かりそめの独裁者

野望蟻

かりそめの独裁者


かりそめの独裁者


「閣下、朝食の時間となりました。本日のメニューは月光ガエルのソテーに風船ダチョウの目玉焼き、唐草オニオンのスープでございます」

 

 私は寝室に現れたメイドの声に起こされると、糸のほつれやボタンの綻びがないか入念にチェックした後、特注の軍服に袖を通し執務室へと向かった。

 アール帝国は民主制独裁主義である。

 政治団体や派閥の結成を一切禁じ、国民投票によって選ばれた一人の国民が帝国大将軍となるのだ。

 これまで帝国大将軍に任命された先代達はみな立派であった。

 戦争の最前線に立ち壮絶な死闘を繰り広げた者や、敵国との交渉で毒を飲まされながらも国益となる取引を成立させた者など帝国大将軍の活躍は枚挙に暇がない。


「閣下、本日もご機嫌麗しゅう」

「エス大臣か。今日の予定はどうなっている?」

「はい、本日は穀倉地帯の視察、造船会社社長との会見、それと毎月恒例の自由国民投票結果の確認があります」

「そういえば先月の投票結果に対する対応はしかとやってくれたのだな?」

「ええ、先月の自由国民投票結果は『食料高騰による飢餓民増大解消に向けた他国からの安価な食料輸入』に決定しましたので他国から大量に穀物、野菜、肉類を輸入した結果、飢餓に苦しむ国民が大幅に減少したと報告を受けております」


 自由国民投票は毎月二十日に行われる。

 全国民による意見、要望が集計され、その中で一番票を得た意見を帝国大将軍権限で即座に断行する。与野党も無ければ、賛成反対で会議が空転することもない。初めて行われた自由国民投票により決定されたシステムだ。


『帝国の指針については全て自由国民投票で決めるべし。その結果については帝国大将軍であっても承認しなければならない』


 初代帝国大将軍はクーデターによって国を掌握後、第一回自由国民投票の結果を重く受け止め、国民の総意としてアール帝国憲法第一条の条文に書き換えたのだ。


「ふむ、国民の意見を吸い上げ反映させるのが帝国大将軍としての仕事だからな」


 私は大臣の報告を受け、自慢げに自らの立場を誇示した。

 正直、この立場になるため私はあくどいことを沢山やってきた。

 表向きは清廉潔白な帝国大将軍の立候補者として、国への奉仕を続けていた。

 しかし、北に頭脳明晰な好青年がいると聞くや、行って細菌兵器を散布し、東に聖女が現れたと聞けば、周囲に夜遊びが過ぎる女だと言いふらし、南に豪胆な武人の噂が流れれば傭兵を雇って暗殺し、西に財閥の御曹司が立候補するとの情報を得れば、かねてより把握していた贈収賄の事実を盾に立候補を取り下げるよう脅迫した。

 私の私による私のための帝国だ。誰にも邪魔させないし誰にも渡さない。

 私は執務室で朝食を済ませ、全新聞社の朝刊を網羅し、我が帝国だけでなく他国の情勢もチェックをする。他国の動きがこの帝国にも影響することがあるからだ。

 私は朝刊のチェックを終え、テレビ局のニュースを確認しようとしていた時だった。

 エス大臣が慌てて執務室に現れたのだ。


「大臣どうした。まだ視察の時間ではないだろう」

「存じております。しかし閣下、帝国農業団体長及び帝国漁業組合長が謁見を申し出ております」

「予定にない行動を取ると今の帝国大将軍は突拍子もないことをする人物だと噂され、自由国民投票に影響するかもしれない。断れ」

「それがですね、先月の帝国大将軍命令による大幅な食料輸入により、我が国の生産業者が大打撃を受けまして、輸入を一時ストップして欲しいとのことです」

「馬鹿なことを言う。自由国民投票によって決まったことは覆せん。それは私であっても変わらない。投票結果について私は判子を押すだけだ」

「どういたしますか?」

「前回と同様に即刻処刑しろ。自由国民投票結果をないがしろにする人間は国家の土台を揺るがしかねん」

「ははっ」


 大臣は、そそくさと執務室から出て行った。

 数刻もしないうちに陳情に来た者達は処刑されるだろう。

 個々の意見や各地方の要望を取り入れてしまえば、この国の大原則である自由国民投票の基盤が脆くも崩れ去ってしまう。だからこそ、帝国大将軍は厳格にかつ公正に独裁的断行を継続する必要があるのだ。

