第三十一楽章

 ダリアの『ギャンブルで一度も負けたことがない』という言葉は真っ赤な嘘だった。ダリアはあっという間に十五万を失った。


 しかし、アラン達はあのイカサマをしている素振りは見せない。つまり、捨て場のマークがすべて揃うというあの恐ろしい状況には、一度もなっていないのである。それにも関わらずダリアが大金を失っているのは、ただ、彼女がへたくそだからである。まず、勝負所がおかしい。たぶんあんまり考えていない。勘と気分で賭けているのだ。時々なんの冗談か、大勝負に出たりする。何度かそれで勝ってみせたが、そう何度も幸運が続くわけもなく、トータルとして大負けしていた。


 最初のうちは、ダリアが大金を賭ける度に驚いていたアランだったが、そんなことが五回を超えたあたりから、苦笑いをするようになっていた。そして、今は、もう完全にダリアのことを馬鹿にしており、彼女が大金を賭けると、頭に人差し指を突き付けてと口には出さずに侮辱するまでになっていた。


「あーあ! また負けてしまったわ! もう一回やりましょ!」


 当の本人はまったく気にしていない様子で、実に楽しそうである。


「なあ、リースリングさん。こちらとしても、遊んでくれるのはうれしいがね。こんな風に散財するようならそこの連れや、あの小僧の借金をさっさと返してここを出た方がよくないか?」

 

 アランの方がまともなことを言いだす。


 しかし、ダリアは今までの慇懃無礼な態度を一変させると「怖いわけ?」と言い放った。その声は、明らかに怒気が含まれていた。


「なんだと?」

「だから、怖いわけ? 負けるのが」


 アランは今度こそ青筋を立て、顔を歪める。


「このアマ……いいカモだと思って下手に出てりゃ、図に乗りやがって……。下の毛までむしられる覚悟はできているんだろうな? ああ?」


 ダリアは一切ひるむことなく、テーブルの端を握り締めるとアランに顔を寄せる。先ほどの煽情的なしぐさではない。彼女がつかんだテーブルの端がみしみしと音を立てる。その猛々しい態度は大きな獣……いや、悪魔のようだった。


「あなたこそ覚悟できているんでしょうね?」


 楽器も鳴らしていないのに、大気の魔素が張り詰めていく。


「なに?」

「マリオを傷つけたこと。そしてなにより――私の大切な調律師を傷つけたこと。必ず償ってもらうから」


 ダリアは完全に怒っていた。思えば、このカジノに入ったときから少し様子がおかしかった。いきなり楽器を人の喉元に突き付けるなんて、普段のダリアだったら絶対にしない。彼女の背中からはすさまじい怒気と魔力が溢れていた。楽器ではないはずの声帯から発せられるその声ですら、魔力を帯び大気を震わせる。


 絶対にダリアを怒らせまいと、心に誓う。


 さすがは修羅場をくぐってきただけのことはあるのか、アランは多少動揺していたが、平静を保っていた。


「かかってきな」

「喰いつくしてあげるわ」


 最後の勝負が始まる。


 ダリアの手札は〈夏の4〉だ。捨て場には秋が二枚、春が一枚、冬が一枚だ。


 この番手はダリアが親番だった。


「それで、掛け金は?」

「残りの全部よ」


 ダリアはだいぶ軽くなった革袋をひっくり返し、残り金貨をすべて、テーブルの上へとぶちまける。


「あんたも相当な馬鹿だな」

「なんとでも言いなさい。さあ、掛け金は十一万よ。まさかあんたたち、下りないわよね?」

「ふん」


 アランも手下二人も、十一万を場に出す。


 ダリアが山札から引く。〈夏の2〉だった。正直強くはないが、ダリアの手札は〈夏の4〉なので、同じマークを捨て場に確保できるという点では意味がないわけではない。ダリアは、〈夏の2〉を〈秋の8〉の上に出す。これで、捨て場には春夏秋冬すべてがそろったことになる。


「あんた、なんでそんなに金を持ってるんだ?」

「あなたに教える義理はない」


 アランはやけに余裕を見せてダリアに話しかける。


 アランは、手札から〈秋の3〉を〈夏の2〉の上に捨てる。運が悪い。これで、捨て場の中から〈夏〉のカードはなくなってしまった。


「演奏家ってそんなに儲かるのかねえ。うらやましいね」


 正面の男と右側の男もカードを交換した。それぞれ、〈秋〉と〈春〉の上に〈冬の6〉と〈冬の2〉を捨てる。これで場には〈冬〉が三枚とアランが先ほど捨てた〈秋〉が一枚という状況だ。ダリアの手札は夏なので、非常に良くない状況だ。ただ、あと二回交換は残っている。そこで〈冬〉のカードを引くことができればいいのだ。手下の捨てたカードの数字は〈6〉と〈2〉である。つまり、少なくとも〈6〉以上は持っていると考えるべきだが、そこまで大きな数字ではないため、まだ悲観する必要はない。


