最終楽章

「すごかった……」


 ダリアは興奮冷めやらぬといった感じで、まだ、肩で息をしていた。


「こんなの初めて。本当に」


 第一級相当の演奏家に、これまでに経験したことのないほどの演奏だと言われ、単純に嬉しかった。


 しかし、それだけではない。自分にとってはもっと重要な事実があった。


 俺の音楽に、魔素が反応した……!


 これは、感覚的なことなので、なぜそう思うのかは説明できないが、絶対のそうだという自信があった。

 

「俺も、途中死ぬかと思った。でも、死んでもいいと思えるくらい気持ちよかったよ。それに、君となら俺は魔法が使えるんだって分かって嬉しかった」


 ダリアは首を振る。


「多分、違うと思う。アポロの魔法は、きっと使なんだよ」

「どういうこと?」

「アポロは、根っからの調律師ってこと」


 正直、全然ピンと来こない。


「ごめん。意味がわからない」

「つまり、あなたの魔法は、魔法を強化する魔法なんだよ。魔法自体を調律して、本来の効果を何倍にもするんだ。ううん。魔法だけじゃない。音楽それ自体も強化するんだよ。いろんな楽器の音色がしたでしょう? あれも効果の一つだよ。昔、お祖父様から聞いたことがある。とっても珍しい魔法で、お祖父様は、完全調律オーケストラレーションと呼んでた」

「完全調律……」


 だから、誰かと演奏しないと発動しないのか。


 嬉しかった。ずっと自分には才能が無いと思っていたから。


 本当は、眠っていただけだったんだ。


 そして、それを引き出してくれたのは、やっぱりダリアだった。


 これ以上ない運命的な出会い。これは、神様の思し召なんじゃないか? 俺がずっと燻っていたのも、この瞬間、ダリアと出会うためだったんじゃないか?


 ならば、そうならば、俺は、俺の残りの人生をこの人に、この人の音楽に捧げよう。


「なあ、お願いがある」

「どうしたの、怖い顔して。キスでもしたくなった?」とダリアは笑う。

「ち、違うわ! そうじゃなくて……」


 ダリアは「なぁに」と小首をかしげる。


 あまりにあざとく、可愛らしい仕草。絶対に揶揄われてる。


 しかし、ここで引くわけにはいかない。


 ありったけの真実と誠意を言葉に乗せる。


「俺を一生そばに置いてほしい! 一番そばで君の音楽を聴いていたいんだ!」


 ダリアは目を丸くし、口をぱくぱくさせる。そして、みるみる顔が赤くなっていく。


「ちょ、ちょっと。一生そばに置いてくれっていうのは、その、つまり……」

「ダメか?」


 ダリアは言葉にならない呻き声を出す。


「…………ダメってわけじゃないけれど……お、お店はどうするのよ? 私はまだ旅をするつもりだし……」

「店は辞める。君が旅をしたいというならどこまでも着いて行くよ」

「そ、そもそも好きなの? 私のこと」


 よく分からない質問だ。もちろん、ダリアの音楽は最高だ。好きにならない奴がいるか?


「ああ! もちろん」


 彼女の顔がさらに赤くなる。


「でも、年も離れてるし……多分」


 年? 関係あるのか? そういえば、ダリアっていくつなんだ?


「年なんて関係ある? あると言うなら今、明らかにしておこう。俺は今年で十九だ。君は?」

「れ、レディに年齢聞く? 普通? まぁ、でも、状況が状況か。……ん」

「え?」

「だから! 二十四!」

「五歳しか離れてないじゃないか! そもそもどうして年齢なんか気にするんだ? 専属調律師になるのに年齢制限なんかないだろ?」


 ダリアは、ポカンと口を開ける。


「専属調律師……?」

「そう」

「伴侶ではなくて……?」


 何を言って……と、自分の発言を思い返して、ことの重大さに気がついた。


 お湯が沸かせるくらい、顔が熱くなる。きっと、ものすごい色になってるはずだ。


 ダリアが腹を抱えて笑い出す。


「なんだ! そういうことか! あまりに真剣な眼差しをしていたから、てっきりプロポーズされているのかと思ったよ。びっくりした。私も身の程知らずだね。恥ずかしいよ」


 そう言って、快活に笑ってはいるが、どこか恥ずかしそうだった。


 女性に恥をかかせてしまった。責任は自分にある。


 それに、ダリアは美しい女性で、求婚されても全くおかしくない。いや、その逆だ。誰もが彼女を好きになるはずだ。その美貌だけでなく、人間性も含めて。


 だって、ただいじけていただけの俺に魔法までかけてくれた優しい人だ。


「身の程知らずなんかじゃない……です。とても、素敵な女性だ……とおもいます」


 フォローになっていない気がするが、これが精一杯だった。


「本当? ありがとう。じゃあ、私を女の子としてみてくれる?」

「はい。もちろん」

 

