オウガアドヴェント

漣 遥

"神の器"羽化編#1

 薄暗い通路を一人の白衣を着た男が歩いている。

 男は顔の所々に皺の入っている白髪の老人だ。

 通路の左右には多数の扉がある。扉には第一研究室、第二研究室、第三研究室、第四...と書かれている。

「立川博士」

 男が歩いていると後ろから声をかけられた。

 白衣の男、立川はこの研究所で研究をしている博士だ。

 もっとも研究内容に関しては表に出すとこは不可能なものだ。


「菊池君か。何かわたしに用かね?」

 声の主、菊池と呼ばれた女が早歩きで男の隣に並んだ。

 女もまた白衣を着ていた。

 菊池は立川の助手だ。

 菊池は元々大学時代は立川の生徒だった。

 大学時代に立川に憧れ同じ研究所に入るために努力して今は30代で助手という立ち位置まで登ってきたのだ。

「例の最終実験の実行が可決されそれに基づき場所と日時も同様に決まりましたのでお伝えしようかと思い」

 それを聞いた瞬間、立川は立ち止まった。ここ数十年感じることのなかった興奮を身体中で感じているのだ。

「そうか、遂に」

 立川は興奮を抑えるために一度、目を閉じた。

 菊池は思わず硬い雰囲気を緩める。

「先生、嬉しそうですね」

「あぁ、嬉しいさ。わたしが20年以上かけて研究してきたのだからね」

「私も嬉しいですよ、先生が人生をかけてきた研究結果を見ることができるのですから」

 菊池もまるで自分のことのように喜んでいる。

「これから先、先生は世界中から恨まれ敵になりますが私はいつまでも先生の味方ですからね」


 立川が20年以上続けている研究。

 それは人類の進化。そして可決された内容は人類が進化するために必要な一歩になる。この一歩が限りなく遠かったが立川は辿り着いた。

 進化の領域に。

 しかしそのための最終実験はあまりに非人道的である。

 だが立川はそんなとこなどは気にしない。数多の犠牲無くして進化などは絶対にありえないと言う。

 そんな考えに魅了されたのが菊池である。


 しばらく興奮の余韻に浸っていた立川と菊池。

「こちらに実行場所と実行日時が記入されています」

 そう言って菊池は立川に茶色の封筒を手渡した。


 立川は封筒を受け取るとおもむろに呟いた。

「ようやくお前と同じところに行けそうだ、渡利」

 その呟きは菊池には聞こえなかったようだ。

 しかしその時の表情はまるで子供が友達の家に遊びに行くような表情が覗いていた。





 2035年2月15日午前11時を過ぎた頃。

 日本の東京が保有しているとある人工離島は数時間にして地獄絵図が出来上がった。

 小学生くらいの子供が泣き叫び倒れている母親の身体を揺すっているが母親はなんの反応もない。また皮膚が溶け落ち顔が爛れている者、身体の一部や全体が腐敗している者など。別の場所では、5~6人組の男女が全員どこか一点を見ているが目や口、首、全身に至るまでまるで動かない状態になっている。

 そのような光景が離島の様々なところでみられている。


 それはいきなりやってきた。

 島の北側から流れてきたガス。

 そのガスは僅か2時間足らずで島の全域を覆った。

 バイオテロ。

 しかしそれはただのバイオテロではない。

 流れてきたガスは新しい遺伝子情報を含んでいる。


 ガスを吸ったものは最初は皆一様に意識を失うが20分も経てば目を覚ます者もいる。そこからは反応は異なるが大きく分けて3パターンだった。

 1パターン目

 最初に意識を失ってから二度と目を覚まさない者。死亡。

 2パターン目

 目が覚めてから身体が全く動かなくなった者。植物人間状態。

 3パターン目

 ガスに含まれている遺伝子情報が完全に組み込まれた者。適合者。


 今、僕の目の前で起こっていることは紛れもない現実だ。

 どんなに否定したくてもその否定を許さないような光景が広がっている。

 何故こんなことになったのか。

 僕はあのガスが流れてくる前のことを思い出す。


 2035年2月15日10時過ぎ。

 学校で1時間目の授業が終わり休み時間のタイミングだ。

 この学校は9時に登校して教室に入らなければ遅刻扱いになる。1時間目の授業は9時10分から10時までの50分間だ。そして20分の休み時間を挟み10時20分から2時間目が始まる。


