応援コメント

第13話  お店番」への応援コメント


  • 編集済

    ローバさま。嵐が去ってのコメントの返しをずっとまってたのですが、まったくないので、次の応援コメント書かせていただきますね。

    そうそう!昔は、いい加減でしたけど、温かさも、たくさんありましたよねー。うちもねー。近くにうどん処がありまして、そこ、ツケがいっつもきいてたんですよー。で、日曜日になると、両親がパチンコで出かけるので、そこのうどん処に出前を、勝手に頼んで、兄弟で、よく食べてました!どんだけ頼んでも、月に親がまとめて、ツケを払ってくれるので、林家の台所と呼ばれてたんですよ!
    ツケで払うなんて、いま、どこのうどん処もやってくれませんよね!昔は、ツケといて!って言えば、なんでも、ツケてくれましたよね!
    あとで、親がお金を払ってくれたりして、楽しかったな~

    あと、魔法使いですけど、テキヤさんのおっちゃんとか、すごかったですよね!当たりくじ、ひくの、ぼくらが何度、ひいてもだめなのに、おっちゃんがひくと、一発で当たるんです。
    あれ、どういう仕掛けからしらないけど、きっとなにか、目印があったんでしょうね!
    子どもだった、ぼくらは、簡単にだまされてました!笑

    いまは、冷凍餃子の無人販売店で、お金を払ってかない、なんて事件、よくありましたよね!そんな、無人なんだから、払ってかない客もでてくるのは、当然ちゃあ、当然なんですが、便利になってった分、逆に不便になったってのもありますよね。

    この前、講習会で、不便益というものを習ってきました!
    不便だから、もたらされる利益もあるだろう、という考え方も最近あるそうですよ!
    良かったら、スマホで、不便益って調べてください!
    不便は、不便でも、それがもたらす利益もあるんですねー

    作者からの返信

    今はツケという言葉すら知らない人がいるんですよね。
    もっと言えば通い帳という帳面を持っていってツケを書いてもらう、なんてのは説明しても??となるでしょう。やっぱローバの時代はもう時代劇の頃と同じ遠い昔となってしまったのかな?

    餃子の無人販売でお金を払わず帰る人、モザイクがかかっているけど、罰としてモザイク外して~と思ってしまいます。
    田舎の野菜の無人販売なんかもしかりでね。イヤですね、心が痛まないのかな、そんなの平気で食べられるの?と不思議で仕方ありません。

    そうそう、不便益スマホで見てみました。風さんのお蔭で一つ知識が増えました。何かを知るととても嬉しがり屋のローバは喜んじゃうんですよ。
    スマホは親切で、不便益のついでに便利益もおしえてくれました。
    な~るほど~、ですよね~

  • 私は子供の頃はチビで痩せていたので、小学生になっても例えば家族で電車に乗る時なども親が子供の切符を買わずに改札を入ったりしたことがありました。

    別に貧乏な暮らしだった訳でも無かったので、私の自尊心は子供ながら大いに傷ついたのを覚えています。

    成人以降、大人として最も大事なのはしっかりした倫理観を持つことと感じています。

    残念ながら令和の現在、倫理観の無い大人が、特に組織の上部に立つ人に多いように感じます。

    倫理観の無い者の言葉は嘘くさく、信を得ません。
    それは親にも言えること。

    誇れる親を得なかった子供はたとえ裕福に恵まれても精神的に不幸になると思います。

    お釣りや当たりくじをごまかす人を親に持った子供は、はたして何処から倫理観を学ぶのでしょうか?




    げん😃

    作者からの返信

    私は明治生まれの両親の元に生まれました。6人兄弟の末っ子で、すぐ上の姉とも8才も離れていますから、皆からさんざん甘やかされて育ちました。
    大甘の根性なしではありましたが、明治の人間の教えで大切なことには厳しく教育され躾けられました。
    今では古いと受け入れてもらえそうにないこともありますが、根本的な教え(源さんの言わんとされる倫理観のようなもの)は、徹底的に教え込まれました。

    例え古かろうと、それは人間にとって大切なことだと、ありがたく思えている私です。父は教育や学門の道に進みたく学んでいた人でしたが、ゆえあって、性格から一番似合っていない職人になってしまいました。
    我が家の仕事は、適当に材料を誤魔化せば(うまいこと融通すれば、の意味です)けっこう儲かるのにと、まわりでは馬鹿正直者の父を笑う人もいたほどでしたので、大きな仕事を請け負ってもそれ程お金持ちにはなれませんでした。

