2‐45死を選ぶ
後宮の
女官全員を捕縛して調査を進めるという強硬手段は、
麦角菌の危険性は、宮廷でも周知の事実だ。
さらには
そればかりか、地下室からは麦角中毒で脚や腕が壊死した患者が保護されて、ついに事件の全貌が白日のもとにさらされた。
後宮の毒疫患者に麻薬効果のある毒を振りまいたのは宮廷官巫であり、
これには元老院も
…………
風が吹きつけるなか、
事件後、
毒疫患者を毒殺し、女官に薬物を投与したという罪で静は捕縛されたが、いかに尋問しても放心し続けている彼女をみかねて、監禁処分ということになった。
前提事実として、
解毒はできても中毒を克服するまでには時間がかかる。
静はそんな監視の隙をつき、
「これいじょう、ここにいたくない」
静はみずから命を絶とうとしていた。
これまで忘れることができていた家族の死を想いだしてしまったからだ。
彼女の家族は農民から徴税する
滾る怨嗟は農民を賊に変えた。
税吏にたいする逆怨みから賊は
腹を裂かれたふたりの兄の息絶え絶えな姿が。農具の柄で串刺しにされた母親の死に様が。静が賊に強いられたおぞましいことが。
頭のなかで溢れかえる。
「たえられない……でも、死んだら、つらいことはなくなるもの」
東から夜の帳がほどけて、朝がすぐそこまできていた。
捕まるまえに逝かなければ。
風が誘うように橋の底から吹きあがった。あとはちからを抜いて身を投げだせば、逝ける。なのに、どうしてか。
こんなにつらいのに。
「生き残って、あなただけは――」
声が聴こえた。
これまで天候を教え、静を導いてくれた神様の声ではない。彼女を助け、育ててくれたお母様の声でもなかった。だが、懐かしい声だ。
そうか、この声は彼女を産んでくれた母親のものだ。想いだしたのがさきか、家族の声が続々とよみがえってきた。
「妹だけは助けてください」
「私たちはどうなっても構いません、どうかこの
家族は息絶えるその時まで懇願を続けた。賊に斬りきざまれ、殴られ続けながら。
静が殺されずに済んだのは賊の気紛れなどではなかったのだ。この命は家族の愛に助けられたものだった。
死に瀕した母親は静の頬をつつみ、最後にささやきかけた。
「これから先、どれだけつらいことがあっても。命があるかぎり、いつかは幸せになれるから。だから、希望を、捨てないで――――」
静の青ざめた頬に涙がつたう。凍結していた感情が雪融けるように涙はひとつ、またひとつと風に舞った。
「
不意に後ろから抱き寄せられた。
「どうか、逝かないでください、静様!」
「こんなにつらいのに、静様までいなくなったら、私たち、どうしたら」
女官たちがいつのまにか、静を取りまいていた。抜けだしたところをみたものがいたのだろうか。
腰を抱き寄せられ、腕を引っ張られて、橋の中側に連れもどされる。
「
「でも、静様がいなくなるほうが、ずっとつらいよおぉ」
「静様だけが、助けてくれたんだもの」
「助けてなんか、いない!」
「そんなこと」
「だって、あれは」
喉がつまる。
認めるのはこわかった。認めたら最後、お母様からもらった幸福も救済も嘘になってしまうから。
だが、すでに幸せな夢は壊れて、静の眼は現実を映していた。だからこそ、彼女はしばらく心神喪失したのだ。特に地下室から救助されたものたちの壊死した身体を視たとき、静は絶望した。なんて取りかえしのつかないことをしてしまったのかと。
「あれは毒だった! 私は、あなたたちを助けられてなかった! ごめんなさい……ごめんなさいっ」
怨まれるに違いない。橋からたたき落とされても、あまんじて受けいれるだけの決意をもって、静は罪を認めた。
「違うんです、
だが、女官たちは静を責めるどころか、彼女を抱き締めて訴えた。
「薬をくれたから、じゃないんです。私たちの幸せを願ってくれたのは静様だけだったんです。私たちはちゃんと、救われていた。救われていたんですよ」
静が眼を見張り、ぼたぼたと涙をあふれさせた。もはや、なにひとつ、言葉にはならなかった。
静は女官たちと抱きあい、泣き続ける。
風が吹いた。咲き残っていた八重桜が散る。咲いたかぎり、花は散り逝く。だが、それは春にまた咲き誇るためだ。
時が経てば、また幸福の
命あるかぎり、幾度でも。
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