ネコニンゲン
@tonton4747
第1話 邂逅 1
ネコニンゲン、それは人の姿をした「にゃあ」と鳴く生物である。彼らは地球上に広く生息し、その総数はおよそ1億匹を越えると推定されている。雑食性で肉も魚も野菜も食べ、日中は日陰にじいっと佇んでおり、日が落ちるとちょっとお尻をかいてすぐに就寝する。ヒトに匹敵する発達した大きな脳を有しているため、高度な知能を有しているとされるが、そもそも知的行動どころか「にゃあ」と鳴く以外ほとんど何もしないため、ひょっとしたら知能はネコ並、いやそれ以下ではないかとも言われている。
ネコニンゲンはホモ・サピエンスの最近縁種であり、我々ヒトと同じ同じ動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属に分類されている。チンパンジーのDNAは98.5%ヒトと同じであることが有名だが、ネコニンゲンに至っては100.0%ヒトと変わらない。
え、それはもはやヒトじゃん、という声が聞こえてくるが、そう、この点が多くの研究者の頭を悩ませてきた。どこをどう研究しても生物学的にはただ声帯を動かして「にゃあ」と発声をしているだけのヒトなのである。それはすべての学者が激しくうなずいて同意するところである。しかし、彼らを同じヒトとして捉えて接したときに本能的に感じる違和感が、彼らが我々人間とは異なる存在。「ネコニンゲン」であるということを告げているのである。
*******
「ひぃッ……。そとにだれかいる……‼」
その声と共にクラス中の視線が一斉に窓の外へ向く。え、なになにと窓際の列の生徒が確かめようと立ち上がり、1人、そしてまた1人とその姿を視界に入れていく。
「ほんとだ。」
「だれかいる。」
「ふしんしゃだ。」
「おいこら、少年少女、授業中だよ。」
女教師が手に持った巨大三角定規でぱんぱんと教卓を叩くも、生徒の関心は既に算数の授業にはなかった。次々に生徒が窓に駆け寄り言葉を漏らす。漏れたつぶやきがどんどんと輪唱されていき、あるところでぷつんと何かが切れたかのように突然一斉に子供たちが騒ぎ始めた。
「ふしんしゃだッ!」
「キャー!」
「やっべー!」
「ころせころせッ!」
一瞬にして窓の前はごった返し、生徒たちは狂乱する。
(ガキだな……)
と教師は思いつつ、
「静かに!ほーら騒がないの!」
と生徒をたしなめつつ、窓に駆け寄る。
「わお……。ホントに知らん人来てるじゃん。」
校庭の桜並木のふもと、スッと直立不動の人影がある。白シャツに青いデニムを着た背の高い男性のようで、じっと動かずに校舎の下に広がる生徒たちが管理する花壇に視線が注がれている。
この緊急事態に教師の頭の中では1か月前の朝会で読み合わせをした不審者対応マニュアルを思い出そうとする。しかし、教師はその日の朝会で徹夜でのゲームがたたって居眠りをしてしまっていたため「眠かった」という以外何も覚えておらず、「他の教師に知らせればなんとかしてくれるだろう」という彼女にとっていつも通りの考えに至った。
「ほら、静かに!ちょっと他の先生に知らせてくるから。」
普段聞きなれない担任の教師の緊張感のある声音に、子供たちは騒ぐのをやめる。大変なものを見てしまった、このあとどうなるのだろう、という不安が生徒の間に走る。がだん!、と教師が扉を乱暴に開けて教室を出ていった後、ふとある生徒がつぶやいた。
「あれ、ネコニンゲンじゃね?」
すると口々にああ、そうだ、きっとそうだよと子供たちが囀りだした。急にふらっと現れる、日中は日陰でじっと立って動かない、何処かをずっと見ている。子供たちが図書館の図鑑で見た通りのネコニンゲンの特徴的な行動を表していた。
「うち、本物のネコニンゲンはじめてみた!」
「うちも。」
「え、ふつうのふしんしゃなんじゃないの?」
「あはは、ふつうのふしんしゃなんていないよ。」
「俺オーストラリア旅行に行った時見たことあるよ。ネコニンゲン。」
「え、どうだったの?」
「なんかね、ケアンズのね、ビーチにいたんだけどね、ずっと立ってて動かなかった。」
「え、まじ?」
