@oniony

『穴』

穴 物の面にあいた、または掘って作ったくぼみ(=穴)、または向こうまで突き抜けたトンネル状の所。辞典にはこう記されている。


そう、ここにあるのは何とも形容しがたい奇妙な『穴』である。そもそもこれを穴と呼んでいいのかすら自分にはわからない。


これを見つけたのは16年前、とても暑い夏の日だった。当時小学4年生だった私は家の裏の側溝で魚取りをしていた。夢中になって魚を追っていくうちにかなり遠くに来たようで周りは腰ぐらいまで育った雑草と見渡す限り広がる田んぼばかりであった。

あまり遠出をしない私にとってそこはもう別世界と言って差し支えなかった。しかし好奇心の旺盛だったその当時、引き返すという選択肢は無かった。むしろ気分は冒険家で今日の出来事を明日学校で友達に話してやろうとすら思っていた。

そのため視界の隅に映った奇妙な人影を尾行していくのは当時の私にとっては至極当然のことだった。人影は静かに山の中へ入っていった。草木をかき分け気づかれないように尾行する。中腹あたりまで差し掛かった時確かに視線の先にいた人影が突然消えたのだ。

消えたというより落ちたという表現のほうが適切かもしれない。

とにもかくにも人影が一瞬にして視界から消えたのは事実であった。人影が消えた場所まで行くとそこには黒い『穴』があった。どのぐらいの深さがあるのか見当もつかないぐらい中は漆黒の闇であった。

ふと手を伸ばしてみるとなんとそれは穴ではなかった。地面に真っ黒い大きな円が書かれているだけであった。どうしてこんなところに『穴』があるのか、何のための『穴』なのか、人影はどこへ消えたのか、何もわからないままその日は家に帰った。


その後は何度行ってもあの『穴』を見つけることができなかった。『穴』があった場所には草木が生えていて昨日の出来事など何もなかったかのようだった。友達にこの話をしても誰も信じてくれなかった。そんな『穴』を16年経った今更また見つけることになろうとは。『穴』はあの時と寸分違わぬ位置にあった。

あの時と寸分違わぬ漆黒の黒でそこに佇んでいた。しかし一つだけあの時と違うところがあった。突然ありえないぐらい強い力で引き込まれたのだ。深さなど無かったあの時とは違いこの『穴』はどこまでも深く、終わりなどないような闇の中へ吸い込んできた。

この穴は私が成長するのを静かに待っていたのだ。抵抗など出来なかった。出来事は一瞬だった。引きずり込まれる最後の瞬間ふと上を向くと幼き日の私が不思議そうな顔をしてこちらを覗いていた。


「あれ?穴じゃない。」

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