誰からの手紙?(後編)

「で、どうするんですか、所長」依頼人が帰った後、野乃花が緊張した表情で尋ねた。

「うーん」進はただうなっただけだった。

「いや、あれだけはっきり『探し出します!』って言っておいて……」

「ちょっと待って」

「え、何ですか?」

「……忘れてた」彼は正面を向いたままつぶやく。野乃花はけげんな表情をした。

「何をですか」

 そう言った彼女に顔を向け、進は言った。

「お湯を沸かしてくれないか」

「え?」

「いや、昼飯を食うのを忘れていた」

「そこかよ!」


 進は自分の机の引出しからコンビニの袋を取り出す。

「今日はきつねだ」

 袋の中身を眺めて楽しそうに微笑む彼を、野乃花はキッチンでお湯を沸かしながら見ていた。袋から取り出したのは、カップうどん。

 その光景は、彼女が働き始めてから毎日目の当たりにしていた。

「毎日食べてるのに、よくもまあそんなに嬉しくなれますね。っていうか、飽きないんですか?」彼女が呆れて言う。

「何を言う。これこそが俺の大好物ソウルフードだ。味は毎日変えている」

「まあ、美味しいんでしょうけど、他にもいいものあるでしょう」

 やかんから音が鳴った。

「毎日カップうどんって不健康ですよ」そう言いながら、やかんを進に手渡す。

「心配いらない。一日一食って決めてるんだ」進は粉末スープとかやくを片手で器用に入れている。

「本当ですか?」

「ああ、今日はこれしか食わん」

「一日一食って、そういうことですか!?絶対身体に悪い!」

 野乃花の忠告を聞き流しながら、進はお湯を注ぐ。

 ふたを閉じ、割りばしをふたの上に置き、

「さあ、五分待ってできあがり」

 そう言うやいなや、彼は椅子に座り、腕を組んで目を閉じた。


(差出人不明の手紙。依頼人の故郷、学生時代、結婚。葬儀。親戚、息子、家族…………そうか)