    でもそれで良かったと私は思います。やり手の父よりも、職人らしからぬ、物静かで誠実な(手前味噌で大変恐縮ですが)父が誇らしく思えるからです。
    いまだに、誇れる親に恵まれて本当に幸せだったと思っております。

    (大したことないくせに自慢して、とお聞き苦しかったらごめんなさい)

  • 八百屋のザル。アレいいですよねぇ。神戸の商店街、どこにでもあったのになぁ。
    暗算でひょいひょいってお釣りくれたり。「ちょっとキズあるからまけとくわ」とか会話して。
    子どもたちにも体験させてあげたいなぁ。ってイマドキどこにもないでしょうけど。

    作者からの返信

    八百屋のザルご存じなんですね。ホント、暗算でチャチャッと計算して、ザルからお金をちょいとつかんでね。

    もっとザツなのがレジもどきの前掛け。お金のやり取りは腹掛けの大きなポケットで無造作に出し入れするんです。
    丼勘定という言葉はここからきていると知りました。
    昔の職人さん達の腹掛けの前に着いてるポケットの様な物入れが、どんぶりと呼ばれるものだそうです。
    聞いてみればなるほど~、ですよね。

  • 私年に1〜2回、買い掛け売りしたりします。
    今時はカードだけで現金を持っていない方もいて。
    この道を通ると言うので、その時でどーぞ、店しまってたらポストへって。
    『だって千いくらのことで、この道通れなくなって胸が痛いなんて割に合わないでしょう?それに踏み倒したら、二度と私の作るもの食べられないんですよ、そんな半端なもの作って無いって自信あるのでどーぞ』と( ´ ▽ ` )一応回収率100%。まあ爺ちゃんが人に貸す時はあげる気持ちでおやんなさい、と言ってましたからね〜(^^)
    子供の時、駄菓子屋さんお隣だったんです。懐かしい。

    作者からの返信

    これって今どきのお話?って感じる人も多いでしょうね。

    こんな風に大らかに「いいよ、いつでも」「今度でいいよ、ついでの時にね」  いない時にはポストに、なんて・・ 
    昔だったらこんな会話は珍しくないですけど、仮に少額でも今の時代には珍しいですね。

    もっとも東京なんかのように、隣に住んでる人でさえどんな人か分からないような土地ではそうかも知れないけど、ハニーちゃん(久しぶりに呼ばせて頂きましたね)の住んでらっしゃる所は、そんなにセコセコ?してないんでしょうね。
    それに「腕に自信あり、いいもの提供しているという強み」も凄い!気に入った!!
    そして、お爺ちゃんのおっしゃる貸す時はあげるつもりで、という精神にも脱帽です。

    コメント、どうもありがとうございました。嬉しかったです。

  • ああ、私も商売に携わったものとして、この無人システムには嫌悪しかないです。
    善意で成り立っているように見せて、その実、客を全て泥棒と見ているのが前提になっている。で、結局モラルない阿呆のゴキブリホイホイになってる。でゴキブリいたって騒いでる。アホかと。
    こんな店居心地悪くて絶対行かない。

    作者からの返信

    私は昔の人間のせいか、お店って対面がいいなと思います。
    人との会話があまり好きではない人には、無理なくさりげなく必要最低限でいいですが、負担に感じない人とは世間話をしながら買い物をするのが楽しみです。(不愛想な店員とか、おべんちゃらの酷いのもどうもいけませんけど・・)
    居心地のいいお店になれるかどうかは、店員さんの客あしらいの技とお客のモラルの向上も必要になるかも知れませんけどね。

    **「取り立て屋」のお話、次はいつでしょう。
    楽しみにしているのです。待ち遠しいです。
    つむぎさんにも執筆はかどってますかと、うるさい編集者のような私です。
    余談です。スミマセン。

  • 八百屋さん、懐かしいです。
    幼い頃、カゴを持って買い物に行き、「帳面」っていうノートに書いて貰い
    母親が月末に支払いにいってました。
    駄菓子屋さんも50円あれば楽しめた時代です。
    鉄板があってお好み焼きを食べました。一枚80円だった記憶があります。

    コメントが止まらなくなります( ; ; )昭和に戻りたいです。

    作者からの返信

    75才の私の子供の頃は、毎日のお小遣いとして10円貰えるのがとても嬉しいことでした。
    昔は大きな飴玉1個50銭という時もあって、お金がないと50銭の飴を噛んで割って、分けあって食べる子もいました。
    「50銭なんて~ぇ、って聞いたことも無いよ」と子供は笑います。
    私も何才まであったか覚えていませんが・・

