交響詩 第一番 出会い

第一楽章

「おい! アポロ! 調律は終わったのか!」


 ミュージックバー「エデン」の主人の怒鳴り声で飛び起きる。その拍子に手に持っていたヴァイオリンを床に落としてしまった。


 床に落ちたヴァイオリンは嫌な音を立てて跳ねる。それと同時に店内のテーブルに置かれたガラス製のキャンドルカップが一斉に弾け飛んだ。


「てめえ……」


 店主は怒気を孕んだ眼で睨みつけてくる。


「す、すみません。夜通し調律していたので、その……」


 『疲れて寝落ちしていました』とは言えなかった。


「何でもありません……」

「給料から引いておくからな」


 日々生きていくだけで精一杯の給料だ。今弾け飛んだカップは少なく見積もっても十五個はあるだろう。来月はほぼまともな物は食べられないことが決定した。


「演奏家でもないのに、お前はなぜだか楽器を鳴らせるんだ。そんなお前に楽器を持たせるというのは、サルに銃を持たせてるようなもんなんだ! 気をつけろ!」

 

 演奏家が奏でる美しく調和のとれた音楽は、この大気に満ちた魔素と共鳴し、様々な効力を発揮する。それを人々は魔法と呼んだ。

 

 その魔法の根源とも言える楽器は、魔素への高い適性がなければ音を鳴らすことすらできない。


 俺は楽器を鳴らすことができた。でも、俺の音楽には何の効力もなかった。さっきのように、何かの拍子に魔法が暴発して、ガラスのカップを粉砕するくらいが関の山だった。だから、演奏家にはなれなかった。


 身寄りもなく、食っていく力もなかった幼い俺をこの店の主人は調律師として雇った。


 調律とは、正しく美しい響きが鳴るように、楽器を手入れし調整することだ。普通は演奏家自ら行うのだが、非常に神経を使う仕事であり、何かの拍子に先ほどのように暴発する可能性もある危険な仕事だ。高位の演奏家ともなれば、専属の調律師をつけることもあるらしい。


 この店に所属する演奏家たちは、面倒で危険な調律を俺に押し付けた。


 八歳の頃からこの店で働き出し、早十年。


 今ではこの店の全ての楽器を一人で調律するようになっていた。


「調律が終わったらゴミ捨て行ってこい」


 そう吐き捨てると、店主はホールから消えていった。


 もういっそ全てを投げ出して辞めてやろうか。


 しかし、俺にはこれしかできない。この店を辞めたら生きていけない。もちろん、高位の演奏家の専属調律師になるなど夢のまた夢だ。そういった巨匠マエストロは、ほとんどが貴族のお抱えの演奏家である。片田舎のこんな薄汚れた店で働いている俺がお目通り願うことなど、決して出来ないのだ。


 もう少し演奏家としての才能があれば、稼ぎようなんていくらでもあっただろう。


「はあ……」


 自然とため息が出た。


 取り落としたヴァイオリンを構え、弓を引く。


 柔らかで多少の水気を含んだ美しい音がホールに響く。しかし、それだけであった。大気の魔素が共鳴することは今日もなかった。

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