やっと最新の作品へ追いつきました。
車の話で思い出したのが、米国ジェネラルモーターズのキャディラック部門は、昔は米国では最高級車であったのですが、80年代にはベンツとBMWに抜かれてしまっていました。キャディラック部門は、挽回しようとして、新しいモデルを開発しました。性能的には、ベンツやBMWと同じか、それ以上の車だという評判でした。しかし、それが、思ったように売れなかったのです。理由は、すでに、ベンツとBMWよりは一ランクしたの車種として見られていて、金持ちは、キャディラックを買って家の前に停めると、失職したと思われるから買えないというのだそうでした。実際に、値段的に、ベンツとBMWよりも安かったのです。価格を上げても、社会の評判は上がらず、まずはその評価を上げるところから始めなくてはならないということでした。
作者からの返信
車に関心のない私には、外車というだけで高級車、お金持ちと思ってしまいます。外車を買ったらと薦めてくれる友人には、「がいしゃ」って言ったら刑事ドラマの害者って、私の頭の中では変換されちゃうよ、とショボイ洒落で応えていました。
昔住んでいた家のお隣さんでは、ベンツと何とかいう外車をご夫婦それぞれで乗っていました。
私にはベンツもマークをしっかり見なければ分からないというほどで、ウチも、という気にはなれませんでした。
ベンツで走っていると、けっこう嫌がらせされたりして大変だ、と知り合いの人がが言っていましたけれど・・私には良さが分かりません。
**もう49話まで読んでくださったのですね。
博士はきっと大変お忙しい毎日なのでしょうに、こんなに頑張って読んでくださって、と本当に恐縮し、そして感謝しております。
お時間のある時に少しづつお願いしたいと思っていましたのに・・
コメントもご丁寧に下さって、とても嬉しく思っています。
本当にありがとうございました。
自身の仕事を熱く語る旦那さま。
良い時間を持たれたのですね。
仕事にのめり込もうとすると、
人間関係という邪魔者が、ひょっこり顔を出します。
旦那さまが、仕事に対する情熱を素直に出されていた時代を経験された事が、とても羨ましいです。
きっと、まだまだ良い時間が、この先も待っていますよ。
作者からの返信
大病が夫を大変身させて、とても消極的な人になりました。
それまでは現在のような暇を持て余すなんてことは全くなく、朝早くから夜中まで仕事に精を出し、忙中閑ありと言いながら、沢山の友達付き合いをこなし、趣味の落語にも熱中し・・と24時間を無駄なく過ごしておりました。
それが魅力的(惚気ではありません、念のため)でもありました。
それに反して私が頑張ったのは子供が大きくなるまでの数年間だけ。後は根っからの怠け者で何もしないで一日が終わる、なんてザラでした。
今人生が終わるとしたら、夫は十分有意義に生きたな、と言えるでしょう。
私は遅ればせながらカクヨムのお蔭で、やっと有意義な人生を送れたと言えるようになりました。
でもramiaさんに言って頂けるように、まだまだよい時間が待っていると信じて、楽しく暮らしていこうと思います。
どうも76才なんていう数字が、人生の幕なんていう言葉を選びがちでいけませんね。 気を付けなければです。
いつもながら、コメントありがとうございます。
@88chama様
車・職・住……! 衣食住ではなく、車職住でステータスを誇示する時代。
ローバ様の人生が、そのまま日本の、否、世界の現代史と言っても過言ではないでしょう。昭和から平成、令和へと、時代の変遷と共に価値観が変わりゆく激動の時代をローバ様は生き抜いてこられたのですね。温かなご家族の中でお育ちになり、優しい御主人と大学の落研で出逢い、その後ずっと二人三脚で。時に駆け足で、時に歩を緩めながらも、下を向くことなく前だけを見て。
「トラックの中の会議」に御主人様の熱い想いが凝縮されているように思えました。トラックの助手席で御主人の弁に相槌を打つローバ様の愛らしいお姿を想像します。それは今このエピソードを執筆されるにあたり、ローバ様も昨日のことのように鮮やかに思い出しておられたのではないでしょうか。大事な記憶は決して色褪せることはありませんよね。
御主人様もローバ様も、まだまだ幕は降りません。
充実の日々はずぅ――っと続きます。(^^)v
作者からの返信
ぶろこちゃん、今回もまたご丁寧なコメントに、お婆さんは感激しております。
貴女のローバの褒めようッたら、も~ぅ嬉しくって泣いてまうやろ~、なんですからぁ。
