婚約破棄したら真実の愛を手に入れました

青によし

婚約破棄したら真実の愛を手に入れました


 私には二歳年上の姉がいた。社交界に咲く大輪の薔薇だと称されるほど美しい人だった。

 その姉には婚約する予定の相手がいた。幼馴染のクロード様だ。両家とも乗り気で、二人が十六歳になったら正式に婚約することになっていた。

 そしてクロード様は、私の初恋の相手でもある。気付いた瞬間に失恋なのだけれど。

 クロード様は優しくて、活発な性格の姉に置いて行かれてしょんぼりしている私を、いつも気遣ってくれた。一緒に姉を待ってくれるクロード様は、きっと子守のつもりだったのだと思う。だけれど、私はその時間がいつしか一等好きな時間になっていた。


 姉は華やかで気ままな性格ゆえ、婚約する前にいろんな場所を見てみたいと言いだし、王立学園に在学中の十五歳のときに隣国へ留学した。そして、そのまま亡くなってしまった。事故だと聞いている。

 隣国で葬儀は勝手に行われてしまい、私達のもとには遺品が数点おくられてきただけ。なんだか、まだ本当に死んでしまったなんて信じられないという気持ちだ。


 妹の私ですらそうなのだ。婚約者も同然であったクロード様はもっと信じられないのだろう。姉の死から三年がたっているが、クロード様は未だに婚約者を決めていない。公爵家の一人息子だから、十八歳にもなると婚約の話は山ほど持ち込まれる。だが、すべて断っているらしい。


**********


 クロード様は今でも我が家に訪れる。弟の勉強を見てくれているのだ。そして、時間があると私とお茶をしてくださる。どうやら姉がいなくなっても、私のことは妹のように思ってくれているみたいで、困りごとはないかと心配してくださる。本当に優しい方だと思う。


「クロード様。父から聞きましたが、どうして婚約をされないのですか?」

「……心に決めた相手がいる。だから他の令嬢と婚約するのはその令嬢にも失礼だろう。でも、最近は断るのも一苦労で困っているよ」


 クロード様は私の目をじっと見つめてきたかと思うと、ふっと逸らした。


 まだクロード様の心の中には姉がいるのだ。

 そばにいる私よりも、亡くなった姉の方がクロード様にとって大事なのだと突きつけられる。そのことに胸が切なくなった。

 だけど、姉を今も大事に思ってくれていることは妹として嬉しい。この気持ちも本心だ。


 だから、私は決めた。

 クロード様の姉を思ってくれる気持ちを守り、心が落ち着くまで彼の憂いを防ごう。そのためなら、自分がどんなに傷付くことになろうが構わない。


「でしたらクロード様。私を仮の婚約者にしてください。そうすれば婚約話を断る心痛もなくなります。そして、あくまで私とは仮の関係ですので、クロード様が心から結婚したいと思う相手が現われたら、私との婚約は破棄すればよいのです」


 そう、私が隠れ蓑になればいいのだ。


「カロリーヌ、つまり僕の婚約を断るのに君を使えということかい? そんなこと出来るわけがない」

「そうおっしゃらずに。私にもメリットがあるのです」


 仮初めとはいえ、ずっと好きだったクロード様の婚約者になれるのだから。


「どんなメリットが?」


 クロード様はいぶかしげに私の返答を待っている。でも、さすがに心の内を正直に話すわけにもいかないので、少し言い方を変えてみることにした。


「実は、私も心に決めた方がいるのです。ですから他の方と結婚はしたくないのです」


 そう、クロード様以外と結婚するくらいなら、一人でいた方がいい。

 家は弟がいるから後継に困ることもないし、両親も姉のことがあってから、生きていてくれればそれでいいという考えになっているから大丈夫だろう。


「君に、まさかそんな相手がいただなんて……それは誰?」


 クロード様が唖然とした表情を浮かべていた。心なしか顔色も悪いような。


「……恥ずかしいので内緒です」


 本人に向かって言えるわけがないし、言われたらクロード様だって困るだろう。


「内緒、なのか。そうか」


 クロード様は額に片手を当てつつ、何やら考え込んでしまった。


「あの、それで、仮の婚約者のことですが、いかがないさいますか?」

「カロリーヌは本当にいいのか?」

「はい、もちろんです。私が言いだしたことですよ?」

「そうだが……じゃあカロリーヌも心に決めた相手と上手くいくか、もしくは別に結婚したいと思う相手が現われたら僕との婚約は破棄してくれ。それを約束してくれるなら、この話を受けよう」


