第二十一楽章
その後もダリアと二人で薔薇が咲き誇る街をゆっくりと散策した。
ダリアと久々に沢山の話をした。特に、彼女が以前経験した様々な土地の祭りの話が面白く、俺は夢中になってあれやこれやと質問した。巨人を模した木像を燃やす祭りなどは死ぬまでに一度は見てみたいと思った。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、日は傾き出していた。そろそろ、祭りのフィナーレの時間である。
「そろそろ早いけれど夕飯食べようか?」
「そうだね。でも、フィナーレも見てみたいなあ」
この薔薇祭りの最終日、薔薇を大量に積んだ帆船が中央港へと出て、沖で薔薇を撒くのだそうだ。大量の薔薇が水面に揺れる姿は、きっと薔薇の都と言われるこの街の夕景と良く合って美しいに違いない。
「なあ、ちょっとダリアと行きたい店があるんだ」
実は、あの一人で行ったピスケの店「蛍火」にはあの後も定期的に通っていて、店主ともすっかり馴染みになっていた。
そして、あの店のテラス席からは中央港が良く見えるのだ。ここからフィナーレを見られたらどんなに綺麗だろうかと兼ねてより考えていた。ただ、祭りの日は特別の賑わいだろうし、予約ももう埋まっているはずだった。だが、どうしてもダリアとこの店に来たかった。だから、ダメもとで聞いてみたのだ。
本当に幸運なことに、たまたまキャンセルが入ってあのテラス席がひとつだけ空いていた。俺は店主に頼み込んで、席を取ってもらうことにしたのだ。
「もしかして、予約してくれていたり?」
「ああ、まあな。ちょっと行きつけのお店を」
ダリアは意外そうな顔をする。まさか俺に行きつけの店があるとは思っていなかったのだろう。「そっか」とダリアは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、ご飯食べに行こうか。フィナーレが見られないのは残念だけれど、またいつか来れば良いよね」
そう言ってダリアは笑うが、少し残念そうだった。
ここで言うべきか迷ったが、驚いて欲しくて今は黙っておくことにする。
「この近く?」
「いや、少し歩くよ」
「分かった」
多くの人がこの時間は中央港へと集まるのだろう、道ゆくほとんどの人が坂を下っていく。その集団の後について俺も歩き始める。
「もしかして」
「ん?」
「ううん。なんでもない」
そう言ってダリアは無邪気に笑うと俺の左腕に自分の腕を絡ませるのだった。
「うわあ! 素敵なお店!」
「そうだろう?」
ダリアは席につくなり感喜の声を上げる。
蛍火のテラス席からは中央港がよく見え、広場はそれはそれは大変な賑わいだった。
「大きな帆船だね!」
ダリアが振り返り眩しい笑顔を見せる。
四本の巨大なマストが天高く聳えている。複雑な装飾を施された船尾楼はロイヤル・ブルーで、夕日に照らされた船体の赤茶けた色と所々にあしらわれた金色の装飾と合わさってとても豪奢な印象を受ける。船首像はこの街のシンボルでもある薔薇冠のマリアだった。
ガレオン級の帆船は少なく見積もっても五隻は出ている。それ以外も様々なタイプの帆船がこの港に停泊でいた。そして、その全てに白薔薇が山積みにされていた。
そして、中央港広場には大規模な管弦楽団が来ており、音楽を奏でていた。今は有名な組曲が演奏されている。この曲は王の舟遊びの際に演奏されたものである。美しく、また楽しげな旋律で心が自然と浮き立つ。
「あれはタリアータ王国管弦楽団だね。噂に違わぬ素晴らしい演奏だね」
「あれが……」
王立の管弦楽団まで呼べるアルビコッカ家の財力は相当なものなのだろう。
「しかし、良くこんなお店とれたね」
「ああ、たまたまね。キャンセルが出たと言うので席を確保してもらったんだ」
「君は音楽以外の神にも愛されているようだね」
ダリアが笑う。俺もつられて笑う。
喜んでもらえたようで本当によかった。
「アポロ! いらっしゃい!」
店員のハンナが声をかけてきた。
「やあ、ハンナ。約束どおり連れてきたよ。こちら、第一級演奏家のダリア」
ハンナは胸に手を当て息をのむ。
「初めまして。私、第一級の演奏家の方に会うの初めてなんです。私、この店の娘でハンナと言います。ああ! なんて美人なの!」
「ありがとう。どうやら私の調律師がお世話になったようで」
ダリアは優しく微笑みながらハンナの手を取る。
