驟雨

春雷

驟雨

 不意に思い出に殴られることがある。どうしてあの時、選択を誤ってしまったのか。どうしてあの時、あんなことをしてしまったのか。例えば、寝る前なんかにこうした現象は起こりやすい。そうしてベッドの中で悶えながら朝を迎えるのだ。叫びながら、髪を搔きむしりながら。

 僕はもう大人だから、そんな子どものような後悔に時間を割く余裕はない。しかし、そんなこととは関係なしに、思い出は僕を殺しに来る。好むと好まざるとにかかわらず、僕らは失敗し続ける。成功なんて本当は一つもしていない。僕の人生すべてが失敗。何だか今日はそんな気分だ。

 雨のせいだろうか。僕は窓の外を眺める。土砂降りだ。風も強い。木々が風に吹きつけられている。折れてしまいそうな勢いだ。窓にも雨が当たる。ガソリンスタンドで洗車をした時、ちょうどこれくらいの水量だったな。そんなことを思う。

 そういえば、先日こんなことがあった。


 映画を一人で観に行った帰り道。僕はコカ・コーラを片手に川沿いの道を歩いていた。

「反対!」

 どこからか、大勢の人の声が聞こえる。いったい何に反対しているのだろう。次に聞こえたのは救急車のサイレン。これも姿は見えない。その次は鳥の囀り。街には実に様々な音が溢れている。

 夕暮れ。空はオレンジ色に染まっていく。空は一秒たりとも同じ顔を見せてはくれない。毎回微妙に異なる色合いで、僕を楽しませてくれる。

 僕から見て、左側が川で、右側が住宅街だ。川は割と細く、雨が降っていない時は、底が見えるほどの水嵩しかない。釣りをしている人がいるから、魚はそれなりにいるのだろう。

 のんびり歩いていると、アパートのベランダから人が飛び降りた。

「何だ?」

 あまりにも突然の出来事だったので驚いた。その人は二階から飛び降りたのだ。

 全身黒ずくめの恰好。黒いキャップに、黒いTシャツ、黒のズボン。その恰好の全てが怪しさを訴えているようだった。

 二階から飛び降りた衝撃はそれなりに強かったのか、その人はその場から動かない。中腰で、膝を押さえている。

「大丈夫ですか」

 僕は思わず声を掛けた。

「いえ、まあ」

 その人は女の人だった。かなり整った顔立ちをしていて、くっきりとした目鼻立ちが、ボーイッシュな印象を与える。口元の柔らかさが可愛らしさを強調し、彼女の可憐さを際立たせている。

「あの」

「すみません。驚かせてしまいましたよね」

「まあ、はい」

「気にしないでください」

「えっと……」

「大丈夫ですから」

「はあ。でも」

「本当に、大丈夫ですから」

「本当ですか?」

「本当です」

 そこまで言われてしまったら、僕もこれ以上追及することはできない。

「じゃあ、僕はこれで」

 そのまま立ち去ろうとすると、

「あの、これ」

 紙を渡された。レシートだ。コンビニで水を買ったことが記されている。裏を見ると、電話番号が書かれていた。

「これは?」

「取っておいてください」

「この番号は」

 そう尋ねる前に、彼女は小走りで去っていた。

「何だったのだろう」

 空を見ると、いつの間にか曇っていて、雨が降ってきた。僕は傘を持っていなかったから、びしょ濡れになった。

「予報じゃ雨は降らないはずだったのになあ」

 僕はとりあえず走った。そして目についたコンビニに入った。

「あ」

 コンビニの前で雨が止むのを待っている時、ポケットからあの紙を取り出した。彼女から貰ったレシートだ。

「あーあ」

 そのレシートは雨に濡れて破けていた。字も滲んでいて、彼女が書いた番号は判読できない。

「覚えておけばよかったなあ」

 いまさらそんな後悔をしても遅いのだが。突然の雨で覚える時間がなかったのだ。僕はため息を吐かざるをえない。何だか面白そうなことが起こる予感がしていたのに。

 そんなことを考えていると、雨が止んだ。


 あの時、傘を持っていたら。あの時、電話番号を覚えていたら。あの時、彼女を追いかけていたら。

 いったいどんな冒険が待っていたのだろう。

 彼女は何者なのか。あそこで何をしていたのか。僕の退屈な日常を吹き飛ばしてしまうようなミステリがそこにあったはずなのに。驟雨によって、その幻想は打ち砕かれてしまった。

 僕は雨を見るたび憂鬱になる。彼女とのロマンスもあり得たかもしれない。ボニーとクライドのような、刺激的な青春がそこにあったのかもしれない。

 でも結局、後悔しても仕方がない。

 雨を眺めながら、僕はもう一度彼女に会える未来を夢想した。

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驟雨 春雷 @syunrai3333

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