第二十七楽章
今日の俺は勝負の神様がついているようだった。
俺の手持ちはあっという間に三万を超えた。今までの人生で持ったことのないような大金を前に俺は完全に浮き足立っていた。
「初めてだと言うのに、随分と勘もいいし頭も切れる。君はいいギャンブラーになるな。どうだ、うちで働かないかね? ガルリアの蒸留所で働くよりは稼げるぞ」
もはや素性を知っていることを一切隠すつもりがないのか、アランは自分の伏せた手札をパチパチと弾きながらそんなことを提案してくる。
「お断りだ」
俺は自分の手札を見る。
<春の11>だ。このゲームにおいて<11>は、ほぼ最強のカードと言っていい。しかも、捨て場には<春>のカードが二枚。ここでもし、<春>のカードを引くことができれば、捨て場を<春>のカード三枚にすることができる。今は俺が親番で、アランと手下二人のターンが一回ずつ残っているが、三人全員が<春>以外のカードを捨てる確率は低いはずだ。ここが勝負時だ。
「掛け金を上乗せだ」
そう宣言すると、アランは目を細める。
「ほう。勝負に出るのかね? いくらだ?」
「一万だ」
俺はそう宣言し銀貨をテーブルの上に投げる。
「どうした、降りるか?」
「いや、私は勝負しよう」
両脇の手下も降りる気はないようだ。
山札を引く手が震えている。しかし、この震えはもはや恐怖によるものではなかった。
カードをゆっくりと捲り見る。
やはり俺には勝負の女神がついていた。
<春の12>だった。
この場における、最高のカードを引くことができた。俺は自分の手札から<春の11>を捨て場に置く。
「なるほど……。しかし、君は勝負を急ぎすぎだ」
「負け惜しみか?」
「いや、そうではない。君は頭も悪くないが、経験が足りない。そして、なにより純粋だ」
左隣りの手下が山札を引き、捨て場の<春の4>のカードの上に<冬の10>を置く。
なんだか嫌な予感がする。しかし、俺の手札はもう変えられない。
アランは俺を見据えたまま山札を引く。
「その純粋さが演奏家には必要なのだろうね」
そして、まるで息をするかのように、自然に<春>のカードの上に<冬の5>を重ねる。
場に三枚もあった<春>のカードは、先ほど俺が捨てた<春の11>だけになる。
魔力切れの時のように喉がカラカラに渇いていく。
「しかし、アポロ君。我々の世界では、純粋なものから死んでいくのだよ」
右隣の手下は俺の捨てた<春の11>の上に、<冬の12>を重ねた。
このゲームにおいて、最後の手番で、しかも捨て場に同じマークがある状態で<12>のカードを置くという選択など絶対にあり得ない。
「ぐるだったのか!!」
アランは恐ろしい笑顔を見せると肩をすくめる。
「なんのことかな? さあ、勝負だ。アポロ君」
そう言って、アランは手札を捲る。
「ああ、私は運が良いな! <冬の1>で絶望的だったが、君たちは全員冬以外のようだな」
捨て場には<冬>のカードが四枚。そして、アラン以外は、<冬>のカードを持っていなかった。
「よくもぬけぬけと……!! あんたさっき<冬の5>を捨てただろう! 勝つって分かってたからだろ!!」
アランの目が糸のようにくなる。
「だったらなんだ」
決して大きな声ではなかったが、俺を縮み上がらせるには十分すぎるほど、恐ろしい声色だった。
全身に冷水を浴びせられたように血の気が引いていく。
「お前どうすんだ? 捨て場は四枚とも<冬>だぞ。最初に説明したとおり、この場にある四万の四倍、十六万が俺の勝ち分だ。ああ、もう頭回らないか? お前の負け分はすでに場に出した一万に加えてもう四万マイナスだよ」
四万? マイナス? 誰が?
アランは大きなため息をつく。
「お前の手元にある二万からもう四万払えって言ってんだよ!」
雷のような怒号に体が跳ねる。
「そんなの、無理だ……」
「無理だと? ふざけたこと抜かしてんじゃねーぞ!!」
アランが拳でテーブルを殴りつける。その衝撃で卓上の銀貨がじゃらりと音を立てて崩れた。
「払えません……」
俺は大馬鹿だ。
「とりあえずお前のヴァイオリンは約束どおり一万で引き取ってやる」
今なんて言った? 俺の大切なヴァイオリンをどうするって?
手下が立ち上がり、俺のヴァイオリンケースに手を伸ばす。咄嗟に俺はケースの上に覆いかぶさった。
「そこをどけ!」
手下が俺の脇腹を蹴りつける。痛みで息ができなくなる。何度も、何度も蹴りを入れられ痛みと惨めさと恐怖で涙が出てきた。
最終的には髪の毛を引っ掴まれて無理やりケースから剥がされ、俺の魂ともいうべきヴァイオリンはアランの手に渡ってしまった。
「おい、お前ら、その馬鹿に借用書にサインさせろ。あと二万きっちり返してもらうからな」
「二万……? ま、待ってくれ、俺の残りの負け分は二万のはずだ。そのヴァイオリンは一万で引き取ってくれるんだろ? だったらあんたに返すべき金はあと一万のはずだ」
アランはゆっくりと俺に近づくと、俺の胸ぐらを掴んで引き立たせてきた。
次の瞬間、左頬に強烈な衝撃を受ける。そのあまりの衝撃に気を失いそうになった。
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ! そもそもこの勝負の前に俺からこのヴァイオリンをカタに一万借りたの忘れたか? ああ!?」
そのとおりだった。この勝負はそもそも一万マイナスからのスタートだったのだ。
アランは俺を殴った拳をハンカチで拭きながら部屋の奥へと消えていった。
ドアをくぐる瞬間、アランはそのハンカチを空中に放り投げる。赤色のハンカチは惨めったらしく、くしゃくしゃになって床に落ちていった。
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