幕間

幕間 毒師、風邪をひく

 静かな夜だった。

 月は細く、星が明るい。

 慧玲フェイリン離舎りしゃで翌朝から取り掛かる調薬の支度をしていた。藍星ランシンがくるまでにある程度準備しておくとその日の仕事が進めやすい。漢方の生薬を挽きおわったところで、微かだが草を踏む音が聴こえてきた。


(彼だ)


 腰をあげ、玄関までむかう。


「やあ、星の綺麗な晩だね」


 想っていたとおり、 夜陰を身にまとってヂェンがたたずんでいた。

 

「おまえが訪ねてくるなんてずいぶんと久し振りね」

「まあね」


 相変わらず神出鬼没だ。

 皇太子としての執務がそうとうにいそがしかったのだろうと想像がつく。疲れているのではないかとおもった慧玲フェイリンは何処となく鴆の様子がおかしいことに気づき、つま先だって鴆の額に手を伸ばした。


「おまえ、酷い熱じゃない」


 触れるだけで解るほどの高熱だ。


「春の宮で感冒かんぼうが蔓延していただろう? 後れて宮廷にその波がきた」


 鴆は喋りながらひとつ、咳をした。


人毒じんどくがあっても感冒にはかかるのね」


 意外だった。

 それだけ疲れて免疫が落ちていたということでもあるだろう。特に睡眠を怠ると感冒に感染しやすくなる。彼が充分な睡眠をとれていたとは想えない。慧玲もまた、彼が訪ねてこないあいだ眠れていなかったから、よく解る。


「おいで」


 鴆に手招きをし、取り敢えず臥榻しんだいに横にならせた。

 鴆は意外にもおとなしく身を横たえる。 再度手をあて熱を測ってから、慧玲は薬をつくるために立ちあがろうとした。だが、何処にもいくなとばかりに腕をつかまれた。


「待っていて、感冒かんぼうに効く薬膳をつくってあげるから」


「薬なんか要らない」


 鴆はすねたような眼をして慧玲の腕を引っ張る。


「意地を張らないで」


「薬より、あんたの手が欲しい。冷たくて……きもちがいい」


「おまえが熱すぎるの」


 すり、と手に頬ずりされる。

 薬のにおいがしみつき、荒れた手。姑娘おんなのなめらかな手ではない。わずかに恥じ、慧玲は手を退こうとしたが鴆は離さなかった。


「ここにいなよ」


「……」


 ため息をつきたくなった。

 こうも弱っているところをみせられると胸が締めつけられるような、くすぐられるような奇妙なきもちになる。


「わかった」


 鴆が眠るまでは側にいようときめ、あらためて臥榻に腰をおろした。鴆は疲れきっっていたのか、すぐにうつらうつらと微睡みはじめる。重なりあった睫が頬に落とす影を眺めながら、側に寄り添い続ける。

 揺篭歌こもりうたなんか歌ってやれればいいのだろうが、あいにくと慧玲はそんなものは知らなかった。鴆だって知らない。鴆が知るのは枕べで語られる毒の呪詛。慧玲がおぼえているのは相承される薬の知識。それだけだ。

 そんなふたりだからこそ、いま、側にいる。



 …………

 ……



 鴆が起きたのはそれから一刻(二時間)経ったころだ。


「ああ、起きたのね」


 ちょうど薬膳ができた。離舎りしゃのなかに漂う料理の香りに気づいたのか、鴆は眉根を寄せる。そんな鴆をよそに、慧玲フェイリンはいそいそと土鍋を持ってきた。


「……そんなものを望んで、貴女のところにきたわけじゃない」


「知ってる。おまえはそうでしょうね。それでも、私は食医よ。食医は感冒かんぼうの患者には薬をつくるものなの。おまえが望もうとも望まずとも関係ない」


 これまでだってそうだったでしょうといわんばかりに土鍋の蓋を外す。ふんわりとやさしいかゆのにおいが湯気と一緒に拡がった。

 

「そうだね、あんたはそういう姑娘ひとだ」


 諦めたと苦笑して、鴆は渡された匙を取る。

 薯蕷ヤマイモと鶏の薬膳粥だ。薯蕷ヤマイモ山薬サンヤクと称されるほどに優れた効能のある食材で、解熱、鎮静のほか、荒れた胃を養い肺を潤す。免疫を高めるので感冒の薬としても心強かった。

 さらに喉が荒れていてもするりと飲みこめるので、食べやすい。


「うまいね」


 ちょっとだけ悔しげに鴆が褒める。

 

「よかった」


「熱はあるが、妙に寒かったから……助かった」


 よほどにおいしかったのか、彼はあっというまに食べ終えてしまった。


「おまえに薬を食べさせるのは可乐コーラの時以来だったかしら」


「そうだったかもしれないね」


 あの時、患者たちは解毒した慧玲を罵って薬の味についての感想も述べずに去っていった。そのくらいのことで傷つくような彼女ではなかったが、鴆だけがまっすぐに褒めてくれた。

 なぜだか、心が弾み、凍てついていた硬い莟が綻ぶように胸が暖かくなった。

 敵になるとしても、嬉しいと感じてしまった。


(思いかえせばあの時からすでに――――)


「なんだか、頬が赤いね。僕の熱がうつったかな」


 くいと引き寄せられ、額をあわせられる。今度こそ、耳のふちまで燃えるように熱を帯びた。


「熱があるんじゃないか?」


「違う、そうじゃなくて……いえ、うつったのかもしれない」


 慧玲は慌てて否定しかけて、すぐに撤回する。きっと、うつってしまったのだ。感冒ではなく、もっと違う――熱病のようなものが。


「へえ? だったら一緒に眠っても問題ないね」


「っ……後片づけが」


 強引に臥榻しんだいへと連れこまれる。慧玲はため息をつきながら、それいじょうは抵抗せずに抱き締められるがままになった。

 鴆が眠れなかったのとおなじように慧玲だって、よく眠れなかった。疲れはたまっている。

 散らかった房厨くりやもほったらかして、抱きあって眠る。

 

 朝はまだ遠い。


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 お読みいただきましてありがとうございました。

 コミカライズ版「後宮食医の薬膳帖 」は現在第二部のクライマックスです!! そ太郎様が最高の作画で燃える火の毒、夏の妃と女官の愛を表現してくださっているので、是非とも一度ご覧いただければ幸いです!


 カドコミ▼

 https://comic-walker.com/detail/KC_005185_S/episodes/KC_0051850000100011_E?episodeType=first


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