    そんなでしたから、10円は大きかったんです。
    学校から帰ると「腹減った、10円欲しい、それしか言うことはないのか」と、よく親に言われたものでした。

    今でも駄菓子は子供達に魅力的なものですが、スーパーなどで整然と並べられてるあの感じでは、昔を偲ぶにはちょっと遠いように思われます。
    昭和に戻りたい・・もう遠くになりにけり、なのでしょうか。

    いつもコメントをありがとうございます。

  • @88chama様

    恥の文化……不正をすることは恥ずかしいことなのだ、と強く思います。
    貧しいことが恥ずかしいのではなく、貧しさを理由に不正をすることが恥ずかしいのではないかと思います。そして、その恥ずかしさは他者に対してではなく、お天道様や己の魂に対しての恥ずべき行為なのだと思います。(単に生活の貧しさだけでなく、心の貧しさも含まれると思います。余裕がなかったり、配慮が足りなかったり、愛が欠けていたり……と)
    性善説はもう廃れてしまったのでしょうか? AIだの5Gだの何だのと科学技術が発達しても、精神文化は……人間の精神構造は未発達のままでいいのでしょうか?
    いずれ、そのひずみが何処かで大きな災厄となって顕われて、人類は痛い目に遭う日が来るのかもしれません。
    ローバ様の「第13話 お店番」は、そんな気づきを与えて下さるエピソードでした。
    読ませていただき、ありがとうございました。

    作者からの返信

    単純に、昔こんなことがあったのよ、とか、ズルイことするのを母が嫌がって、恥知らずなことは絶対にするなと教えられたのよ、とか・・・
    そんな程度に思い出として書いたのですが、ブロ子さんには強いメッセージらしきものに受け止められたようですね。
    きっとあなたは正義に反することに、だまっていられない方なのでしょうね。
    私も非力ながら、ズルイことや卑怯なことは許せません。
    でもちっちゃな声で叫ぶ程度の人ですが・・

    母は明治の人でしたから、お天道様に恥ずかしくないように、とか、恥を知れ!とか、甘やかされて育った割には、その点だけはうるさく躾けられました。
    あなたのコメントにも、そのようなワードがあって、価値観が同じだと嬉しく思いました。
    やはり、長くお付き合い頂きたい方と思いました。嬉しいです。
    いつもご丁寧なコメントを、有難うございます。

  • 私も昭和世代です。10円握って近くの駄菓子屋に行ってました。(*^^*)
    タマに、30円とか50円貰っちゃうと嬉しくて、飴のクジを引いてました。
    紐が付いた飴で、紐を引っ張ると大きいのか、小さいのか飴の大きさが違うヤツです。大きい飴は引けなかったような……。
    昭和あるあるです。

    作者からの返信

    三丁目の夕日、のような駄菓子屋さん、今でもあるかしら。
    スーパーなどの駄菓子の売り場では、私達の子供の頃にあったお店の雰囲気はありませんね。
    なんかゴチャゴチャした感じはなくって、整然と棚に並んでいますから。
    クジを引くワクワク感だって、今のお店にあるのでしょうか。
    もう今の売り場ですら見たことがないので分かりません。
    昔はよかったなあ、なんてやはりお婆さんらしいセリフが出て来ます。

    **甲斐さん、しつこいようですが、サチコちゃんのこと、頭から離れません。
    その為には、早く次の作品にいかなくてはならない、どうしても、です。

  • 私は銭湯に行ったことがないので、ちょっと憧れです。
    昔のドラマで森光子さん主演の「時間ですよ」を見てうちの近所にも銭湯があったらなぁって思ったものです。
    つけで買い物っていうのも昔はざらにありましたよね。
    親が月末とか年末とかにまとめて払ったりしてました。

    私は近所の駄菓子屋さんで10円のお金を持ってお菓子を買いに行くのが楽しみでした。
    くじもありましたね。お店のおばちゃんがおまけをくれたりもありました。
    懐かしいです。

    作者からの返信

    私の方が一回り以上も年上なんでしょうが、それでも同じような経験ありで楽しいですね。のこちゃんの昭和の昔物語でもそうでしたが、思い出させてくれて有難う、ですよね。  
    10円持って出かけたよね~って、近所だったら楽しくおしゃべりできるのにね~

  • さすがにザルは見たことないです。新潟のばあちゃんのイナカでも・・w

    ばあちゃんの家の近くに、雑貨が山積みで崩れたり、おばちゃんが品物を踏んづけて歩いている雑貨店がありました(笑)

    しかし、自分がある文房具が必要なときに、田舎の近くに大きな文房具屋がなくて、どうしようというときに、ワタシのじいちゃんが、その「品物を踏んづけてあるく店」に行けといったのです。

    あるわけない!と思ったら、その店の奥にそのお目当ての文房具が!

