第2話
夕暮れの訪れに黒い鳥がカアと一声鳴いている。
都市部でも少々田舎に近い場所で、少女が男の隣を歩いている。軽い足取りの彼女を眺め、男は重い足を動かしながら疲労で顔を歪めていた。対して少女は被ったフードによって顔に影が落とされているが、口角が上がっているのがはっきりと分かる。
というのも、少女は同居人についでの買い出しを頼まれ、荷物持ちとして半ば強制的に男を連れていたのだ。まだ店には着いておらず何も買ってはいないが、男は先程仕事が終わったばかりなのである。疲れた体を休ませたいと訴えたが、その訴えの行方は今の様子を見れば一目瞭然であろう。何かと逆らえない不憫な男は、存外力の強い少女に渋々腕を引っ張られていた。
「あの、ヒバリさん。あまり強く掴まないでもらえます?」
「ああ、悪い悪い。でもたかが16歳の女のコの力だろ?なあ?クイナ?」
「……根に持つタイプは嫌われますよ」
「鏡見て言えよ」
男──クイナの細やかな抵抗は皮肉で返されるばかりである。思わず足が出そうになったが、足癖の悪いクイナとて子どもではない。グッと飲み込むくらいはできるのだ。もし彼の同居人が見ていれば『年下の女の子に対して大変大人気ない馬鹿』と彼を称するだろうが、当然居ないので不満げな顔で好き勝手されるしかない。
面白がってからかっていたせいだろうか、注意力散漫の結果ヒバリの肩がドンッと黒い何かに当たる。
「あっ。ごめんなさい」
「……、」
黒いフードの男だった。恐らく異国出身だろう、褐色肌が数少ない露出部分で晒されている。影から覗く黒曜の目が二人を一瞥した。そうして間もなく、固く閉ざされた口を微塵も動かさずに人通りの奥へ消えてしまった。クイナが怪訝そうに黒い背中を睨んだが、振り返ることはなかった。
「ほら。だから言ったんですよ、こういうこともあるだろうと思って。危ないでしょう、特にここら辺は……」
「え?ウン。そうだな、良い天気だな」
「話聞けよ」
器用に片眉を上げてヒバリに忠告の言葉を囁くも、彼女はどこか上の空で男が消えた方面に体を向けたままである。ブツブツと文句を垂れるクイナを見ようともしない。
ちなみに今、どんよりとした雲が空を覆っている。まるでここの治安のようだと例えたのは誰であったか。
「なあ」
とここで、ヒバリが不自然に歩みを止め、可愛くニコッと笑顔になる。クイナはこれまでの経験によって面倒な空気をすぐに察知した。こういうときの彼女はとことん頑固であるから、誰にも止められないのだ。
「なんです」
「多分さっきの奴に財布スられたわ。いや~参ったなあ、ノスリのポケットマネーなんだけどアレ」
「は?」
平然としたかわゆい顔でさらりと言われたため、クイナは思わず聞き逃しそうになった。というよりは、信じたくないため聞き返しそうになった。人間は逃避の生き物なので。
「じゃあお前、先行っててくれよ」
「おい、貴女何を、」
「すぐ追いつくからな!」
「はあ!?ちょっ、待っ……!」
焦りが滲んだ制止する声に一切聞く耳を持たずに、ヒバリはそのままダッと地面を踏み締めた。無駄に身軽であるから追っ手を撒くのは簡単なことなのだ。
現在追っ手は驚きで固まっているため関係ないが。
靴裏が笑う音が薄暗い路地裏で響いていた。
数匹の烏が周辺に散らばったゴミを啄んでいる。人気のない汚れも目立つ路地は、世辞でも決して治安が良いとは言えなかった。
この場で綺麗な服を身に纏い、綺麗な顔で堂々と立っている姿は、不釣り合いと言うか、ぶっちゃけすごく浮いている。ヒバリは思案顔で下唇を軽く触れてから、目線だけを横に動かした。
「オレ、鬼ごっこは鬼役が良いんだけどな」
ナイフがヒバリの髪を掠めた。数房散る髪の毛に特段驚きもせず、まるで最初から分かっていたかのようにゆるりと振り向く彼女の姿は異常である。好奇心に溢れた顔は幼子が新しい玩具を見つけたかのように笑っていた。……幼子にしては少々邪悪かもしれない。
視線の先には黒が佇んでいる。
「わざわざ殺されに来たのかよ」
つい先程のフードの男だった。慣れた手付きでヒバリの首に刃先を当てている。
殺意に満ちた視線が緊張を生み出した。もし可視化をしたならば、きっと今頃彼女の体には槍が貫通していることだろう。
「オレが死ぬわけないだろ」
プツリと軽く皮膚の切れる音がして、間髪入れず見た目に似合わない強力な蹴りを男に食らわせた。シスターから習った術は便利だなと内心独りごちる。
勢いでバサッとフードが風に吹かれ、影に隠れがちであったヒバリの顔が露わになった。
向かって左側は高く、右側は耳の近くという非対称に結ばれたシニヨンに数房髪が垂れている。髪と同色の明るいブラウンの双眸がきゅうと細まった。こんな状況でも心なしか愉快げに笑ったままだ。
男は軽く咳き込んでから、ヒバリに気味悪そうな尖った眼差しを向けた。
「気持ち悪ィ女……」
「殺人鬼に言われてもなあ」
「テメェよかマシだろ」
一見軽い会話でも、張り詰めた空気は変わりはしない。殺意はブレることがなかった。
実はヒバリがこうして殺意を向けられるのはそう珍しいことではないのだ。しかしマァ彼女がどこかのお嬢様だとか、恨みを相当買っているだとか、そういった理由は見当違いである。
では何かと言えば、とある時期から発生した人間を惹き付けてやまない体質のせいなのだ。人間というのは不便なもので、理性というタガが外れると本能的になってしまう。制御できない感情に身を任せたまま衝動的に彼女を殺そうとするのだ。甚だ迷惑な話である。
嫌でも慣れた、というかヒバリは何となく面白がっている鋼メンタルの持ち主のためにそれは置いておいても良いのだが──
襲いかかるナイフをすんなりと避けながら、それにしても、と言葉を続ける。
「どうした。動きがぎこちないぞ。おいおい、か弱い女の子を殺すのにんな時間かかるか?」
「うるせェ殺すぞ。妙なモンまとわりつかせやがって……」
「あン? ……。お前さあ」
パチパチと可愛く瞬きを繰り返し、ヒバリは可愛く首を傾けて攻撃を避け、可愛く男の腹に思い切り足を沈める。可愛くない音が響いた。
「やっぱり。怪我してるだろ」
ヒバリは靴底に付着した血液を床に擦り付け、蹲ってしまった男を見下ろした。ずっと鋭かった視線は更に棘を持ってヒバリを刺す。当の彼女は男の口から漏れる苦しそうな息遣いを聞いて、やりすぎちゃったかなあ、と呑気なことを思った。
鳥共はなく 湯湯 @yuyu_yyyyy421
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