「あ、でもかっこうはちがう。なんかオレが見たのはアロハシャツ来てた。短パンだったし。」
「でも、あの人長ズボンはいてるよ。」
「じゃああれネコニンゲンじゃないんじゃない?」
「でも、おれ国によって着てるふくちがうって読んだことあるよ、本で。」
「あ、わたしもそれ知ってるー!インスタで中国のネコニンゲンでみたことあるの超おしゃれだった——」
子供たちがその短い舌を激しく動かしている後ろの廊下では、大人達の靴音が高く響いていた。少しすると隣のクラスでも人影を確認したらしく、わあっという歓声が壁を隔てて響いてきた。すると、その隣上下の教室からも歓声が上がる。3-1クラスの発見は焦る教師たちを通じて徐々に学校中に伝染していった。
最初に人影を見つけた少女は鼻高々であった。次々に校舎のどこかからきこえる歓声をもたらしたのは自分の発見によるものなのだから。他の4-1の生徒もなぜかこの学校中を騒がせる一大ムーブメントが自分の手柄であるかのように自慢げに思っていた。それゆえなのか、
「うちらが先に見つけたんだけどなー。」
と、発見して騒ぐ他のクラスに対しての苛立ちの感情を覚える生徒も出てきた。刺激された独占欲は子供たちを次の行動へと移らせた。
「ねえ、はなしかけてみない?」
「なんで?」
「だってにゃあとしか言わないんだから、にゃあって言ったらネコニンゲンじゃん。」
「ふしんしゃだって『にゃあ』って言うかもよ。」
「言わないよ。」
「言うって。」
「言わないよ。」
「言うって。」
「言わないよ。」
「言うって。」
「とりあえず言って見ればいいじゃん。ほら!」
それを聞いていた1人の生徒ががらがらっ、と窓を開ける。ふわっと春の生暖かい風がクラスに流れ込む。へっくしょん、へっくしょんと花粉症の谷内がくしゃみが止まらなくなっているものの、今は誰もそれに構うことはなく、新緑の桜の木の下にいる謎の人影の方を見つめていた。
「にゃあー!」
勇気ある生徒の一人が声高に叫ぶ。しかし、目いっぱい声を張ったつもりの少女の声は近隣のクラスのざわめき声にかき消される。
次にせえの、と掛け声をかけて。
「「「にゃあー!」」」
と叫ぶ。それでもだめならもう一回と声を変え、繰り返される「にゃあ」の呼びかけは、次第に学校中の生徒のざわめく声を上回っていく。
すると人影は声に気づいたのか3-1の方をスッと振り向く。鼻の高い爽やかな青年の顔立ちをしていた。生徒たちは身を乗り出してその姿を見、声を聞こうとする。
「にゃあ」
ネコニンゲンのこの声が果たして3-1に届いたかは分からない。しかし、その微かに見えたネコニンゲンの口の動きに生徒たちは歓喜した。
「やっぱネコニンゲンだ!」
「「ネコニンゲンー!」」
「ぜったい今『にゃあ』って言ったよな!」
「イケメンじゃんやば——」
生徒たちが喜んでいると、校舎から黒い人影が颯爽と出てきて刺股を握り締めて桜の木の下へと駆けてゆく。勇ましいその背中は3-1の生徒たちがよく知る担任の女教師の背中だった。
「このぉ観念しろいこの糞不審者ッ‼」
教師がそのまま勢いをつけて突き出した刺股はまっすぐにネコニンゲンの身体を捉え、ソメイヨシノの隆々とした黒く太い幹へと思いっきり叩きつけた。ネコニンゲンは何の抵抗もなく、3-1を見つめたまま刺股に押し込められ、
どすん
と校舎にも聞こえるほどの鈍い音を立てて幹にぶつかった。
「ひぃ……。」
思わず生徒の悲鳴が漏れた。刺股に押し付けられたネコニンゲンは、ぐでんと頭を前にもたげたかと思うと、幹に背中をこすりながらその場に力なく倒れ込んだ。女教師も想定していた事態とは異なる状況に、さっと刺股を引いて後ずさりをした。
生徒たちは幹にもたれて動かないネコニンゲンから目を逸らすことが出来なかった。とんでもないものを見てしまった、と誰しもが思った。さっきまでの熱狂はあっという間に立ち消えて、気付けばクラス、いや学校中が静まり返っていた。風光る穏やかな空の下でのこの惨劇に、生徒も教師も皆頭が真っ白になり、カトリックの谷内は狂ったように十文字を切っていた。
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