 私から破棄することはあり得ないけれど、まぁそれでクロード様が納得してくれるのならそれでいい。


「はい、お約束します」


************


 こうして私とクロード様は仮の婚約者となった。

 貴族においての婚約は、家同士の結びつきの意味合いが強い。それゆえ、もともと縁を結ぼうとしていた両家だけに、すんなりと婚約話はまとまったのだ。


 クロード様にエスコートされて社交界デビューもした。仮とは言え、まわりの人達は知らぬこと。婚約おめでとうと言ってもらえてとても嬉しかった。

 クロード様は完璧に私をエスコートしてくれる。雲の上でステップを踏んでいるかのようにダンスもリードしてくれるし、飲み物も気がつくと持ってきてくれる。他の男性にダンスを申し込まれて困っているとすぐに駆けつけてくれるし。私だけをとても大切に甘やかしてくれるから、いつも勘違いしそうになってしまう。

 だけど、公の場を離れると、クロード様は以前みたいに妹に接するような態度に戻ってしまう。改めて仮初めの関係なのだと突きつけられて空しさが襲ってくる。勘違いしそうになっても、勘違いさせてくれないのだ。


 自ら望んだ関係だ。自分の心が苦しかろうとそれは自業自得。クロード様のためにこうなることを選んだのだから。

 だけど、最初は自己満足で納得出来ていても、時間がたつにつれてつらくなってきてしまった。仮の婚約者でいるかぎり、姉の身代わりのようなもの。私自身を見てくれているわけではない。

 しかもクロード様は普段は妹のように変わらず優しく接してくれるし、公の場にいけば、こちらが照れてしまうくらい完璧な婚約者として扱ってくれる。まるで麻薬のようだった。止めたいけれど止められない。


 でも、いつかは終わりにしなければいけない関係だと頭では分かっていた。だから、それが予想よりも早く、突然来ただけだ。


***********


 私が使用人を連れて街に買い物に出ていたら、見知らぬ男達に囲まれて連れ去られてしまった。

 気がつくと両腕と両足をそれぞれ縛られて、倉庫のような場所にいた。割れた窓から見える空はもう暗い。使用人は少し怪我はしていたが、口を塞がれ手足を縛られた状態で私の隣に転がっている。無事とは言いがたいかもしれないが、まずは私も使用人も命があることに安堵した。


 しかし、何故このような誘拐をしてきたのだろうか。身代金目的だとすれば、我が家は貴族とは言えもっと裕福で身分の高い家はたくさんあるのに。もし人身売買だとしたら、中年男性である使用人まで一緒に連れてくるのはおかしい気がするし。


「気がついたか、カロリーヌ嬢」


 誘拐犯達のリーダーと思われる男が話しかけてきた。


「どうしてこのようなことをなさるのです?」

「依頼だよ。あんたを交渉材料にして、あいつを引きずり落としたい人がいるらしい」

「あいつ……とは誰のことでしょう」

「あんたの婚約者様だよ。知ってるだろ。今、王子の側近に抜擢されるって噂が出ている。それを断ってほしいらしいぜ」


 誘拐犯は楽しそうに説明してくる。


「……依頼内容をそんなにぺらぺらとしゃべって良いのですか?」

「ははっ、違いねぇ。だがな、王子の側近の地位を狙っている奴は山ほどいすぎて、依頼人なんて誰だか分かるわけねぇし、実際俺も知らねぇ。前金が届いたからこうして依頼を実行しているだけだ」


 なるほど。確かに第一王子が正式に王太子になるのに伴い、側近を決定するという話は聞いたことがある。だけどクロード様の名前があがっていることは知らなかった。

 本人も何も言っていなかったし。まぁ、そのような重大なことを軽々しく口にするような方ではない、というのもあるけれど。


 でも、私のために王子の側近を断るだろうか。とても名誉あることだし、クロード様は国を良くしたいという志をお持ちだ。王子の側近になれば、その志を実行できる地位も権力も手に入れることが出来る。こんな仮初めの婚約者などと比べるべくもない。


「婚約者に助けてって手紙を書け」


 腕の縄を解かれて、目の前に紙とペンを置かれた。足の縄はそのままだし、使用人には誘拐犯の一人がナイフを向けている。もし私がおかしな行動をしたら刺すぞという脅しだ。


「明日の正午、側近の任命式がある。だがその任命式を欠席すればどうなると思う?」


 おそらく任命式の前に事前通告は来ているはず。そのうえで任命式をすっぽかしたら……任命は取りやめになるだろうし、下手をすれば不敬だと何らかの処罰を受けるかもしれない。