「所長、五分経ちますよ」

 野乃花の声で目を開ける。

「言われなくても分かってるよ」

「毎日食べてたら感覚で分かるんですか」

「いや……まあ、そういうことにしておこう」

 あいまいな進の返事に野乃花が首を傾げた。

 割りばしを割り、ふたを開ける。湯気がたちのぼり、進の眼鏡を白くくもらせる。

 それをものともせず、割りばしを操作し、油揚げにかじりついた。

 野乃花が白い目で進を見た。彼女は既に昼食のパンを食べ終わっている。

「さっきの依頼な」うどんをすすり、再度油揚げを口に入れながら言った。

「はい」

「差出人は旦那だ」

「……はい?」

「これを食ったら依頼人に伝える」

「は?いや、ちょっと待ってください」

「なんだ?」

「まだ何もしていないじゃないですか」野乃花が困惑気味に言った。

 自分が雇われたのは、探偵の助手を探していたからだ。そう思っていた。だから、調査を手伝うものだと内心で意気込んでいたのだ。

「何もしていないわけじゃない。考えていた」

「え?」

「調査は必要があればする。だが、この件についてはそれが難しい。なぜなら、調査対象が亡くなっているからな」進のカップうどんの中身は終盤に入っている。

「でも、待ってください。依頼人の旦那さんは、はずでは?それなのに、どうしてに手紙を出せるんですか?」

 野乃花の質問に対し、進は黙っている。正確には、うどんの汁を飲み干そうとしている。

 カップうどんの中身が空になり、割りばしを雑に入れる。ふう、と息をついた。

「これは全部俺の憶測だがな、まず間違いないだろう。可能性を消去していったとき、残った事実がたとえどれだけ信じられなくても、それが真実なんだ」

「漫画のセリフですか?」

「まあ、聞け」

 そう言うと、進は野乃花に指を向けた。彼の目は鋭く光っているように見えた。


「依頼人の手紙の内容はなんだった?」

「ええと、確か、依頼人の故郷や学生時代のことや結婚の話……プライベート全般でしたよね」

「そうだ。俺は旧友との昔話みたいだ、と思った。だが、普通に考えると、その話を一番よく知っているのは誰だ?」

「ええと……それが、旦那さんですか?」

「不正解」

「はあ?」

「依頼人のことを一番よく知っているのは、依頼人本人だろう」

「は、いや、何言ってるんですか?」

「手紙の内容を読んで自分のことだ、と分かる。これって実は重要な事実だよな。差出人が不明ってことは、自作自演の可能性もあるわけだ」

「ええ、まあ、あり得ますね」

「だが、俺はその可能性を排除した」

「そりゃあ、自分で書いたなら、誰が出したか分かりますもんね。わざわざ探偵事務所に依頼に来ない」

「となると、次にあり得るのは?」

「……旦那さん、ですか?」野乃花が恐る恐る言った。

「息子、という可能性は?」

「依頼人の学生時代まで知っているでしょうか?」

「それは旦那も同じだ」

「まあ、それはそうかもですけど」

「だが、動機という点では、息子よりも旦那にある」

「え?」

「旦那はがんで亡くなった、と言っていた。おそらく、余命が分かっていたんだろう。友達のいない妻が、自分が死ぬとひとりぼっちになる。だから、少しでも孤独感をやわらげようと手紙を書いた。それで、自分が死んだら依頼人に届けるよう、息子に頼んだんだ。依頼人と息子との関係は分からないが……一言声をかければ何も不思議なことはなかったのにな。大筋はこんなところだろう」

 野乃花はしばらく黙っていた。

 進の言ったことが、正しそうだったから。

 依頼人の夫の気遣い。おそらく仲の良くないであろう息子の気遣い。

 探偵事務所とは、依頼人の依頼に対して調査をし、発見された事実を報告することをなりわいとする。あるいは謎を解決するといったドラマ的展開もあるかもしれない。

 そんなことを野乃花は期待していた。

 しかし。

 進のやっている「それ」は、まったく探偵らしからぬことではないか。

「それで、依頼人に報告するんですか?」彼女が尋ねた。

「真相は分からない。息子を問い詰めれば分かるのかもしれんがな。ただ、大事なのは、依頼人がどういったことを望んでいるのか、俺の仕事として何がベストか、ということだ」

 進は真顔で言った。


 その日の夕方。

 進は依頼人に電話をかけた。

 野乃花と話した内容を調査結果として報告する。数度のやり取りがあった後、電話を切った。

「ありがとうございました、だってさ」

 進はほっとした表情で言った。

「そうですか」

「よし、もう今日は帰っていいぞ。勤務時間も終わってるし」進が告げた。

 しかし、野乃花は進に背を向けたまま動かなかった。

「どうした?」進がもう一度声をかける。

「私、どうして雇われたんですか?」野乃花は唇をとがらせ、昼前に聞いた質問を再び口にした。

「え?」

「所長が一人で依頼を受けて、一人で解決させて……私を、本当に受付役、便利な雑用としか思ってないんですか」彼女は振り向き、進を睨みつけるように見た。少し目が潤んでいる。

「探偵になりたいのか?」

「そういうわけじゃないんです。ただ、何か仕事で役に立てることはないのか、って思っただけで……」

 進は立ち上がる。

「別に今回みたいな依頼ばかりじゃない。それに、君の本分は学生だと思っている。手伝ってもらうこともあると思うけど、なるべく負担をかけさせたくない」

「でも!」野乃花が大きな声を出したとき。

 チャイムが鳴った。

 二人は扉の方を向く。

 野乃花が扉を開けると、さっき電話をした依頼人が立っていた。

「電話でも伝えたのだけど、直接お礼を言いたくて」彼女が言った。

「いえ、大したことをしたわけでは」進が両手を前に出して言う。

「手紙は主人が書いたもの……なら、差出人はもういない、ということね」

「……はい」進が神妙に頷いた。

「でも、きっとそうね。あの人らしいわ」

(やはり、うすうす分かっていたようだな)

「ありがとうね、本当に」彼女の寂しそうな笑顔に進が頭を下げようとしたとき、

「たまには、お話しにきてください」

 野乃花がそう言った。

「お友達に、なれるか分からないけれど。特にこの所長は」

「お、おい」

「この事務所、意外に暇なんです」野乃花が笑って言う。

 依頼人は目を丸くしていたが、やがて穏やかに微笑んだ。

「嬉しいわ。ここに来て本当に良かった」


「なんで、突然あんなことを?」

 翌日の午前十一時、事務所にて。進が野乃花に尋ねた。

「依頼人にとって何がベストか、が大事なんでしょう?」素知らぬふりで彼女は言った。

「あのおばあさん、これからずっとひとりだったらつらいじゃないですか?私達が友達になれば、少しは寂しくなくなるでしょ?」

「まあ、そうだけど……」進は頭を掻き、少し笑う。

「確かに、それがベストなのかもしれないな」

「所長。私もたまには役に立ちたいんです。あれこれ言ってくださいね」野乃花はそう言って笑った。

「やれやれ。分かったよ。じゃあ早速、頼みごとをしようかな」

「はい、何しましょう?」

「とりあえず……お湯を沸かしてくれないか」

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ウド探偵事務所の日報 辻窪 令斗 @mebius1810

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