それに世界の歴史だなんて、異世界で溺死?と勘違いしちゃいそうで、自分で言って大いに喜んでいます。(アホでしょ?ワタシ)(^_-)-☆
夫に頼りっきりで何の手助けもしない私でしたけど、夢や希望をプレゼン?する相手としては、絶好の人だったようなんです。相槌もわりと上手でしたし感激屋でもあったので、誰もいない「会議室」よりは張り合いがあったことでしょうね。
いつも私のエピソードは頑張り屋の夫の漕ぐ船が転覆して、家族が悲惨な目にあった貧乏自慢の話ばかりですが、しっかりと読んでくださる皆様のお蔭で、苦労話から離れて幸せな思い出語りとなれています。
本当に皆様にはいくら感謝しても足りないくらいです。
お婆さんは記憶が確かじゃなく、また同じようなボンビーな話だよ、と笑われるかも知れませんが、これからも書いていきたいと思っています。
まだまだ幕は降りませんよ、と言って頂けてとても嬉しい私です。
カーテンコールもあると期待して、充実の日がずーっと続きますようにと祈ることにいたします。
ありがとうございました。
田舎に暮らす私にとっては、車は確かに必需品。無くてはならない物ですね。通勤や買い物は車が無いと大変です。デートや親を病院へ連れて行くのもそうです。
ご主人への仕事に掛ける情熱がトラックに被って見えたのでしょうね。物を大事にすると、その物の寿命も延びるのでしょうから、思い出が被るのでしょう。今回も、深い良いお話でした。(#^^#)
高校卒業前の会話。(1980年代。ミラーはフェンダーミラーが一般的)
「甲斐、俺はもう免許取ったから、家で車乗ってるで~」
「ほんまか?何乗ってるん?」
「そりゃ~。2ドア・ドアミラー。2シーターベンチシートじゃ」
「なんじゃそりゃ?えらいお洒落ぽいじゃないか?スポーツカーか?」
「おい、騙されるな。そりゃ軽トラじゃ」
「う~~ん。確かに!」(笑)
車はお高いので自分が欲しいのは買えませんね。卒業前の車は、大体私らの周りは親の軽トラを練習に乗ってました。^^;
スミマセン。ローバーさんへのコメントなのに、小芝居を入れてしまいました。
(;'∀'))
作者からの返信
ありがたいことに夫が車の免許証を返納しても、交通手段に困ることはありませんが、「会議室」の思い出のようなことはなくなってしまいました。
夫は仕事に対する意欲も人生の生きる希望も、高齢で受けた連日の2度の手術に奪われました。
いかに健康がありがたいものか、身に染みてわかる出来事でした。
趣味の落語や沢山の友人があっても、身体に不安を抱えていては、それらはあまり役に立っていると言えません。
私だけカクヨムでますます元気になって、申し訳ないと思いながら過ごしています。
そして甲斐さんの洒落は私を大いに喜ばせてくれています。昔の私達でしたら洒落をとばしあって、うるさいぐらいでしたのにと、昔を懐かしんでいます。
今では「ツーと言ったらカー」とはならず、「ツーと言ってもハァー?」でして、そこへ「ねぇ、聞こえてる?」って足すことの方が多い位で張り合いがありません。 (グチっちゃいけませんが、ネ)
2シーターベンチシート、軽トラじゃ、は笑えます。
どなたかの作品でこの2シーターベンチシートの意味が分からなくてググったことがあるので。
勉強済みだと笑えていいですね。
甲斐さん、小芝居はスミマセンどころか大歓迎です。
お婆さんは大喜びですからね。
いつもながら、コメントをありがとうございます。
**いつぞやの手術の件、絶対忘れられません。いい経験談をありがとうございました。勇気をいただきました。
人に歴史あり。
懸命に仕事に心身を注いでおられたご主人の姿をお聞きして、
胸がつまるような気がしました。
素敵な旦那様と添われましたね。
ローバさんの支えも大きかったのだろうと思います。
作者からの返信
麻子さん、嬉しいコメントをありがとうございました。
倒れても立ち上がって、まるで明後日の?ジョーだね、と冗談を言いながら、再起をはかる夫を励ましておりました。
残念ながら、明日も明後日もなく、ジョーはダウンしてもうそれっきりになってしまいました。
おっしゃるように正に人に歴史あり、で、大した人物の歴史ではありませんが、子供達へ何かを教えてくれた歴史となれたかも知れません。
素敵な人と添われましたね、と言って頂けてグッときてしまいました。ありがとうございました。
こんにちは。
車は道楽で金食い虫ですが、同時にステイタスでもありますね。
どれだけ稼いでいるか。なんて見栄を張るのには打って付け。
身の丈なんて言葉もあるので、無理して乗ってるようだとバレますが。
