帰ってきた親知らず

甘木 銭

帰ってきた親知らず

 僕には兄がいる。

 いや、いたと言うべきか。


 五年前、彼は忽然と姿を消した。


 どこへ行ったのかは知らない。

 何をしているのかもわからない。


 彼の行方を、親ですら知らない。


 そういう訳で、いつの間にやらついたあだ名が「親知らず」。

 センスも何もあったもんじゃないけれど、一年に一回ほど兄のことが話題に上がったかと思えば、両親ですら「あの親知らずは」などと言っている始末。


 全くひどい話だが、兄の名前すらうろ覚えになってしまった。しかし特別困ることは無い。

 親知らずで事足りてしまうし。そもそも話題に以下省略。


 そんな親知らずが継ぐはずだった家業の和菓子屋を、才能に恵まれない僕が継ぐことになり、店を切り盛りしている。

 漫画家になる、という小さいころからの夢を諦めて。



 店の裏の山の木々が紅く染まり出した、晴れたある日のこと。

 その日もいつもと同じように、紅葉のように鮮やかな菓子が並んだ店頭に立ち、常連のお客さんとカウンター越しに談笑していた。


 従業員も多く雇っているけれど、お客さんと接するのが好きなので僕はいつも店先に立っている。

 少し寒くなりだして、そろそろ朝だけでも上着を羽織ろうかな、なんて考えながら。


 子供の頃から慣れ親しんだ、いつも通りの店の匂い。

 いつものように常連さんを見送って、いつもの様にカウンターの中に戻る。

 いつもと違ったのは、この辺りではちょっと見かけない格好をしたお客さんが来たことだった。


 洒落た都会風の柄付き中折れ帽を深くかぶり、肌寒くはなったけどまだそこまではいらんだろうとツッコミたくなるような暑そうなコートを纏っている。


 その男は店に入るとしばらく辺りをきょろきょろと見回していたが、カウンターから様子を窺っていた僕の方を向くと、迷いのない足取りでこちらに向かってずんずんと足を進めてきた。