 二巡目。


 ダリアは無視して山札からカードを引く。


 〈夏の11〉だった。数字自体は大きいが、捨て場に一枚もない状態なのが痛い。しかし、幸運なことにダリアの手札は〈夏の4〉である。これで、場の最大勢力である〈冬〉をけん制しながら〈夏〉のカードを増やすことができる。ダリアも同じことを考えているようで、〈冬の6〉の上に〈夏の4〉を捨てる。


 手下二人とアランも交換を終える。捨て場の状況は先ほどよりは少し良くなったとはいえ、正直言って微妙だった。ダリアの目の前の捨て場から時計回りに順に〈夏の7〉〈夏の4〉〈冬の10〉〈冬の9〉だ。しかも〈冬の10〉を捨てたのはアランだ。〈10〉以上のカードを持っている可能性が高い。ダリアも〈夏の11〉ではあるが、俺は同じような状況から、イカサマで一気に手札のマークのカードが捨て場から消え、俺は敗北したのである。たしか、あの時も二ターン目で〈11〉を持っていたんだったな……。たしか、〈春〉だった。


 ちょっと待て。


 、ではなくだ。確かあの時も捨て場には自分の手札と同じマークの〈春〉のカードが二枚あった。ここで〈春〉のカードが引ければ場を支配できると考え、俺は勝負に出たのだ。


 非常にまずい。奴らはついに仕掛けてきたのだ!


 しかし、ここであることに気が付く。ダリアは先ほど全額をこの勝負に賭けた。下りるためには親が最初に提示した掛け金の半分を支払う必要がある。つまり、もう下りることはできないである。今、場にある掛け金は四十四万。もし、ここで俺の時と同じイカサマをやられれば、その四倍が勝者の取り分となる。確実に、今度こそ破産する。


 急激に血の気が引いていく。


(もう、おしまいだ……)


 しかし、ここでとんでもないことが起きる。


「掛け金上乗せよ」


 ダリアが高らかに宣言する。


(だめだ! ダリア!)


 必死で心の中で念じるが、それが伝わることはなかった。


「君には賭ける金がないはずだが?」

「いいえ。実はまだあるの」

「ふん……それで? いくらだ」


 ダリアは胸元に手を突っ込むとペンダントのようなものを取り出す。そして、首にかけていたそれを外すと、テーブルの上へと静かに置いて、そしてこう宣言した。


「百万よ」


 アランが驚愕の表情を浮かべる。そりゃそうだ。ペンダントは何かコインのようなものだったが、そのたった一枚で百万の価値などあるわけがない。ついにダリアはおかしくなってしまったのか? 

 

 しかし、アランはそのコインのようなものを凝視したまま固まっていた。そして、突然椅子から立ち上がると、大声を張り上げる。


「あ、あんた何者なんだ!」


 テーブルの上に置かれたペンダント。それはやはりコインだった。コインの中心には銀の獅子のマーク。そして、その獅子の周りは金と赤の装飾で縁取られている。


 まさか、そんな馬鹿な……。俺はこの銀と金と赤に輝く獅子のコインを知っている。いや、演奏家なら誰もが知っている。


 銀地に金と赤の装飾は侯爵家のみが持つことを許されるコインの証だ。ダリアは自分は貴族ではないと言っていた。その意味は、生まれながらにしての貴族ではないということだったのか。


 そのあまりに偉大な功績から、ダルケン皇帝から死後に『侯』の爵位を授かった者がいる。


 それは、神に愛されし音楽の申し子。長く貴族たちのものであった音楽を、市民に開放したあのお方。彼の九つの交響曲大魔法はこの世の理を超えるとまで言われている。名前を呼ぶことすら恐れ多いあのお方。音楽神マスター。またの名を


 真名――ルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェン


 ダリアはゆっくりと立ち上がる。そして、アランの『何者なのか』という問いに朗々と答える。


「私の名は、ダリア=リースリング=ヴァン=ベートーヴェン。以後、お見知りおきを」


 あまりの衝撃に俺は腰砕けになって、その場に尻もちをつく。


 そんな俺をみて、ダリアはいたずらっぽく笑うと、「あれ? 言ってなかったっけ?」などと嘯く。


 俺は、とんでもない人と契約してしまっていたのだった。

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