そういえば、昔、自分の車を持っていない時期があって、その時に足代わりにしていたのが、会社のトラックでした。小さくもないが大きくもない。
割と体裁さえ気にしなければ使い勝手は良かったですね。
そんな時、どうしても見たいミュージシャンのコンサートがあって、
足がないのでそのトラックで行きましたよ。
駐車場の係の人はビックリしてましたが…。
作者からの返信
ちびゴリさま コメントありがとうございます。
車はやはりTPOも考えなければいけない?ってところもありますよね。
うちのトラックも使い勝手の良さから、1トン足らずのものが重宝して、買い換える時でもずっと同じものでした。
遊びでは子供達や両親も一緒に乗れるものを選びましたが、大井競馬場(わりと近いので)へ行くのに便利なようにと、それ用に他にシビックも買ったりして無駄なことをしていました。
夫は年中無休で仕事をし、休日には機械をかけて出来上がるまでの間を馬と面会しに行ったりして、仕事と遊びを両立?させていました。
バブル期は銀行がお金を借りてくれと頼みに来るくらいでしたので、そうやってお金のムダ使いをしていたことがありました。
寝る間もない程の仕事をこなし、ご褒美代わりにちょっと贅沢をし、そして又沢山の仕事を受けて頑張って・・と、そんな時代が我が家にもあったのです。
夫はこのトラック同様に凄く働いて充実した毎日を送り、私はのほほんと暮らして充実した毎日とは言えませんでしたが、いま逆転して私だけカクヨムのお蔭で充実した毎日を過ごしています。
私ばっかりラッキーで・・申し訳ない程です。
ご主人様とのトラックの思い出、胸につまります。
懸命に人生を駆け抜けて、挫折してももう一度立ち上がって。
けれど病には勝てませんでしたか。
トラックはその全てを見てきたのでしょうね。
形あるものはいつか失われますが、記憶と知識は誰にも奪われません。
家族も重ねて来た思い出は、積み重なってお布団のようにローバ様やご主人様の心を温めるのではないでしょうか?
作者からの返信
つむぎさんのこのコメントも、正しくあったかい布団のように私の心を温めて下さいました、ホントです。
挫折してももう一度立ち上がる・・本当は年金でのんびりと暮らしていきたかったのですが、仕事に生きがいを感じている夫には、どんなにお願いしてもダメでした。
頑張り屋で負けん気が強くて辛抱強い。健康な時なら大いに結構なことでも、病気をしてはそんなものは余計でした。
手術でまるで別人のような元気のない夫になってしまって、寝たり起きたりの毎日だったのに、借り工場から機械やら全てのものを撤去しなくてはいけない時に、ほんの数日間だけ昔の元気な夫に戻り、その作業をたった一人でやり遂げました。
まるで嘘みたいな、戦隊ものの主人公の変身シーンをみているよう。
自分のやったことの後始末をして、その後はまた普通の病気療養中の、迫力のないヤセ老人に戻りました。
こんな気性の男でしたので、私も仕事をすればするほど負債が増えることも承知で応援し、貧乏に拍車がかかりました。
よって、「ローバの充日」は殆どボンビーな話でいっぱいになっているのです。
「記憶と知識は誰にも奪われません」と言って頂いたつむぎさんに感謝しております。ありがとうございました。
ローバちゃん、こんにちは😊
グッと心に迫る素敵なお話でした。
お義父様が買われた横浜の家は、高級住宅街だったのですね。
住んでる周りの方達は、私からしたら別世界の方達ばかりで凄いなって思いました。
最もローバちゃん家族も私からしたら別世界の人ですけど……( ´艸`)
ご主人様が夢を熱く語られてトラックの中が会議室になったっていう場面を想像して楽しくて有意義な時間だったんだなぁと私まで心が熱くなりました。
ローバちゃんが今までに経験してきたことはその全てが素晴らしい財産ですね。
私達、死んでいくときには何もあの世に持って行くことはできませんが、心の財産、思い出は魂と一緒に持っていける気がします。
>持っている物は何もなくとも終わり良ければ総て良し、と言える幸せに感謝する「ローバの充日」なのであります。
ローバちゃんのこの言葉が心に響きます。
作者からの返信
義父が買った家は超高級住宅街だった訳でもないんですが、たまたま我が家の前の道路を挟んだ両側通りに、何故かスゴイ人達が集まりました。
A食品の上から5番目に偉いおじいちゃま、と聞いてビックリした我が家は、懇意にして頂いたご近所さん達とよくもまぁ、気後れすることもなく町工場のオヤジ丸出しで(自然体で)、お付き合いしていただけたものだと感心しています。