「いえいえ、こちらこそ。うわあ、おっきな手! あ……ごめんなさい」
「大丈夫。この手があるからこそ、私は音楽家になれたのだし」
「そうなんですね! あ……」
ハンナはダリアの胸元の薔薇の飾りを指差し目を丸くする。そして、俺を振り返るとあんぐり口を開けた。
「なに?」
「いや……アポロあなたやるわね」
「だから何が?」
「ハンナ、この朴念仁はそのことを知らないのよ」
ダリアは喉の奥で「くっく」と笑う。
「嘘でしょ……それでいいの? ダリアさん」
「良いんじゃない?」
何か俺の預かり知らぬところで話が進んでいく。あまり良い気分ではないし、悪い予感がした。
「何のことだよ」
「それよりも何か注文しましょ」
「いや、気になるじゃないか」
「まあまあ、後で教えてあげるよ。というか、嫌でも知ることになるわ」とハンナが俺の肩を軽く叩く。
気になりはするが、後で知ることになるのであれば今は引き下がることにする。
「さてと、アポロこの店のおすすめは?」
「ピスケが絶品だ」
「ふむふむ。じゃあ、とりあえずピスケと葡萄酒を頂戴。カップは二つお願い」
「なんだ。今日は飲むのか? 明日仕事だぞ」
「分かってる。でも、今日は特別でしょ?」
「まあ、それもそうか。じゃあ、ハンナよろしく。あ、ムルソー貝のオイル煮も頼む」
「おっけー! パーフェクト!」
彼女は通りの向こう側の店へと消えて行った。通りは観光客でごった返しており、とても歩きにくそうだった。
しばらくすると、ハンナが葡萄酒を持ってやってきた。カップの中には並々と葡萄酒が注がれている。もちろん、葡萄酒を飲むのはこれが初めてだ。
「乾杯」
そう言って、ダリアがカップを掲げる。俺もそれに合わせてカップを掲げた。
ダリアは葡萄酒を一口飲むと長めのため息をついた。いつもは一気飲みするくせに今日はやけに上品だ。明日の仕事を気にしているのだろうか。
そんなダリアを見つめていると「試してみろ」と目配せされた。
俺は恐る恐るカップの中の黒々とした液体に鼻を近づけてみる。葡萄酒というイメージからもっと果物のような甘い香りがするものと思っていたが全く違う。干草や革のようなもっと重厚で複雑な香りだ。ほんの少し舌に乗せてみると、アルコールの香りとともにヨーグルトのような酸味と強い渋味、そしてその奥に葡萄本来の少しだけ甘い香りがした。
「うん。悪くないよ」
「そう? よかった」
「葡萄のお酒というからもっと甘いものを想像していたけど、全然甘くはないんだな」
「そうね。葡萄酒は食中酒だから」
「食中酒?」
「食事と一緒に飲むお酒ってこと。食べ物と一緒に飲むと何倍も美味しくなるよ」
「ふうん。ソースみたいなものか」
「うん。そうかも!」
“何倍も”というのは言い過ぎだろうと、半信半疑だった。しかし、ピスケと一緒に葡萄酒を飲むと世界は一変した。まず、かなり強めに感じていた渋味がぐっと和らぐ。そして、葡萄酒の酸味がフレッシュチーズの酸味を底からしっかりと支える。すると、海老とチーズの旨味の輪郭がよりはっきりするのだ。それだけではない。バジルの芳香と共に程よいアルコール香が長い余韻として残り満足感が明らかに増していた。そして、多少舌が痺れるような渋みもアクセントとなっており癖になりそうだった。
「ね? 美味しいでしょ」
ダリアが嬉しそうに笑いかける。
「驚いた。こんなにも違うなんて」
「お酒と食事って音楽と同じなの」
「音楽?」
「そう。それだけでももちろん美味しいのだけれど、合わせることで素晴らしいハーモニーが生まれるの」
実際に体験してみて初めて理解できる。ダリアの言うとおり、葡萄酒とピスケの一つ一つの要素が絡みあい、素晴らしいハーモニーを奏でていた。
「こういうのを、ルフランでは
「マリアージュか……言い得て妙だな」
「そうだね。マリアージュといえば、そろそろだね。フィナーレ」
ダリアが港の方に目線を送る。つられて俺もそちらの方を見やる。
管弦楽団が奏でる曲が佳境に入り盛り上がりを見せ始めたまさにその時、停泊する帆船が一斉にその帆を掲げた。海風をしっかり捕まえて膨らむ帆。その帆には、ダリアのリモンチェッロの瓶に刻印されていたのと同じ杏の紋、アルビコッカ家の紋章が描かれていた。
広場に集まった千人を超える人間たちが一斉に歓声を上げる。
ついに薔薇祭り最終楽章が始まる!