 つまり、私が助けてと書いた手紙を読んでクロード様が助けに来れば、任命式をすっぽかすことになる、という算段らしい。


 確かに、クロード様の大切な本物の婚約者だったらそうなるかもしれない。だけど、私はあくまで仮でしかない。妹的な存在として可愛がってもらっている自負はあるが、今後のクロード様の人生をかけた任命式と天秤に掛けて勝てるだなんて、これっぽっちも思えない。


「書きたくない。それに、書いたとしても、きっとクロード様は来ない」


 私はぽつりと独り言をこぼす。

 聞き逃さなかったらしい誘拐犯が、眉間にしわを寄せた。


「はん? 何言ってんだ。あいつは婚約者のことを溺愛してるって有名だぞ」


 それは、クロード様が公の場ではそう振る舞っているだけだ。


「……しけた面しやがって。ちっ、じゃあ来ねえって思ってるなら、なおさら逆に書いたっていいじゃねえか。ほら書けよ。書かなきゃこの使用人は痛い目をみるぞ」


 使用人の首元にナイフがぴたりと当てられる。少しでもナイフを動かしたらすぱっと切れてしまいそうだ。


「や、やめてください。傷つけないで」

「なら書け」


 使用人は真っ青になって首を振っている。言うことを聞くなとジェスチャーで伝えてくれているが、目の前で傷つけられるのを黙って見ているわけにもいかない。私の供をしたばかりに、こんな目に遭ってしまっているのだから。

 私は逡巡した後、震える手で助けてと手紙を書いた。ペンに震えが伝わってとても下手な文字になってしまった。こんなものがクロード様の目に触れるかと思うと恥ずかしい。それ以上に、彼に心痛を与えてしまうことが申し訳ない。

 私は、彼の助けになりたかったのに。決して、こんな足を引っ張る存在にはなりたくなかったのに。

 悔しくて、思わず涙がこぼれてしまった。


***********


「さっき届けてきたぜ」


 誘拐犯のリーダーが楽しげに言ってきた。

 もうとっくに夜は明け、太陽は真上に近くなっている。

 来るわけないという気持ちと、来て欲しくないという気持ちと両方だった。

 だけど、ほんのちょっとだけ、来てしまうかもしれないとも思う。だって、クロード様は優しい方だから。


 倉庫の外がなにやら騒々しくなってきた。


「お、残念ながら来たぜ。予想が外れたな、カロリーヌ嬢」


 誘拐犯が窓から外を見ると、にやにやとした表情で言ってきた。


「まさか、来てしまったの……」

「そういうこった。よかったな、愛しの婚約者が来てくれて。本心では来て欲しかったんだろ」

「そ、そんなことないです」

「ま、あんたらの関係は正直どうでもいいんだ。あいつがここに来たってことは俺の依頼は達成ってことだし。俺は面倒なことになる前に逃げるわ。じゃあな」


 誘拐犯は指笛を吹くと、裏手の窓からさっさと出て行ってしまった。他の誘拐犯一味の人達もあっという間に目の前から消えてしまう。


 そして、私と使用人だけになったと思った瞬間、勢いよく扉が開いてクロード様が飛び込んできた。額に汗を掻き、髪は乱れ、服も汚れている。慌ててここまできたというのが一目瞭然だった。


「カロリーヌ! 無事か?」

「クロード様……申し訳ありません」

「なぜ謝る? もしや、何かされたのか」


 クロード様は縄を解こうとしていた手をピタッと止めて、真っ青な顔色で私の頭から足までを見渡す。


「いえ、縛られていただけで殴られたりはしておりません。ですが、クロード様にご迷惑をかけてしまいました」

「僕のことなんかいいんだ。むしろ、僕のせいで君をこんな危険な目に遭わせてしまった……本当にすまない」


 クロード様の手が私の頬に触れた。クロード様の手は震えている。私をこんなに心配してくれたのかと思うと、不謹慎だが少し嬉しいと思ってしまった。


 クロード様の手で縄が解かれた。久しぶりに自由になった手足が軽い。使用人もクロード様が連れてきた護衛によって縄を解いてもらっている。

 ほっと息をついたことで、ふと重大なことを思い出した。


「クロード様、今何時でしょうか。正午前なら早く城へ向かってください。まだ間に合うかも」

「いや、もう時間は過ぎているよ。それに、もし時間前だとしても、こんなところに君を残したまま行けるわけがない。僕にとって君より優先すべきことなどないんだ」


 クロード様の目がまっすぐに私を見つめていた。

 まるで、本気で私を最優先しているみたいではないか。

 こんな熱っぽい瞳を向けられては誤解してしまう。


「クロード様がお優しいのは知っていますが、私は仮の婚約者です。そこまで優先してくださらなくて――」

「違うんだ!」


 クロード様が言葉を遮るように叫んだ。

 温厚なクロード様の初めての大声に、心臓が飛び出るかと思った。


「カロリーヌ、すまない。違うんだ。僕は臆病者だから……君の申し出に乗ってしまった。本当は、仮なんかじゃなく、本当の婚約者になりたかったのに。君に『心に決めた人がいる』ときいて、怖じ気づいてしまったんだ」


 いったい、どういうことだ?