 無意識で答えてしまった。


 普通に考えて、揶揄われているのだ。何を真面目に答えているんだ、俺は。


 さ恥ずかしさでダリアの顔を見れなくなって俯く。


「ははは! アポロは本当に面白いな。でも嬉しいよ。で、なんだっけ? 専属調律師になりたいって?」

「はい」

「それは、こちらとしても願ったり叶ったりだよ。ただ、アポロは何も私について旅をする必要はないんだ。ここに残ることもできる」

「どういうことだ? 旅先での調律はどうするんだ?」

「あれだよ」そう言ってダリアは自分のトランクを示す。


 少し大きめという以外は特に変わったところはない。


「私はこう見えても、第一級演奏家の資格持ちでね」


 ダリアほどの実力だ。今更驚くことではない。


「一級演奏家は、を持つことが許されるんだ」

「工房?」

「これは通称工房と呼ばれる魔道具なんだ。もちろん、あの忌まわしい、下品な音を鳴らす魔工機関じゃない。伝統と歴史のある自鳴琴オルゴールによる崇高な音楽さ。ただ、数も少ないし、扱いが少し難しいからね。一級演奏家にならないと所持、使用が認められないんだ。ほら、見ててごらん」


 ダリアはトランクの鍵穴に鍵を差し込み、ぐるぐると回す。その度に、ゼンマイが巻かれていく小気味の良い音が聞こえた。しばらく回し続けると、カチリと小さな音がして、錠前が開く。


 ダリアは慎重にトランクを地面に横倒しにしてから、蓋を開く。


 それと同時に、オルゴールの優しい音色が聞こえた。


 そして、トランクの中には、地下へとつながる階段があった。


 驚いて中を覗くと、少し降りた先に扉が見えた。


「なんだ、これ……」

「すごいでしょ。この階段はね、私の家の扉につながっているんだよ。これのおかげで旅は快適そのもの。なにしろ、家にいつでも帰れるからね」

「ちょっと、待ってくれ。これがあれば宿なんていらないんじゃ……」


 昨日、泊まるところを探していると言ったダリアの言葉を思い出す。


「いやいや。私が家に帰っている間、誰がトランクを見張ってくれるの? それに、もし万が一、誰かにトランクを閉められてしまったら、トランク側へは帰れない。私の家の扉はただの扉に戻ってしまうから」


 ダリアはトランクの蓋を閉める。


 すると、自動で錠前が降りた。


「なるほど」

「話を戻すけれどね、このトランクには、4つまで扉を登録することができる。ほら、ここ……」と錠前の右側にあるダイアルを指差す。


 そのダイアルには、一から四までの数字が振ってあった。そのすぐ近くのトランクの壁面には、銀色の弓矢の装飾が施されており、ダイヤルの数字を指し示している。今は一を指していた。


「一は、私の家の扉。二と三は……内緒。今は四番が空いてるんだ。だから、君の工房の扉をこれに登録すれば、私はいつでも、好きな時に、アポロを訪ねることができるというわけだ」


 確かに、このトランクがあれば俺は、この街に居ながらにして、ダリアの調律師になれる。


 しかし、この街にもはや未練はない。友人と呼べる人間もいなかった。


 それに、俺はダリアの音楽を一番側で聴いていたいのだ。


「それでも、俺は君と一緒に旅をして、一番近くで君の音楽を聴きたいんだ。そして、出来ることなら、君と一緒に音楽をして生きていきたい。もちろん、迷惑というならば断ってくれていい」


 ダリアは少し悩んでいるようだった。


「私も、一人旅には少々飽きてきたところだ。何よりアポロとまた二人で音楽がしたいというのは私も同じだ。でもね、私は君が思っているほど、良い人間じゃあないんだ。一緒に旅をすれば、いつかきっと嫌われてしまうよ。私は、それが怖いんだよ。友人と調律師をいっぺんに失うのがね」

「俺は、一生を君に捧げる覚悟だ。絶対に裏切ったりしない」


 長い沈黙の後、彼女は真剣な眼差しで俺の真芯を捕らえる。この眼の前ではどんな嘘でも見透かされてしまうと直感する。


「ほんとに?」

「音楽の神に誓うよ」


 やっと納得したのか、ダリアは大きく頷く。


「分かった。じゃあ、契約といこう。ただし、条件がある」

「分かった。なんでも従うよ」

「一つ、契約の破棄はどちらか一方の要望があれば可能とする」

「それは、俺からも契約破棄できるということか?」

「そう」

「分かった」

「二つ、私のお酒の飲み方には口出ししない」

「なに!?」

「三つ、朝は無理やり起こさない」

「ちょ、ちょっと」

「四つ、多少お風呂に入らなくても怒らない」

「お、お風呂……?」

「五つ、仕事は私がやりたいときにしかやらない」

「まあ、それは……いいか。いいのか?」

「あと、私のことはダリアって呼んで。『君』ってなんかイヤ」

「それは……」

「契約やめる?」

「……分かりました」

「じゃあ、呼んで?」

「……」

「呼んで」

「……だ、りあ」


 ダリアはニッコリ笑って「よろしい」と大きく頷いた。


「あとね、これが一番大事なんだけれど、せっかく旅をするのだから、めいいっぱいを楽しみましょ! 分かった?」


 正直、じーちゃんが死んでから、生きるのが楽しいと思ったことはなかった。


 でも、ダリアと演奏していたあの時間は最高に幸せだった。これからも、あんな素晴らしい演奏が出来るのならば、きっと世界で一番幸せに違いない。


「分かった。全ての条件を飲むよ」

「じゃあ、今からアポロは私の専属調律師ね。よろしく!」


 ダリアが手を差し出す。


 俺はその手をとり、しっかりと握った。


「ああ、よろしく!」


 こうして俺は、悪魔の楽器を持った天使と契約したのだ。


 そして、その天使が実は悪魔だったということに後々気がつくのであるが、それは、交響詩第二番以降で語るとしよう。


 ともかく、これが、それから長い間人生を共にすることになった俺とダリアの出会いである。

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