思春期の罠 PART1 ~わたしのトリクルダウン~

小林勤務

第1話 利益

 中学生のお小遣いの平均値は、2,500円ぐらいなんだって。


 でも、学年によって差はあると思うし、それに、平均値っていうのはどうも怪しい。だって、一人の大金持ちの中学生が月に1億円もらっていたら、どうだろう。極端な例えではあるが、たった一人に大きく平均値が引っ張られることはないだろうか。だから、ここではあまり平均値にこだわってもしょうがない。むしろ、気にするのは平均値ではなく最頻値だ。つまり、もっとも多くの人が実際にもらっている金額のこと。


「わたし、2年生に進級しても1,000円のままなんだよね」

「あ~、それは痛いね。こっちは、1,000円あがって2,000円になった」

「こんなんじゃ、マンガ一冊買って終わりだよ」


 わたしのぼやきに反応して、今日もそんな嘆きが昼休みにちらほら聞こえてくる。

 クラスの最頻値は2,000円。でも、この金額に届かない者もいる。わたし含めてね。

 中学生は何かと物入りだ。小学生とはちがい、当然、行動範囲も広くなる。今までは両親といっしょに買い物に行っていたけど、これからは友達同士でショッピングモールに出かけたり、その帰りにアイスでも食べたり。ましてや中学2年生ならば、なおさら。


 お小遣いなんてすぐになくなってしまう。最頻値を下回るっていうことは、言わずもがなだけど、不満の種だし、格差も感じちゃうよね。


「ねえ、坂井くんはいくらもらってるの?」

「おれ? おれは……3,000円」


 いいなあ~と大合唱。中学2年生で3,000円ということは、坂井くんはわたしたちの平均値を押し上げてるうちの一人なわけね。


 彼は地味な存在だ。運動や勉強に秀でているわけではなく、お世辞にもかっこよくもない。だからというわけではないけど、わたしとはあまり会話することはなかった。


 でも――こんなグチにも似た会話の延長で、彼とは接点ができた。


 坂井くんの父親は、車を販売する大手企業に勤めている。いわば、彼はらしい。というよりも、わたしの周りは、親がいいとこの会社で働いている人が多い、ってお父さんが言っていた。


 お父さんの口癖は、頑張って勉強して、とりあえず偏差値の高い大学に行け。

 これだ。

 なんで、という疑問もわかず、ああきっとそうなんだろうなと小学生の頃から感じていた。


 わたしの両親はこの付近で営業している個人のラーメン屋だ。いわゆる飲食業であり、個人事業主。景気にもろに左右される業態であり、そのあおりは娘のわたしにも当然のごとく降りかかる。


 今回のお小遣い据え置きが決定されたのも、そのせいだ。


 忌々しいウィルスの影響もあるけど、円安のせいでもある。仕入れ値が上がっても、価格に転嫁することができない。ただでさえ客足も遠のいているのに、ますます厳しいな。お父さんはニュースを見ながら、ぶつくさつと。


 ため息交じりにビールを飲む、父の空のコップにお酌をしても、お小遣いに変化はなかった。


 勉強して安定した大企業で働きなさい。親から言われなくても子供の頃から、そう意識していた。でも、偏差値も据え置きだけどね。ああ、困った。塾に通わせてもらう余裕もないだろうし。


 この一帯は、元々は森だったそうだ。県道沿いの安い土地に、まずわたしのラーメン屋が開店し、市の宅地開発が推進されるにつれて、徐々に一軒家が増えてきた。一軒家を購入できるぐらいの財力がある家庭がここに移り住み、必然としてわたしの同級生もそんな人並み以上な家庭の子が多くなった。