「よう、久しぶり。やっぱこっちはあちーな、どっかしまっとける上着着てくるんだったわ」


 カウンターに片肘を乗せ、馴れ馴れしく話しかけてきた彼に、僕は咄嗟に言葉を返すことも出来ずに仰け反ってしまった。

 そして下から覗き込んでくる彼の顔を見て、軽く「あっ」と声を上げる。


「兄ちゃん……?」

「ん、ただーいま」

 その顔は、まぎれもなく五年前に消えた親知らずのものだった。




「そうか、お前が後継ぎになったのか」

「まだ修行中だけどね」


 兄が僕の城、六畳の部屋に入り浸り、隅に畳んである布団の上でごろごろと動きながら話しかけてくる。

 僕はそんな兄を無視して部屋の対角にある文机に向き合っているが、うーん、邪魔だ。


「お、何描いてんの? 見してや」

「あ、おい!」


 油断した。

 いつの間にか背後に近づいていた兄に、描きかけの原稿を取られてしまった。 


「漫画か。まだ描いてたのかー。うん、上手いな。いやー俺が修行してる間に随分と立派になって」

「返せ!」


 立ち上がると同時に、机の脚に自分の足を強かに打ちつける。

 涙が出そうだ、色々。


「おっと。なあこれ新人賞に送ったりしてんのか?」


 原稿を取り返そうと追いかけるが、兄は狭い部屋の中をのらりくらりと逃げ回る。

 そういえば昔からこういうのが上手いんだよな、この人。

 僕からおもちゃを奪っていたころと何も変わっていない。


「そういうのはまだ……って、のわーっ!」

「ん? ……うおっ!」


 インクの乾いていない原稿をバッサバッサ振り回したせいで、兄の手とその先の紙は黒の斑になっていた。

 兄は、その紙を、ゆっくりと、机に置いて


「あー、おー……すまん!」


 逃げた。


「待てやァ!!」


 言いつつ、追いかけることはしない。

 というか出来ない。

 走り回ったせいでぶっつけた足の指の痛みを痩せ我慢し切れなくなった。


 それに、さっさと原稿の描き直しをしなくては。


 そうは思いつつも、痛みと面倒くささで畳に寝転んだまま動けなくなる。


「しかし、なんで今更帰ってきたんだ?」


 修行がどうとか、言ってた気がしたけど。




 なるほど、兄は実家の和菓子屋を継ぐ為に、どこかの職人のところに弟子入りして修行を積んでいた、と。

 どうやらそういうことらしい。


 どうして家族に何も言っていなかったかは不明だけれど、僕が見てもわかるほど腕は確かに上がっていて、兄は即刻第一線の戦力になった。


 跡継ぎの僕を差し置いて。


 店が繁盛するのも、僕達の手間が減るのもいいことなんだけれど。

 なんと言うか。

 居場所が無い。


 親知らずが帰ってきたところで、僕が跡継ぎでなくなるわけではないんだけれど。

 僕よりもきれいに菓子を作る兄を見ていると、うーむ、複雑。


 兄が帰ってから二ヵ月が経った。

 最初はゲスト扱いだった兄の存在は、すっかり大きくなり、当たり前になっていた。


 従業員とも打ち解けた。お得意様にも気に入られている。

 人当たりが良くて、実力もある。

 僕より、ずっと。

 ああ、あと情熱も。


 良いこともあるにはあった。

 僕の負担が減った分、漫画を描く時間が増えた。

 そして皮肉にも、以前より筆が乗っている。


 それもう乗っている。

 描き上がるペースが倍以上になっている。


 誰にも見せる予定は無いけど。

 次期当主としては、間違っている気もするけれど。


「跡継ぎがいいのかよ、それで」


 体が跳ねる。

 胡坐のまま座布団の上で大ジャンプ。


 黒線が原稿用紙の上をシュバビッと走り、あちゃーこれやり直しだーと頭の隅をかすめながら尻から座布団に着地した。


「店のこと俺に丸投げで、最近ずっと漫画描いてるだろ」


 ノックもせずに部屋に入り、あまつさえ作業中の僕に背後から声を掛けるのはたった一人。

 ここ二ヵ月でたった一人のニューフェイス。


「また邪魔しに来たのか」

 兄は二日に一回は僕の部屋に来ていた。


「進捗の確認だよ」

「漫画描くのやめて店に出て来いって言ってるように聞こえたけど」

「いや別にそういう訳じゃないけど」


 知っている。

 この人はふざけているだけだ。

 僕が店に出ても邪魔なだけだろうしなぁ。


「それで? 進捗どうですか?」


 まあ、あと6ページ。

 二日後には完成するだろう。


「早く完成させてくれよ。楽しみにしてんだから」

「別にそんな面白いもんでもないだろ」

「面白いよ、ちゃんと」


 一瞬、飲み込み来れなくて固まってしまった。

 ちゃらんぽらんだがきびきびと動く兄は、その一瞬の間にさっさとどこかに消えてしまった。


 一人残された部屋で、僕は静かに思い出す。


 そういえば、最初に僕の漫画を面白いって言ってくれたのは兄だった。

 兄が出て行って、漫画家になる夢を諦めて、家を継ぐことが決まってからも、ちまちまと書き続けていたのは……えーっと。


「んー、投稿、してみるか?」


 それで何がどうなるとも思えないけれど。




「今更東京に言ってどうするの!? 家は? 店はどうするのよ!?」

「それは、もっと適任な人がいると思うよ」




「いやー、母さん声でかいな。帰ってきてすぐの頃より元気になってないか」


 相変わらずノックもせずに部屋に入る兄。

 歓迎しない代わりに、追い返すこともしない。


「兄ちゃんが帰ってきて嬉しかったんじゃない?」

「いやあ、どうかねぇ」


 どうだろう。

 自分で言ってて自信が無いや。主に自分に。


「まあ、応援するけどさ。実際、東京行ってどうにかなるもん?」

「さあ、行ってからじゃないと分かんない。でも編集者さんも来た方がいいって言うし。家を出て修行生活しようかなって」

「止めらんねー」


 引き止めに来たんじゃないのか。

 そりゃそうか、親知らずだもんな。


「お前、まだ漫画家になりたかったんだな」

 兄ちゃんこそ修行してたなんて知らなかったよ、とは言わない。


「父さんも母さんも、そんなこと知らずにお前後継ぎにしようとしてたんだな。全く、この心親知らずだよなぁ」

 それも、兄ちゃんの方こそ、とは思うけど。


 何も言わなきゃ伝わらないよな、お互いに。


「じゃあまあ、多分僕は店継がないし。後は頼んだ」

「おう。帰ってきたら雇ってやるからな」


 盆と正月以外では帰ってこないぞ、絶対。

 もしかしたら、それすら帰れなかったりして。


 期待と不安と、安心感。

 そんなものを抱きながら荷物をまとめる。


 今度は僕が、親知らずだ。

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