僕の言葉

木内一命

1

もうすぐ卒業式。あと少しで、僕はこの教室を後にする。

チャイムの音に気が付いて顔を上げると、外からは夕日が差して、少し暖かかった。

ひとりの教室は、さびしい。

読みかけの推理小説を閉じて、カバンにしまう。早く帰らないと、先生に怒られてしまう。

「おう、まだいたのか」

よく通る声がする。渡辺晃わたなべあきらくんだ。

「……ああ、うん。もう、帰るけど」

「まったく、ゆうも変なヤツだな。運動くらいしたらいいのにさあ」

晃くんは汗を拭いている。部活の帰りなんだ。

「オレはさ、今日めっちゃかっこいいダンクシュートしたぜ!すごいだろ?」

「そっか、大会終わったのに、大変だね」

「お前もバスケしない?あ、でももう卒業か。もったいねー」

「ごめん!帰らなきゃ……」

僕はあわててカバンをつかんで、自分の席を後にする。

「じゃあね!また、明日」

ガラガラ、と扉を開けて、足早に廊下を走りだした、その時だった。

「おーい、なんか落としてんぞー」

振り返る。

その手に握られていたのは、白い封筒だった。

いけない。あれの中身を見られたら、終わりだ。

「なんだ?これ?」

晃くんの手から、ひったくるように手紙を奪う。これは僕にとって、とても大事なものだ。なくすわけにはいかない。

「何、もしかして――」


「――告白でもすんの?」


「ち、違うよ!これは、その」

「あははは!わっかりやすいな!オレ、そんなんしょっちゅうもらってるから丸わかりだぜ?」

「だから、そんなんじゃ……」

「どうせ、好きな女子にでも渡す気なんだろ?大丈夫大丈夫、ナイショにしとくからさ」

晃くんはなにか誤解しているみたいだけど、僕は必死に頭を振る。伸ばしっぱなしの前髪が揺れた。

「……うう……」

どうしよう。その日になったらちゃんと渡すつもりだったのに。

「……ぐす」

鼻をすする。涙が止まらない。

晃くんが僕の肩をたたく。

「ごめん、泣かせちゃった?」

何も言えない。

「だから、誰にも言わないって」

違う。

それは絶対に違う。

この手紙は、そんなんじゃない。

「……これ、は」

「ん?どした?」


「……これは晃くんに渡すつもりだったのに」


「…………え」

「……うっ、ぐす」

僕は泣いている。涙が、顔を濡らしていく。

もう終わりだ。これだけは、絶対に秘密にしておこうと、卒業式の日まで渡さないでおこうと決めていたのに。

「ごめん……」

誰に向けるのでもなく、謝るしかなかった。

告白なんて、するべきではないのだ。特に、僕のような人間は。

だって、男の子が好きだなんて、どう考えてもおかしいに決まっている。だから、誰にも言わずに、今まで秘密にして過ごしてきた。卒業式にだって言うべきではなかったのかもしれない。

