2‐44「助けて、鴆」
風に導かれるように
「皇太子様、待ってくださいって」
覗きこんだ
「
呼びかけたが、声は吸いこまれ、かえってはこなかった。
昏冥の底では透きとおる白銀の火が燃えていた。
熱のない
「ちょっ、待ってください、皇太子様……なんか、俺、動けないんですけど」
振りかえれば、
鴆は使い物にならなくなった劉を取り残して、先に進む。
「いるんだろう、
奈落の底に
銀の髪を風になびかせ、胸から華を咲かせている。孔雀を連想させる霊妙な華だ。華からあふれた白銀の火がその身をつつみ、たたずむ
青い紋様は侵蝕を続け、
惨たらしいほどに綺麗だ。
鴆は本能で感じる。これは
彼女はまわりにある毒を吸いあげ、貪欲に喰らい続けていた。飢えている。眼を覗けばわかる。底のない飢渇。
あるいは鴆だからこそか。
根差した本能が危険だと強く訴えてくる。あれにだけは近づいてはならないと。
「っ……
臆してたまるか。
喧しい本能をねじふせて、鴆は視線をそらさずにひとつ。
彼女のもとに踏みだす。
「迎えにきたよ」
空虚ばかりを映していた緑眼が揺らめき、振りかえる。静かに荒んだ眼だ。彼女は微笑んでいる。綻んだ血濡れの唇を動かす。
「――――――」
声はなく。言葉にもならず。
だが、鴆にだけは、聴こえた。
「――――――助けて、
鴆は瞬時に理解した。
慧玲が、慧玲の魂が、喰われているのだと。
彼女のなかに根づいた毒を喰らう毒が、いま、彼女を喰い荒そうとしている。彼女の魂を毒とみなしたのか。あるいは飢えて錯乱しているのか。
いつだったか、鴆が飼っていた毒蛇が自身の尾を喰らって死んでいたことがあった。強い毒を造るために穢れた箱で育てたときだ。その時のことが想いだされる。だが、今は
たいせつなことはひとつだ。
「彼女を、喰わせてなるものか」
絡みつく本能の呪縛をひきちぎるように鴆が踏みだす。
旋風がごうと吹きすさぶ。鴆の外套が破れ、髪を結わえていた紐がほどけた。髪が拡がる。さながら宵の帳だ。
「
風が瓦礫の破片を巻きあげたのか、頬が微かに切れた。
踏みだすごとに鴆のなかにある人毒が喰われていく。袖から、裾から、蛇や蜂、蝶や蜘蛛といった
(この身の毒くらい、喰らいたければ好きなだけ、喰らえ。なんだってくれてやるさ、彼女を取りかえせるんだったら)
彼はすでに誓っている。毒をあますことなく、彼女に捧げると。
奪いかえすように鴆は慧玲を抱き寄せた。喰い破られて、ばらばらになった魂をつなぎとめようとする。
「だから、そんなものに喰われるな、慧玲」
その声に魂を
緑眼に強い意志が、よみがえる。
「慧玲」
「……私、私は」
彼女は微笑もうとする。
辛い時ほど微笑む、そう産まれた。気丈に振る舞わなければ、万の毒は喰らえなかった。だから彼女は、傷ついた頬を持ちあげようとして。
「僕だよ」
「僕だろう? いま、貴女の傍にいるのは」
たったそれだけ。
だが、崩れた。
「っ……」
幼けなく頬をゆがめて唇をかみ締める。喉からはこらえきれなかった悲鳴が洩れだした。たったひとつだけ、こぼれた涙が砕けた星のように瞬く。
「……そうだよ、それでいいんだ」
鴆は愛しむように微笑んで、慧玲を抱き締める腕にちからをこめる。
先ほど「助けて」とつぶやいた時も彼女の唇は微笑をかたどっていた。だから、声なんかなくとも、聴こえたのだ。
辛い時に微笑む彼女の癖を、鴆だけが知っているのだから。
慧玲は銀の
鴆は
微かな
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