「うちなんて、ボーナス減らされたのを理由に、お小遣いはそのままだよ」

「そうなの? うちはむしろ逆で、儲かってるなら上げてよって交渉したよ」


 続けざまに坂井くんと男子の会話。


 坂井くん以外の同級生はそんなにお小遣いが上がっていない。なかには、わたしみたいに据え置きという友達もいた。彼ら、彼女らは坂井くんと同じ、親が大企業の子供なのに。


 なんで――。


「あのさ、今度、うちのラーメン食べに来てよ」

「え!」

 坂井くんをうちに誘ったら、びっくりされた。

「新商品作ったのよ。ステーキラーメンっていうの。おいしいよ」

「う、うん、じゃあ今度の土曜日に行こうかな」


 *

 

 約束通り、彼はうちに来てくれた。


「はい、おまち」

 時給の発生しないバイトをしているわたしが、ステーキラーメンをテーブル席に運ぶ。

「うわ、うまそう」

 でしょ。ちなみに、このラーメンのメニュー開発は、何を隠そうわたしなのよ。ラーメンってさ、味噌、醤油、塩とか、味のバリエーションが出尽くすと、あとは具材で差をつけるだけなの。だから、思い切ってステーキ乗せたらどうって提案したわけ。


 この不況を吹き飛ばすほどの景気のいいラーメンじゃない?


 うちの平均的な価格帯よりもお高めだけど、ありきたりなチャーシューなんかじゃ、誰の目にも止まらないからね。


 いただきまーすと箸を割り、ずるずると麺をすする坂井くん。立ち込める香ばしい醤油の香りが、わたしの鼻腔までくすぐる。なんだかこっちまでお腹が減ってきた。 


 彼の正面で頬杖をつき、一心不乱にステーキラーメンに食らいつくその姿をじっと見つめる。


 すると――どんぶりを両手で持ち上げ、スープを飲もうとした彼と、一瞬だけ目があった。


 すっと、視線を逸らす坂井くん。

 きょとんとするわたし。

 ふーん。そうなんだ……。

 でも、そんなこともいいけど、結局のところ――


「――ぶっちゃけ、どうよ? おいしい?」


 彼はスープまで飲み干して、持ち上げたどんぶりをどんと置き、一言。


「うまい」


「でっしょー」


 うちのラーメンは食後に、小さな杏仁豆腐のデザートがつく。満足げな彼と、好きなマンガのことや、2年生になってからとたんに数学が難しくなったとか、そんな他愛もない話に花を咲かせたあと、再び話題はお小遣いに移った。


「円安になって電気代とか、小麦粉とか値上がってるじゃん」

「そうだね。色々と値上がってるよね」

「そうなると、結構厳しくなるじゃない。それはうちみたいな個人のラーメン屋だけじゃなくて、全ての家庭も、大きな会社だって同じだと思うんだよね」


 だから――


「なんで、坂井くんの親の会社は儲かってるの?」


 それが直接な原因かわからないけど、お小遣いの値上げ交渉がうまくいったのってソレでしょ。


 もちろん、それぞれの家庭の教育方針に違いがあるのは理解している。でも、わたしの友達も親が大きな会社に勤めているみたいだけど、不況で、お小遣いの値上げ交渉はできなかったって。わたしの目から見たら、同じ大企業なのに、この差はなにって感じ。


 彼はそんな疑問に涼しい顔を見せる。


「父親の会社は円安になると儲かるらしいよ」


「え? なんで? だって色んなものが値上がってるじゃない」

「まあ、それよりも儲けの方が大きいだって」

 円安ってね。そう一呼吸置かれて、

「名前の通り、円が安くなるってことじゃない」

「うん」

「電気の元になる石油や小麦粉といったモノを輸入しているところは、海外に支払う円が多くなる。つまり、今まで100円でよかったものが、仕入れが130円になったら、その分原価に反映させないといけないから大変なんだけど、逆に、車とか海外に売る場合は円は安い方がいいんだよ」