巨大なガレオン船を筆頭に大小様々な数十の帆船が一斉に港を出港していく。
「始まったわね。海との婚約」
振り向くとムルソー貝のオイル煮とバケットを持ったハンナが立っていた。
「はい。どうぞ」
ムルソー貝は小さなフライパンの中でジュワジュワとうまそうな湯気を立てていた。
「海との婚約ってなんだ?」
「薔薇祭りはそもそも、海との婚約の儀式なのよ」
「その年の大漁と漁船の安全を願って、海の女神に白薔薇の贈り物をして永遠の愛を誓うの。ロマンチックでしょ」
確かに、ロマンチックである。しかし、なぜ白薔薇なのだろうか? 薔薇といえばやはり赤では無いのか?
「でも、なんで白薔薇なんだ?」
「それはね……」
ダリアが割って入り、そしてニヤリと笑う。
「まあ、それはもうしばらくすれば分かるよ」
どこかで聞いたような台詞だ。
「そうそう、まあみてなさいよ。ダリアさんもごゆっくり」
そう言い残してハンナは戻っていった。
十五分ほどで帆船たちは沖に出る。そして、美しく隊列を組んだ。
管弦楽団が荘厳なメロディを奏はじめる。ホルンが高らかに歌い上げると、大きな魔力のうねりが生じ始める。さすがは、タリアータ王国管弦楽団である。巨大で、しかし美しく調和の取れた魔力の流れがゆっくりと渦を巻きながら沖へと向かっていく。
魔力が艦隊の中央に座すガレオン船を包むと、きらりと光る何かが舞い始める。初めは魔力の大共振による光の粒かと思ったが、どうやらそうではなさそうだった。それは、海に反射する陽の光のようにキラキラと瞬いていた。
「綺麗……薔薇の花が舞っている」
ダリアがため息まじりに漏らす。
確かにそれは薔薇の花だった。管弦楽団の
曲もフィナーレに向かってどんどんと昇っていき、それに合わせて大気中の魔素も張り詰めていく。そして今まで感じたことのない大量の魔力が管弦楽団の周りに集中し始め、真紅に発光し始める。そして、曲が最高潮に達しフィナーレを迎える。最後の一音が切れた瞬間、管弦楽団の周りで渦巻いていた大量の魔力が強烈な光と共に分裂する。そして、分裂して光の球となった魔力の塊は、沖に出ている船目がけて海の上をものすごいスピードで奔る。そして、一斉に船に衝突したかと思うと、その光の弾は空へと進路を変え、急上昇していく。白薔薇の舞う竜巻の中へと真紅の光の弾が入ると、大きな鐘の音のような轟音とともに光が爆発した。
それはまさに海上に咲く大輪の光の薔薇だった。
観客は熱狂していた。
これがオーケストラの
俺は初めて耳にする交響曲の恐ろしいほどの力に圧倒されて言葉を失っていた。
しばらくすると、何かが頭上から舞い落ちてくる。それは、先ほど沖で舞っていた白薔薇の花びらだった。白薔薇の花びらはナポレアーノの強烈な西日に照らされて真紅に輝いていた。そう、この街と同じように。
「後で分かるってこういうことか……」
「そういうこと。まあ、私もあの黒い森亭のご主人から聞いたんだけれどね」
「これでアポロも白薔薇の意味がわかったんじゃない?」
いつの間にかハンナが近くに立っていた。
「意味?」
「あんた、本当に鈍いわね」
ハンナはため息を漏らす。
「いい? 薔薇祭りでは、海と永遠の愛を誓うために白薔薇を贈るの」
おい、待ってくれ……それって……。
「この街で女性に白薔薇を贈ると言うことは、つまり、そういうことよ」
俺は、自分が選んだダリアの胸元を飾る薔薇を凝視する。誰がどう見ても白かった。
「それからね、海との婚約が成立した場合、海は白薔薇を赤く染めて返すという言い伝えがあるの。たった今降り注いでいる白薔薇が夕日で染め上げられているようにね。つまり、白薔薇を贈られた相手が、赤い薔薇を贈り返すと言うことはつまり……まあ、とりあえずおめでとうアポロ」
ハンナは悪戯っぽく笑う。
俺は、自分の胸元にある紅の薔薇に目を落とす。
驚きと混乱で何も言うことが出来なかった。
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