 私は、その後も予定通り穀倉地帯の視察を行い、造船会社社長との会見を終え夕方には執務室へと戻った。


「閣下、夕食の準備が整いました。本日のメニューは冥王蜘蛛のフライと三千年ゼミの刺身、砂時計ウサギの丸焼きに、オオゾラトビメロンの果実酒となります」


 メイドが執務室へ一礼とともに入室し、帝国大将軍専属シェフの料理が続々と執務室内へ運び入れられた。

独裁者となって唯一の楽しみが食事であった。

 自由国民投票により政策も立法も下手な方針を打ち出すわけにはいかない。しかし、食事については違う。私の好きな食事を私の気分で準備させることができるからだ。

 私は机の上に並んだ夕食に舌鼓を打ちながら、テレビ画面に映し出されるニュースのチェックを始めた。特段面白そうな事件や問題もなく、平凡なニュースが続いていた。

 砂時計ウサギの丸焼きを半分ほど食べた後、オオゾラトビメロンの羽をちぎり、ワイングラスへその体液を絞っていた時だった。

『続いて自由国民投票結果についてお知らせします。今回の自由国民投票結果は『帝国大将軍の解任』に決定致しました。投票率は前回と変わらず100パーセントとなっております。明日、帝国大将軍が自由国民投票結果を承認後、帝国大将軍は解任される見通しとなっております。それでは次のニュースです……』

 オオゾラトビメロンは二回転半以上捻ると、毒の成分も混入してしまう。

 だが、この時ばかりはオオゾラトビメロンを三回転半も捻ってしまい、グラスを満たし始めていたエメラルドグリーンの液体は、見る見るうちにドス黒い青褐色の粘液へと変質を始めていた。


「エス大臣! すぐに執務室へ来い!」


 私は手元のナプキンでオオゾラトビメロンの体液を拭うと、すぐに直通の電話を使ってエス大臣を呼び寄せた。


「いかがいたしました閣下!」

 

 エス大臣が肥え気味の体を揺らして小走りに執務室へと現れた。

 食事中だったのか、前歯の隙間からテングバッタの後ろ脚が見え隠れしていた。


「どういうことだ! このニュースキャスターは私が解任されると言っているぞ! 即刻処刑してしまえ!」


 エス大臣は、麻を編んだハンケチーフを胸ポケットから取り出し、自らの頬をつたう汗を拭きながら私の問いに答えた。


「国民投票結果で解任が決まりましたか。それはもうやむを得ないことでございます」

「なぜだ! 私はこの国のために尽力した! 私腹を肥やすことには一切手をつけず国政に注力した! エス大臣理由はわからぬのか!」

「陳情に来た者を毎回処刑していることが影響したのかもしれません。今ではインターネットで閣下の行動は逐一国民に通知されております。独裁者として、自由国民投票結果以外の執務については自己判断の自由が認められておりますが、結果には責任がついてまわるものでございまして」

「だが、あいつらの言うことを聞いてしまえば自由国民投票結果を無視したことになるではないか」

「ええ、それはごもっともでございます」


 煮え切らない大臣の態度に苛立ちが隠せなくなってくる。私は語気鋭く大臣にまくし立てた。


「これまで帝国大将軍はみな立派に職務に命を捧げてきた。私もそのつもりで帝国大将軍になったのだ! 絶対に解任など認めない。私は帝国大将軍を辞める気はない!」


 私は、息がかかるほどの距離でエス大臣を睨み付けると、エス大臣はしばらく黙った後、ひとつの策を提案した。


「閣下、手がないわけではありませぬ。今日時点でやまいに伏せられたら良いのです。しかしこれはあくまで仮のやまい、いわゆる仮病というやつですな」

「帝国のトップが仮病だと? 国を背負う人間にそのようなことが許されるとでも思うか?」


 私はエス大臣へ凄んで見せたが、エス大臣は話を続けた。


「しかしアール帝国憲法第一条を変えることはできません。変えるにしても毎月の自由国民投票でしか変えることができないのです。明日になれば閣下ご本人が今回の自由国民投票結果について、承認手続きを朝一番でやっていただくことになります。それを回避するためにはかりそめの病人にでもなってもらうしかないのです。とりあえずこの入院承認書にサインと判子をお願いします」


 国のナンバー2から仮病を進められたことに怒りがこみ上げたが、他の方法が見つかるわけでもなかった。私はエス大臣の意見を採用することにし、大臣が恐る恐る差し出した入院承認書にサインをしたのだ。