みんなずるい。女の子が、当たり前のように好きになれたら、当たり前のように告白して幸せになれるのに、どうして僕は泣いているんだろう。

悪いことは何もしていないのに、悪い気がして、申し訳なかった。

誰にだろう。誰に、申し訳ないんだろう。

「ごめんなさい」

僕は晃くんにすがりつく。

許してほしかった。誰でもいいから、とにかく許してください。そう思うしかなかった。

晃くんの体操着が、僕の涙でぐちゃぐちゃになっていく。それでも、手を放して、顔を上げることができなかった。

「今までずっと、ずっと怖かったから、だから、言わないでおこうと思ったのに」

手が震えている。力がつい入ってしまう。

「だから、」

「読むよ」

誰が言ったんだろう。

「オレさ、ちゃんと読むよ。だから泣くのはやめな」

晃くんだった。

「返事はさ、ちょっと待ってほしいけど、ちゃんと読むよ」

「……いいよ、こんなの」

「こんなのじゃないだろ?ちゃんと書いたんだろ?だからさ、読むだけでゴメンってなるかもしれないけど、ちゃんと卒業式までに返事するから」

僕はまた泣いてしまった。

ちゃんと書いた。晃くんは確かに、そう言ってくれた。

最終下校時刻のアナウンスが聞こえる。もう、帰らなくちゃならない。

「……じゃあな」

そう言って晃くんは、ゆっくり立ち上がる。

夕日のせいで、少しまぶしかった。




「撮るよー!」

卒業式、と書かれた看板の前で、僕は笑顔をする。カメラを構えているのは、お父さんだ。忙しいのにわざわざ来てくれた。

「優、もう少し顔上げて」

「う、うん」

パシャ、とシャッター音が聞こえる。もう一回。

でも、お父さんは写真を撮るのが下手なんだ。いつもブレてるけど、言ったらかわいそうだから言わないでいる。

「やっぱり、晴れ姿ってのはいいわね」

お母さんもいる。今日は白い服を着ていて、いつも朝ごはんを作ってくれているお母さんとは別人みたいだ。

「そうだな。こうして卒業式ってなると、お父さん泣きそうだ」

「何言ってんの!泣くのはあとにしなさいよ!」

そんなやり取りを見ながら、僕もつられて笑ってしまう。

そう、今日は卒業式だ。浮かれている子、泣いている子、はしゃいでいる子、いろんな子がいる。

「そっか……」

なんとなく空を見上げる。今日はまるで青いキャンバスみたいに、雲がひとつもない。

すてきだな、と思った。




在校生、それにお父さんやお母さんに見送られながら校門まで歩く。これでもう、この校舎ともお別れだ。

顔を見られるのが恥ずかしくて、つい下を向いてしまう。悪い癖だ。でも、なんだか顔を上げる気分にはなれない。

さらさらした砂が、少しだけさみしさを増やしていく。


「――待って!」


校門をくぐったその瞬間、後ろから声がする。


誰かが走ってくる。

あの姿は間違いない。晃くんだ。

「……よかった……追いついた……」

肩で息をしながら、春なのに汗をかいている。冬服だからだろうか。

「どうしたの、そんなに急いで」

「ゴメン!」

頭を下げられた。

「え」

「……ずっと、じゃないかもしれないけど、待たせてゴメン」

「ええと、それは、その……」

「手紙!まさか、渡したくせして忘れてたんじゃないだろうな?」

「あ……」

そうか。あの時確かに、手紙を渡したんだった。夕暮れの校舎で、泣きながら渡したラブレター。

「忘れてたんなら怒るぞ」

「忘れてない!忘れてないってば」

思い出した瞬間、急に恥ずかしくなってきた。顔が熱くなって、思わず下を向いてしまう。

「あれは、その、勢い、っていうか、なんていうか」

そう。その場のなりゆきで、仕方がなく渡してしまったようなものだ。本当は、最後まで渡さなくてもよかったのに。

「ちゃんと、最後まで読んだから」

晃くんは、そう言った。確かに。僕の目を、じっと見つめている。

風が吹いた。春一番かもしれない。

しばらく、ふたりとも何も言わなかった。

「……ありがとう」

晃くんだ。

「ありがとう。手紙、書いてくれて」

「……うん」

「オレはさ、なんか、好きって言われるの、やっぱり、恥ずかしいな」

「……うん」

「でもさ、優が、優ががんばって手紙書いてくれたの、嬉しいよ」

「……うん」

「あの時、なんで泣いてるのか分からなかったし、同級生の、しかも友達に告白されるなんてさ、思わなかった。でも、がんばってたもんな。あの時だけじゃなくって、ずっと前から、ずっとかんばってたんだなって、分かったよ」

「……うん」

「だからさ、オレみたいな、なんか変なヤツでもいいんなら」

「……うん」

「そんなやつでもいいんなら、一緒にいてやるから、安心しろ」

「……うん」

急に目の前が暗くなった、と思ったら、晃くんが抱きついてきた。

「や、やめてよ、恥ずかしい」

「何言ってんだよ!わざわざ告白しといて!」

「それに、その、苦しいし……」

「もう離さねー!ぜってー離さねー!」

晃くんは笑う。

どちらともなく、苦しい苦しいと言いながら、しばらく抱き合っていた。

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