「ん? ごめん、どうして。だって円が安いんだから、車を売るにしても、多く円を払うよね」

「ううん。海外に売るときは、二つのメリットがあるみたいよ」

「ほうほう」いつの間にか、身を乗り出して。

「海外にモノを売るときって、向こうの通貨で買ってもらうんだよ。例えば、1ドルで100円のモノを買っていたのが、同じ1ドルで130円のモノが買えるようになる。つまり、同じ1ドルで1.3倍価値が高いモノを買えるってことになるわけだよ」


 なにそれ。なんかモノは言いようって感じじゃない。


「しかも、海外で1,3倍価値の高いモノは、ライバル商品に対して、1.3倍安いってことにも繋がるから、必然的に、モノが売れ易くなるってわけよ。まず、ここで儲ける。そんでもって――」

「え? まだあるの?」

「あるある。だって、買ったお金って、向こうの通貨――例えば1ドルで支払われるわけじゃない。その1ドルを日本で円に両替してみたら、幾らが幾らになると思う?」

「いくら……って」

 なにそれ。いつの間にか、同級生なのに、先生と生徒って構図じゃない。

「今まで100円で両替されたものが、130円になるわけだよ。1.3倍儲かっちゃったってことだよ。だから、円安になると、海外にモノを沢山売ってる会社は儲かるんだって」

 そういえば思い出した。坂井くんの父親って、世界的に車を販売している会社だったっけ。過去最高益を更新ってニュースでやっていた。


「経済って知れば知るほど面白いよね」


 坂井くんの言う通りだ。


 ほんとに経済って、いろいろと面白いよね。


 *


 そして――お会計となる。

 このステーキラーメンは1,300円。うちの売れ筋、ピリ辛味噌ラーメンが800円だから、500円も高い。その分の価値はあるからいいでしょ。

 暖簾をくぐる前に、彼は振り返った。その顔は真っ赤に染まり、何かを言い澱む。

「どうしたの?」

「いや、あのさ……」

「また、ステーキラーメン食べにきてよ」

 にっこり笑って、そう背中を押した。

「う、うん。またくるよ」

「約束だよ」

 ぎこちなくはにかむ笑顔を前に、わたしも自然と頬が緩んでしまった。 


 坂井くん以外お客さんもいなく、彼が去ったあとの店内は、しんと静まり返っていた。ガラス越しに彼の姿が完全に見えなくなるまで手を振って見送ると、とんとんと肩を叩かれた。

「気に入ってもらって良かったな」

 タオル鉢巻きをした古風な職人。お父さんだ。

「だね」

「この新商品が他のお客さんにも売れるといいな」そう言って、厨房に戻ろうとするお父さんの背に、わたしはこう投げかけた。


「約束は守ってよね」


「わかった、わかった。ちゃんと覚えてるから、心配するな」


「ステーキラーメンが売れた分の利益をお小遣いにのせてよ。中学2年生なんだから、皆と同じ2千円まで」


 わたしがこの新商品を提案したのには理由がある。

 最低でも2,000円はないと友達付き合いが維持できない。だって、今時、1,000円で何をすればいいのさ。マンガ買って、ファーストフードに1回行って終わりよ。ただでさえ色んなモノが値上がってるのに。


 それならば――わたしが自分のお店でビジネスをしよう。


 うちの売れ筋ラーメンより高い価格設定にして、差額の利益をお小遣いに回してもらおう。わたしが連れてきたお客さんが、新商品を食べるごとに、お小遣いが増えるってわけ。


 お父さんは言った。


「でも、2,000円にはまだならないぞ。だって、彼は1杯食べただけだからな」


 わたしは言った。


「大丈夫よ。坂井くんのお小遣い、3,000円だから、もう1杯食べに来られるから」


 それに――彼、わたしのこと好きだから。

 わたしの株を上げるために、必ず食べにくるよ。

 500円の利益(1,300円―800円)×2杯=1千円

 これで、わたしも人並みに、お小遣い2千円を確保だ。



 どこかで得た利益は、利益を得ないところにも落とさないとね。



 あと、これも付け加えようかな。


「彼、頭も良さそうだから、塾代も浮きそうじゃない」



 了



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