『速報です。昨晩、帝国大将軍が重大な病気により入院したとの情報が入りました。そのため本日の承認手続きは一時凍結となり、しばらくの間はエス大臣が代理で執務をこなすことになりました。繰り返します……』


 私は、最先端医療が受けられる帝国大将軍専門の病院内で、早朝のニュースを眺めていた。アール帝国憲法第二条『自由国民投票結果以外については全て帝国大将軍が決定権を有す』とある。

 私がこの国のトップであることは変わらないし、独裁的権限も未だに有しているということなのだ。私は、自由国民投票結果の承認を先延ばしにしつつ、私兵の組織を利用して来月の自由国民投票結果を『先月の自由国民投票結果を無効とする』にすればいいだけなのだ。


「閣下、お食事の時間になりました。今日のメニューは火山ミミズのミルフィーユと、海モグラのあら汁、ミサイルアンコウの弾頭焼きに、お飲み物は二酸化珪素水となります」


 丁寧な口調で入室したのは年老いた看護師であった。

 この病院で働く者は、帝国大将軍の病状を決して漏らしてはならないという決まりがある。料理は執務室にいたころよりグレードが落ちているが、不満を漏らすわけにはいかない。彼らは病状を漏らしてはならないと定められているだけであり、私の言動について噂を広める可能性があるからだ。


「ありがとう。そこに置いてくれたまえ」


 私はできるだけ丁寧な口調を心がけ、病室ベッド脇にある机を指示した。

 エス大臣は、気弱で対外交渉は苦手なタイプであるが、私が復帰するまでは辛抱してもらいたいと思う。

 私は海モグラの爪に詰まった味噌をほじくりながら、理想とするアール帝国の行く末を思い描いたのだ。

 翌月、エス大臣が神妙な面持ちで私の見舞いにやってきた。


「どうしたエス大臣、まあ座れ。今月の自由国民投票結果はどうなった?」


 私はベッド脇にある椅子を差し出し、エス大臣の顔をじっと見つめた。


「閣下、大変なことになりました」


 エス大臣は私の視線に耐えきれなくなったのか、綿のハンケチーフで顔を拭きつつ視線を落とし、静かに語り始めた。


「今月の自由国民投票結果についてお伝えします。結果は『帝国大将軍不在時における大臣代行権限強化の強行採決と、自由国民投票緊急投票法の施行』、『超法規的措置として帝国大将軍の軍事、立法、行政権の一時剥奪』、『帝国大将軍の全国民裁判による有罪確定判決』になります」


 私は怒りのあまり、午後のおやつとして枕元へ隠していたヤドリギカラスをエス大臣に投げつけた。


「な、な、なんだそれは? どういうことだ? なんで一度の自由国民投票でそんなに何でもかんでも決まってしまったのだ?」

「これはですね、閣下が仮病を使っていたことが国民にバレてしまいまして、かといって閣下を弾劾するには閣下の承認が必要になるということで……え~順を追って説明しますと、まず今月の自由国民投票において大臣、つまり私が閣下不在の際は承認権を代行できるようにした上、臨時の際には緊急的に自由国民投票を行えるよう法整備がなされました」

「その結果、即座に緊急自由国民投票が開始され、閣下が病室から独裁的断行を行わないよう権限を一時剥奪すると共に、これまで閣下が閣下になるために行ってきた犯罪行為について裁判をすべきと決定がなされ、閣下不在による全国民投票裁判が行われ、投票の結果有罪となりました」


 開いた口がふさがらないとはこういうことを言うのか。

 視界が真っ白になり、エス大臣の声もぼんやりとしか聞こえない。

 私がいない間に私の有罪が決定しただと?


「ふざけているのかエス大臣は。そもそもそれら全てを承認したのは大臣だろう」

「そうしなければ私が自由国民投票によって弾劾されてしまいます」

「保身のために我を売ったか。醜いぞ大臣」

「いえ、これも閣下のためです。政敵を排除した数々の仕打ちが明るみに出てしまい、閣下に対する国民感情がかなり悪くなっております。下手をすれば自由国民投票によってクーデターが起こってしまいます。ここは仮の服役をするべきです」

「仮の服役だと?」

 

 私が反応した途端、エス大臣は顔をほころばせ早口に説明を始めた。


「閣下という立場のまま刑務所に服役していただきたいのです。そうすれば国民の溜飲も下がりますし、私としても復帰の道筋をつけられるというものです。私は代行者という立場から変わっておりませんので、今も帝国大将軍は閣下のままなのです。かりそめの囚人としてしばらくの間、刑務所で過ごしていただきたいのです」


