第三十二楽章
「まさかと思うけれど、下りないわよね?」
ダリアはアランを挑発する。
「ふざけるな! こんな馬鹿げたもの掛け金になるか! 金に換えることだってできねえじゃねえか!」
「それなら大丈夫よ。これで分かったと思うけれど、私には百万くらい余裕で支払うことができる。もし仮にあなたたちが四倍で勝ったとしても、私はきちんと支払うわよ」
アランは脂汗を額に浮かべながら唸る。イカサマをしている彼には絶対の自信があるはずだ。だが、さすがに百万の賭けには慎重にならざるを得ないのだろう。万が一ダリアが勝つようなことがあれば、アランは手下の分も含めると三百万の負けである。
「あれだけ威勢のいいことを言っておいて、逃げ出すの? この街のギャングとやらも大したことないわね。もっと、楽しめると思ったけれど、そうでもないみたい。いいわ。じゃあ、あなたの言うとおり、この二人の借金を返済して、この街を出ましょう」
ダリアは椅子から立ち上がる。
「ま、待て」
ダリアはぴたりと動きを止める。
「やってやろうじゃねえか! これ以上なめられてたまるか! おい。あれ持って来い!」
アランに指示された手下は慌てて裏に戻ると何かの箱を手にして戻ってきた。それはよく磨かれた木製の飾り箱だった。手下がその箱蓋を開く。その中には、鮮やかな緑色をしたコインが整然と並べられていた。そして、そのコインにはアルビコッカ家の紋章が入っていた。ギャングとアルビコッカ家のつながりを示す物的証拠である。まあ、今さらそんなことはどうでもよかったが。
「これはこのカジノで最高額のチップだ。一枚で三十万の価値がある。ここの辺境伯様のお墨付きだ……いいぜ。この勝負乗ってやる!」
アランはそう叫ぶと、飾り箱の中からチップを十枚取り出し、テーブルへと叩きつける。
ダリアは怪しく笑って元の席に座りなおした。
「では、始めましょ」
ダリアは山札へと手を伸ばす。引いたカードは、やはり〈夏の12〉だった。
完全に奴らの術中にはめられている。おそらく手下二人と結託しているだけでなく、引くカードもあらかじめ決められているのだ。
ダリアは〈夏の11〉を〈冬の10〉の上に置く。ダリアの手札は〈夏〉。しかもこのゲームで最も強い数字である〈12〉である。そして、捨て場には〈夏〉のカードが3枚。これ以上ないほど有利な状況。しかし、俺はここから負けたのだ。こうなることもすべて仕組まれているのである。
アランはダリアの捨てたカードを見ると、堪えきれないといった感じで不敵に笑いだす。その目は狂気に染まっており、血走っている。
「捨てたなあ? 捨てちまったなあ? もう、後戻りはできねえぞ。なあ、あんた。夏は好きか?」
「夏? どうして?」
「あんたから夏の匂いがプンプンするんだよ」
ダリアの手札が何なのか、もう分かっているぞというアピールのつもりなのだろう。しかし、そんなことで動揺するようなダリアではない。
「あらそう? 私はあなたと違って、すべての季節にそれぞれの趣を感じられる感性を持っているから、特別夏が好きってわけではないけれど。そういうあなたは、冬が好きなの?」
今まさに、カードをダリアの目の前の捨て場に置こうとしているアランの手が止まる。
「何?」
「いや、別に? 捨てないの?」
アランは一瞬ためらった後に〈冬の11〉を置く。
これで、捨て場には〈夏〉と〈冬〉が二枚ずつとなった。残る手番は、手下の二人のみ。そして、こいつらは確実にアランが有利になるように動く。状況は絶望的であった。他に何か手はないのか? 足りない脳みそでいくら考えたところで、この状況を打開する手立ては思いつくはずもなかった。俺には、もうどうすることもできない。無力な自分がほとほと嫌になる。拳を握り締め、下をうつむいた時だった。
「ねえ、アポロ。ギャンブルで絶対に勝てる方法を教えてあげる」
アランも俺も同時に聞き返す。
「何?」
「言ったでしょう。私はギャンブルで負けたことがないって」
確かにそう言っていた。しかし、この状況を打開できる手立てなどないはずだ。なぜなら、ダリアの手番はとうに終わっているのだから。
それでもダリアは、俺に背中を向け彼女の正面に座るアランの手下を見つめたまま、とうとうと語る。
「ギャンブルの必勝法はね、絶対に勝てる状況の時だけそのテーブルにつくこと」
「何を言って……」
そして、次の瞬間、あり得ないことが起こった。
なんと正面の手下が軽く頷いたのだ。そして彼はアランが先ほど捨てた〈冬の11〉の上に、〈夏の1〉を置いたのだ。
「リッチー! てめえ何やってんだ!」
アランが立ち上がって絶叫をする。
しかし、リッチーと呼ばれた彼は全く動じず、ただ目を閉じ自分の手札をそっとテーブルに伏せる。
「おい、ガイ! 分かってるだろうな⁉」
ガイと呼ばれたダリアの右側の男は、アランを一瞥する。その目には、憎しみの炎が宿っていた。
「お、おい……お前、まさか。なあ、わかるだろ? 俺の手札は〈冬の12〉だ! この場にはまだ〈冬〉が残ってる。おめえが余計なことしなけりゃ、この女と〈冬の12〉と〈夏の12〉の勝負に持っていけるんだ! そうなれば俺の勝ちなんだよ! なあ、分かってるよな!」
アランが言っているのは、俺と勝負した時には省いたルール、数字が同じ場合の決着の方法のことだろう。確か、数字が表す月とマークが表す季節がそろっている方が強いのだ。つまり、十二月を表す〈12〉のカードは、〈冬〉のマークが最も強いのだろう。
アランは口角泡を飛ばし説得する。しかし必死な説得もむなしく、ガイは自分の目の前の唯一の〈冬〉のカードの上に〈夏の5〉のカードを置いた。この瞬間、捨て場の四枚すべてのカードが〈夏〉へと変わった。
「あ、あ、あああああああああ!」
アランは頭を抱え、そのまま床にへたりこむ。そしてダリアはゆっくりと立ち上がると床に這いつくばるアランを見下ろし、高らかに宣言した。
「444万リルラの四倍、1776万リルラが私の勝分だ。残りの、1332万、きっちり払ってもらうぞ」
聞いたこともないような金額。
ダリアは、例の箱を持って立つ手下を指さし「そこの君」と声をかける。その手下は抵抗することなく、箱を開く。ダリアはその箱からチップを四十四枚分、占めて1320万リルラを受け取ると、俺に手渡す。
「ちょっと持ってて。残りは借金返済に充てよう。ええっと……」
「残りが十二万。マリオの借金が確か二十万、俺の借金が、ヴァイオリンを含めて三万だから差し引き十一万だけ置いていけばいい」
「アポロは計算が早いな!」
「よく言うよ。最初から計算してたんだろ? ダリアが設定した最初の掛け金と同じ額だ」
そんな偶然あるわけない。
「これは不思議だ。音楽の神様の思し召しかもね」
ダリアは舌をペロリと出して笑うのだった。
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