幕間 毒なし女官と毒ありのふたり 接吻はどんな味
後宮は春を終え、すっかりと早咲きの
「えへへへ、可愛いなあ。確か、紫陽花の花は解熱のお薬になるんですよね。枯れるころになったら摘まないと」
毎日かかさずに薬の勉強をしているため、段々と知識も増えてきた。
薬の配達のあいまに紫陽花を眺めていた藍星は、紫陽花の垣根のむこうに敬愛する
鴆と慧玲がむかいあって、なにごとかを喋っている。
鴆は皇太子である。とても偉い。
だが何を隠そう、藍星はこの鴆という男がとても苦手であった。愛想はよくいつだって微笑を絶やすことはないが、それでいて毒々しく、側にいるだけで背筋がぞわぞわとする。
蟲のような男だとひそかにおもっていた。
そんな彼が、どうやら慧玲と恋仲らしいと知って失神しそうになったのがついこのあいだのことである。
藍星は想わず、ささっと物陰に隠れてしまう。
それでもふたりがなにを喋っているのか、気になってしまい、そろりと覗いたところ――鴆が慧玲の腰を抱き寄せ、彼女の唇を奪っていた。
(やばばばばっ、みちゃった)
藍星はぽんっと真っ赤になる。
彼女はこれまで一度も恋をしたことがない。未経験だからこそ他人の恋愛話にドキドキしながら聴きいってしまう、いわゆる恋に恋するお年頃だ。手で顔を覆いながらも覗いていると
(はわわわっ)
さすがにやめると思いきや、鴆は紫の眼をにっと細め、先程よりも深く舌を絡ませて
さながら「彼女は僕のものだ」と主張するような熱烈な
慧玲はまさか背後に藍星がいるなんて知らないだろうが、執拗な接吻にたえかねたのか、鴆の胸を押して振りほどこうとした。だが鴆は慧玲の腕をつかみ、そんな細やかな抵抗をかんたんに制する。
「っふ……」
だが、濡れたふたつの唇をつなぐように銀の糸が細くかかっており、その糸にまたひかれるように角度を変えて重なる。
(は、は、は……破廉恥!!)
藍星は頭が
みてはいけないものをみてしまった。
あれはおとなの
◇
「やたらと
「こう、
雪梅は 「
「誰にでもするんだったらとんでもない浮気ものだけれど、好きあっている男女が何度も接吻をするのは変わったことではないわよ。私だって好きな
雪梅は艶やかな紅の唇をゆっくりと弧にする。
「接吻は好きなひと以外とはしたくないものよ。もちろん、そうじゃないひとはいるだろうけど……私は陛下には抱かれたけど、接吻はしなかったもの」
「そ、そうなんですか」
軽いのかとおもっていた。
だが鴆がほかの女――例えば妃とかに言い寄られているところは度々見掛けるが、接吻するのは慧玲だけ――というかいつものらりくらりと袖にしている。近寄らせもしない。
藍星は想いだして、ぽうっとなりながらつぶやいた。
「接吻って…………おいしいんでしょうか」
雪梅が茶を吹きそうになった。
噎せかけながら「やっだぁ」と笑う。
「だ、だって、その……はじめての接吻は
「もう、可愛いんだから。……そうね、確かに好きな
雪梅は口許に手を添えてまだ笑っている。
「私の接吻はそうね、桃かしら。熟した桃。舌がとろけそうなほどにあまいのよ」
「へえ……」
それはおいしそうだ。想像するだけで藍星はあこがれで胸がどきどきした。そんな藍星を眺めて雪梅はふふっと笑った。
「あなたもいつか、経験できるわよ。そのかわり、ほんとうに好きなひととだけにするの」
とろけるように頬を綻ばせ、雪梅はちょんと藍星の額をつついた。
「そうしたら、きっとおいしいわよ。くせになるくらいにね」
◇
「ん……」
溺れるような接吻を終え、慧玲が息をつく。
紫陽花の垣根に隠れて鴆から宮廷の情報などを聴いていたのはいいが、なにを想ったのか、鴆がいきなり接吻をしてきたのだ。以前からよく奪うように接吻されていたが、このごろは特に頻繁だ。
ふらつきながら身を離す。
「ねえ、おまえ、逢った時からそうだけど、どうしてこんなに
鴆が眉の端を跳ねあげる。
「理由、ね。そうだね、最初は試したかっただけだよ。毎回毒を変えてほんとうに万の毒が効かないのかを調べていた」
いつだったか、酷い雨に降られた時も傘に隠れて接吻をされた。毒だとわかっていたのですぐに振り払ったが、しばらくは指先まで痺れていたことを想いだす。
「もう充分に解ったでしょう」
「最初と言っただろう? いまは違う」
鴆は毒々しい眼を細め、微笑みかけてきた。
「好きだからだよ」
「……っ」
めったに掛けられない言葉に動揺する。その隙をつくように再び抱き寄せられ、唇を奪われた。
鴆の接吻は深い。舌をひきだされて、唾を掻きまぜられ、融けあい、ひとつになるような。背が緩く痺れる。頭がくらくらしてなにも考えられなくなる。どんな毒より、まわる。
「……あんただって好きなくせに」
挿しこまれた鴆の舌の先端が口蓋に触れ、つうと舐められた。
誰にも触れられることのない、自身でも普段は意識することのない、敏感で弱いところをあばかれる。
「っ……」
肌がいっきに燃えたつ。
眩暈が突き抜けて視界が白くなる。浅瀬で溺れているとおもったら火の海だ。
息絶え絶えになって涙眼で睨めば、鴆は嘲笑うように低く嗤った。
それでいて彼の眼は狂おしいほどの愛しさに満ちている。だからまた、全身をかけ巡る火が強くなる。熱くなる。
「……可愛いね、あんた。張りつめているくせして、接吻ひとつでどろどろになる」
それは鴆だからだ。
彼は慧玲にとって最強にして最愛の毒だ。身も心も蝕んで、彼女をだめにする。
「……中毒になりそう」
好きかどうかはこたえず。息をととのえるあいだにそれだけつぶやく。
鴆は心底愉快そうに喉を鳴らした。
「いいね、それ」
額と額を重ねあわせるように顔を寄せられた。瞳の紫が眼のなかに滴る。融けるようにどろりと。
「それでいつか、僕がいなければ、
呪いのように鼓膜へとそそがれる毒。あいかわらず、酷い男だ。
「そんなの」
こたえるかわりに今度は慧玲から唇を寄せる。
(とっくになっている)
風が吹きつけ、ふたりを隠すように紫陽花の群が揺れる。
白い紫陽花だ。時季はずれの綿雪のごとく花の群はふわふわと踊る。慧玲の視界はまた、白く燃える。
接吻は毒と蜜の味。白澤の叡智を持っても例えようもないほどにあまく、それでいて微かにほろ苦い。禁断の味が舌を燃やしつくす。
喰らっているのか、喰われているのか。
解らないのに、満たされる。悔しいけれど、それはやはり好きだからで――愛する毒に耽溺する。
白い紫陽花がまたひとつ、弾けるように咲いた。
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