 エス大臣は私の面前に一枚の書面を突き出した。


「これは服役承認書になります。閣下が承認していただければ、すぐにでもアール帝国刑務所へ服役することになります。なあに仮ですよ仮」


 無理矢理復帰でもすればクーデターが起こり、国内の情勢は不安定になってしまう。そのような状況を奇貨として他国に攻められたら強国であるアール帝国といえども敗北してしまうだろう。

 私はこの国のトップとして国を、国民を守るために刑務所への服役を承認することにしたのだ。

 完成した書類をうやうやしく懐にしまいこんだエス大臣は、オオゾラトビメロンより遥かに安いモリトビメロン1匹を置いて帰っていった。大臣の執務服が以前より高級な生地に変わっていることだけが唯一の気がかりだった。


「帝国大将軍、刑務作業の進捗が遅れておる! 貴様サボっておるのか!」

「帝国大将軍の造るコスモフラワーは質が悪い! なぜこんな簡単な花も造れぬのか!」

「おい帝国大将軍! 貴様、隣の囚人から黄金ヤンマをくすねおったな! 懲罰房行きだ!」

「今日のメニューは天満カサゴの醤油炒めと、油ヌカゴケのサラダ、血吸い泥猿の腰掛け煮込みだ! 炊事夫に感謝して残さず食え!」


 私が服役承認書にサインをしてから長い歳月が経過した。

 白髪も皺も増え、長い服役生活により腰は曲がり耳も遠くなった。

 私を私たらしめているものは帝国大将軍という肩書きだけだった。

 服役直後、エス大臣は3日に1回は面会にやってきていた。

 それが週に1回、1月に1回と間隔が空いていき、最後に面会に来たのは3年以上も前のことだった。

 私は、エス大臣がいまも私を復帰させるために根回ししてくれていると信じて止まなかった。外の情勢は知るよしもないが、自由国民投票の用紙が毎月配布されるため、アール帝国が健在であることは間違いなかった。

 ちなみに私は毎月欠かさず投票用紙に『帝国大将軍の恩赦と即時復職』と書いているが、採用されたという報告は一度もなかった。


「帝国大将軍! 面会だ」


 ある日、独房で一人復帰の道筋を思案していたところ、看守に声をかけられ面会室へと促された。そこにいたのは3年前から音沙汰がなかったエス大臣だった。

 エス大臣は立派な軍服を身に纏い、金糸で施された肩章からモールをぶら下げ、自分が帝国大将軍かのような立ち振る舞いをしていた。


「閣下、調子はどうですか?」

「まあまあいい。不満と言えば食事が以前よりも貧相なことくらいだな」

「はっ! 贅沢な悩みですな」


 エス大臣は以前よりも高慢な言い方に変わっていた。


「まあいいでしょう、実はこれまで面会に行けなかったのには理由がありまして」

「なんだそれは言ってみろ」 


 エス大臣はもったいぶるかのように、黄金ヤンマの羽糸で拵えた超高級のハンケチーフで頬の汗を拭き取り、一呼吸を置いた。


「3年ほど前から閣下の行為を責める声が増え始めまして」

「そうか……それではまだ復帰は難しいな」


 エス大臣は私の合いの手に反応することもなく淡々と話を続ける。


「沈静化に動いたんですがね、先月の自由国民投票結果が出まして。これまでの帝国大将軍はみな自由国民投票結果により、国のために戦死なり殉死してきましたから……閣下だけなんですよ独裁者の肩書きに固執するのは」

「御託はいい。どんな結果だったんだ」


 エス大臣は面会室の遮蔽板に、一枚の書面を乱暴に貼り付けると、一気にまくし立てた。


「ちゃんと見てください『帝国大将軍の死刑執行』と書かれているでしょう。そこで思ったのです。仮の話ですが、閣下が死ねば国民の中に帝国大将軍に対して文句を言う人間は一人もいなくなるでしょう。ですから帝国の秩序を維持するために、閣下には仮に死んでもらいたいのです。処刑方法については今月の自由国民投票で決定しますが、出口調査では絞首刑が大勢を占めているようです。なあに仮ですよ仮。かりそめの死者になるだけです。来世になればいつだって閣下は帝国大将軍に戻れるのです。だって私はいまでも代行者という立場から変わっておりませんから。さあどうぞ、最後くらいは閣下自らサインして承認してください。閣下が独裁的断行によって自らの死刑に対して承認手続きを取ったことについては、後日私が国民に説明いたしますから安心してください」


 私は、もうエス大臣の顔を見ることができなかった。

                〈了〉

 


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