のこちゃん、この住宅を決める前に不動産屋にすすめられるままに、義父が世田谷の家に手付けを払った(後でキャンセルして、高い授業料となりました)家だったらもっと窮屈に暮らさなければならなかったかも知れません。
周りは瀟洒な家ばかりで、きっとお高くとまっている人達ばかりで、我が家のような職人のラフな会話はなりたたなかったかも、です。余談ですが・・
ここの人達は別世界の人間のようでも、本当に親しくして頂けて、我が家のようにバブル時代の銀行が、身の丈以上の融資をいくらでもしてくれたから買えた者とは違った人達でしたから、きっと心も豊かだったのでしょうね。
色んな出来事を経験し、色んな良い人達に囲まれて、幸せに暮らせた人生に感謝する毎日です。ボンビーになっちゃたけど、それもまた幸せでありがたいことです。
のこちゃん、コメントありがとうございます。
編集済
うわ~、深くて、いいお話ですね。
僕も一応エンジニアという職業なので、旦那さんのお気持ちがとってもよく分かります。
機械、トラックって・・自分の分身そのものなんですよね。
しかし、今は『いい思い出』となって、ローバ様の心に残っている・・・これこそが、何物にも代えられない素敵な財産ですよね。
いいお話をありがとうございました。
作者からの返信
永嶋さま、コメントありがとうございます。
第3話「私をリングに連れてかないで」で、永嶋さまにご登場いただいてから、すっかり調子に乗ってしまって、今日まで楽しく投稿しております。
ババシャツ・ババズロースのコスチュームはいまだに健在で、ヨレヨレ乍ら創作活動に精を出しております。
これもひとえに貴方さまのお蔭です。感謝しています。
第15話では入院中の永嶋さまでしたので許可をいただくことが出来ず、勝手にNさんのお名前でご登場いただいてもおります。遅ればせながら・・🙇
エンジニアの永嶋さまには、機械やトラックなどが分身のようと言っていただけて、本当に夫の気持ちを分かって頂けて嬉しいです。ありがとうございます。
**ところで、顕微鏡のお写真ですが、葉脈とすぐ分かったローバを褒めていただけますか? 褒められることのない私なので、無理強いしちゃっているババローバですm(__)m
高級車に縁のない私ですが、トラクターと軽トラックには縁がありました!
林檎を運んだり、馬糞を載せたり……
懐かしい思い出です(笑)
終わり良ければ総て良し。
私も、同感でございます。
作者からの返信
高級車と言うほどの車ではありませんが、ほんのちょっとばかりいい車、と呼ばれるものだったそうですが、殆ど記憶にありません。
私はブルドーザーやショベルカーなど乗ってみたいとおもったことがあり、トラクターは眺めている時に農家さんに乗せてって言いそうになったことがありました。
夫の稼業が農家だったら、私は絶対にトラクターを運転して軽トラをマイカーとして活躍していたかもしれません。
工場のコンピューターを操作して材料を複雑な型に切っていく作業を見るのが好きでした。
月猫さん、トラクターにしろ工場の機械にしろ、見ているだけだから言えるのかもしれませんが(労働を甘くみてはいけないでしょうが)トラクターやトラックを操ってお仕事されてたなんて羨ましいです。カッコ良かったんでしょうねぇ、きっと。
コメント、ありがとうございました。
令和の若者は、特にクルマには興味を持たないようですね。
しかし昭和の若造らにとってはクルマは最も欲しいアイテムでした。
日がなクルマ雑誌を眺め、貯金をして何とか中古車を買うことを目指しました。
クルマを得たら、助手席に女の子を乗せ、右に競馬場、左にビール工場を見ながら夜空へ続くフリーウェイを飛ばすことを夢見ました。
私は来月、恒例になったさくらんぼ🍒狩りをしに山形へ行く予定ですが、マキからは
「高速代がもったいないから、出来るだけ一般道で行くように!」
と言われております。
街の灯がやがて瞬き出す中、2人して流星になったみたいに走りたいのにぃっ!😭
げん😒
作者からの返信
ロマンチックな流星より現実的なさくらんぼの勝ちということですね。
高速よりも一般道の方がいっぱい話す時間があっていいかもね。
私はバイクや車には全く関心がないのでよく分かりませんが、エッセーなどで源さんの車好きなことや、いい車に乗ってらっしゃるみたいだな、と分かります。
今は良い車に乗るというのがステータスという時代ではないようで。
うちに車があった頃は長男も運転してましたが、今は全く乗る機会もなくなり、次男に至ってはペーパードライバーで身分証としての価値しかありません。
ボンビーになった我が家にとって、車はどんどん遠いものになりました。