「あ、でも私内線使ったことないから使うの緊張しちゃうんだよね——」

「——それこそ、そんな場合じゃねえだろ!はあ、もういい、俺が内線で伝える。お前は寄り道せずに職員室に行け、あほ。」

「おけ!」

 そう返事をするとパンプスを鳴らしながら急いで橘は廊下を駆けていった。橘、国文はふうと気を吐いて表情筋を動かし、いつもの教師としての姿を取り戻して教室に戻っていった。


「みなさん、落ち着いて聞いてくださいねー」


 そういいつつ、国分は窓の下を見やる。確かに桜の木陰にに男性らしい人影がある。手をぶらんとぶら下げて直立不動で校舎の方に身体を向けている。国分は児童らに背を向けつつ、自分だけの楽園を犯そうとする同輩を睨みつけ、心の内で呪詛の言葉を吐いた。

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ネコニンゲン @tonton4747

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