 まさか、クロード様の心に決めた相手は、姉ではないというのか。


「待って……ください。それではクロード様の心に決めた相手が、私であるかのように聞こえてしまいます」

「その通りだよ。僕は君が、カロリーヌが好きだ」

「そんな。言ってくだされば……私……あっ」


 私だって、怖じ気づいてこんな仮初めの婚約話を提案したのだ。クロード様を責めるようなことを言うなんて間違ってる。


「もとは君の姉と婚約の話があったから、すぐには言いだしにくかった。まるで亡くなったから妹に婚約者をすげ替えたように見えてしまうのではないかと怖くて、少し時間をおいて申し込もうと思っていたんだ。だがそれが良くなかった……いつ申し込めば良いのかタイミングが分からなくなってしまった。でも、僕は初めて会ったときから君のことを可愛いと思っていた。初めて屋敷を訪問して緊張している僕を気にして、ずっと側にいてくれただろ。とても優しい子だなって思った。僕はずっと君のことを好きだったんだ」


 クロード様の言葉に、顔が熱くなってしまう。きっと真っ赤になっているに違いない。


「そ、そのようなこと、初耳です……」

「僕は口が達者な方ではないから、恥ずかしくてずっと言えなかった。それに、婚約の話は親達の方で勝手に進んでしまっていたからね」

「でも、私には姉とクロード様、お二人は仲が良いように見えました」

「同い年で気を遣わないですむから楽だっただけさ。それに、彼女は僕がエスコートなんてしなくても勝手に好きなように走っていくからね。きっと婚約が正式に決まる前に、自分で結婚したい相手を連れてくるだろうと思ってたし、本人にもそのようなことを宣言されたしね」


 クロード様は苦笑いを浮かべている。


「え、では姉様と正式に婚約するつもりはなかったのですか?」

「あぁ、お互いに分かってたのさ。彼女も僕が君のことを好いているのを勘づいていたからね」


 知らなかった。

 仲が良いと思っていた二人が、まさか形だけだったとは。


「ねぇカロリーヌ。君はこの仮の婚約の時に条件をつけたよね。僕が『心から結婚したいと思う相手が現われたら、婚約は破棄すればよい』と」

「え、ええ」

「じゃあこの仮の婚約は破棄しよう」


 クロード様は片膝を付いて、私を見上げてきた。

 この姿勢は……まさか……


「カロリーヌ、僕は君を愛している。正式に婚約して欲しい」


 信じられない。でも、真剣なまなざしが嘘ではないのだと告げている。


「私で良いのですか?」

「君じゃなければいけないんだ。君は?」

「わ、わたしも……私もクロード様じゃなければ嫌です。ずっと、ずっとお慕いしておりました」


 震えそうになる声で、私は返事をした。


「ありがとう、カロリーヌ。一緒に幸せになろう」


 公の場以外で、始めてクロード様に抱きしめられた。その暖かさが涙が出るほど嬉しかった。


**********


 クロード様は任命式に出ることはなかったが、不敬だと叱責されることはなかった。逆に、真面目な彼が急に欠席するなんてよほどのことがあったに違いないと、心配されていたらしい。

 実際、婚約者が誘拐されて助けに向かったと知ると、王子はいたく感動したとのこと。ますます側近にしたいといってくださり、予定通りクロード様は王子の側近に就くことになった。


 そして、私を誘拐した犯人達も、クロード様が連れてきた護衛が追いかけて捕まえていた。そこから調べ上げて、依頼した貴族も判明した。クロード様を何かと目の敵にしていた伯爵家の人で、爵位を剥奪されて辺境の地へ追放となったと聞いている。


 紆余曲折あったけれど、私は仮の婚約者から本当の婚約者になることが出来た。公の場だけでなく、二人だけの時もクロード様は恋人としてとことん甘やかしてくださる。

 身を守るための偽りが、逆に真実を遠ざけていた。でも、遠回りしたけれど真実を手に入れることが出来て、今はとても幸せだ。

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