 僕は2階にある教室からぼんやりと窓の外の景色を眺める。

 地面や花壇、道の両端に等間隔で立っている木は白い傘がかかっている。2月の中旬頃のこの時期はまだそこらじゅうに雪が積もっている。

 また冬には夜になると花壇や木に付けられている小さい豆電球がライトアップされイルミネーションが広がる。


 この学校は東京が保有している離島に建てられている。離島は日本から30kmほど南東に離れた位置に存在している。

 この島は20年前にとある大型研究を進めるために人工的に作られた島である。

 しかしこの島で行われていた大型研究はいつの間にか人知れず終わっていた。その研究内容や研究結果は表に出ることがなく。

 13年前にこの島で原因不明の病が発症したのだ。

 その病によってこの島の人工は20%減少した。

 それから5年が経過した2027年に本国で原因不明の病に対するワクチンの開発に成功した。

 そして2029年に島は新しく作り直され町が出来たのだ。

 それから月に一度日本本国から支給物資のために大型貨物船が複数台上陸するようになった。


「なぁ、煌人はどう思う?」

 話しかけられて僕は意識を窓の外から教室に戻す。

「何が?」

「何がってお前俺の話聞いてた?」

「ごめん、ほとんど聞いてなかった」

「マジかよ...」

 そう言って溜息をついた。

 壁に寄りかかっているこの男は中村瞬。

 僕の中学からの知り合いだ。

「お前はもう少し他人に興味を持とうぜ」

 言いながら僕の肩を叩く。

「そう...だね」

 僕は少し顔を逸らしてしまう。

 それを見て中村は少し迷った顔をしてから

「一歩ずつでいいから進もうぜ」

 と言った。

 進むか。

 今の僕にはその一歩が遠い。

 中村は中学からの知り合いだが僕にとっては友人というわけではなく上辺だけの付き合いしかできない。

 しかし中村は僕のことを友人と思ってくれているのかもしれない。

 僕はそれが申し訳なく感じてしまう。

「努力はするよ」

 それを聞いて中村は頷いて自分の席に戻って行った。

 授業開始まであと5分。

 僕は次の授業の準備をしようと椅子から腰を持ち上げ後ろのロッカーに入れたカバンを取りに行く。


 次の授業の準備をして席につく。

「河浪君」

 隣の席から声がした。

 僕は机に伏した顔を上げ隣を見る。

「ん、何?」

「次の授業で使う教科書忘れちゃった、一緒に見させてくれないかな?」

 そう言って少し上目遣いでこちらを見てくる女子。

 彼女は一乃瀬圭夏。保育園からの付き合いの幼なじみだ。

 僕は少し心拍数が上がったが一度目を閉じて落ち着かせる。

「分かった、いいよ」

 僕がそう言うと一乃瀬は自分の机を俺の机にくっつけた。

「ありがとっ」

 一乃瀬は何か言うよりも先に行動に移すことが多い。そのせいでたまに失敗をすることがある。

 そんなとこを考えていると一乃瀬が急に顔を覗き込んできた。

「何?」

「なんでもないよ」

 僕が問うと一乃瀬は顔を正面に戻した。その顔は少し赤くなっていた。


 そしてしばらく何もせずに待っていると授業の担当の先生が教室に入ってきて授業が始まった。


 僕は考える。

 他人に興味を持つとはどういうことなのかを。

 人は自分の価値観でしか生きられない。

 他人の価値観に合わせて生きることは他人に興味を持ったと言えるのか。

 僕には分からない。

 他人に興味を持つと言うことは自分の価値観を他人の価値観に塗り替えてしまうと言うことじゃないのか。

 それは本当の意味で生きていると言えるのだろうか。

 僕はそれを理解したい。

 だがその方法が分からない。

 僕は今までに何度も考えてきたが結局いつも結論は変わらない。

 僕はその結論を変えたい。


 そして遂にその結論を変えることが出来るようになる。


 最悪の出来事によって最悪の方向へと。

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オウガアドヴェント 漣 遥 @020916

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