    その店のクオリティの高さと、じいさんの記憶力に感服しました。新潟のイナカ、おそろしや

    作者からの返信

    沢山読んで下さったのですね。有難うございます。
    やはりお若い方なんですね。
    読んで下さった方の中には、けっこうザル見たことありますよ、って言われてそうなんだ~と、返ってビックリしていますが。

    新潟のお店にも(新潟の、って言うならば、じゃ~・・と、私の家はどこか想像できますか?)あったのですね、雪崩危険・注意のお店が(笑)
    ニイガタ恐るべし!ですね。お爺ちゃんの記憶力にも乾杯!
    **時々故郷探訪に出かけたいと思います。いっぱい書いて、このお婆さんを喜ばせて下さると超~嬉しいです。

    編集済

  • 編集済

    天井から吊り下げられた笊。懐かしいですね、子供心にはあれがなんだか恰好よく見えたものです。笑
    モラルの低下ってどうやって防げばいいのでしょうね。いきつく先はやっぱり教育でしょうか。それも家庭教育。親がポイ捨てをしていればそれを見ている子供は、それをしてはいけないことだとは感じなくなるでしょう。悪いことだと知ってもバレなければいいんだと思うかもしれません。
    面白い話があるんです。ある町に不法投棄されやすい場所があって、どんなに注意や警告をしても止まなかったそうです。そこで苦肉の策としてなんの縁も所縁もないのですが、その場所に小さな鳥居を置いてみたらなんと不法投棄がされなくなったそうで。神の祟りを畏れる、という心理が働いたのでしょうか。
    つまるところ、目に見えない力への畏れが一番有効ということ? それはそれで嘆かわしいと言うか…。

    作者からの返信

    〇親がポイ捨てについて。
    子供の頃、バスの中には結構ゴミが無造作に捨てられてありました。外ではなくバスの中ですからこれはいけないことと、母は私に教えました。そしてお手本として見せてくれたことが・・自分のゴミを小さく丸めて座席の下のずっと奥にそっと捨てました。今から思えば捨てることには違いないのに、と笑っちゃいますが、当時の常識はその程度だったようです。
    〇不法投棄防止に効果有りだったという鳥居について。
    良いアイデアだと思います。良心の欠片がちょっとでもあればのことですよね。
    昔、我が家のお墓が小さかったせいか、お彼岸でお参りに行くとお墓は皆の掃除した雑草に埋もれて所在不明になっていたそうです。こんなことをする人達には鳥居の効果は望めなさそうですね。 念願かなって立派なお墓を建てたら雑草の山はなくなりましたから、モチロン嫌がらせではなく道徳心の欠如からだったのでしょう。
    人の迷惑とかバチあたりという言葉が忘れられてしまった世の中は残念でたまりません。


    編集済
  •  天井から、ぶら下げられたザルのお金。
     見たことありますよ。
           ^^;
     僕の育った町は、とても田舎。
     子供の頃だったので、ほとんど覚えていませんが、たしかにありました。
           😅
     モラルの低下。
     皆さん、世の中の動きが速くなって、モラルにまで、かまっていられないのか?
     何があっても、すぐに忘れてしまうテレビのニュースの影響か?
       皆さん、気にならない様ですね。

    作者からの返信

    モラルの低下を嘆く、なんて偉そうなことを書いてちょいと恥ずかしい気もしています。 私は明治生まれの両親に、お天道様に恥ずかしくないようにときつく言われて育ちました。
    幼い頃、遊びから帰った時に1円が遊び道具に入っていて、誰のか分からなかったことがありました。 当然間違いだと分かっていましたから怒られませんでしたが、その時に僅かなお金でも人のものを黙って持ってくるのは悪いことと、しっかり教えられました。 
    僅か1円でも1億でも泥棒に違いはありません。おりこうちゃんの私(笑)は何十年経っても忘れず、子供達にも言い伝えています。
    道徳教育は素直にきいてもらえる小さい頃にしっかりしておきたいものだと思っています。