2‐42鳳凰は覚醒める

「これは神様の薬などではありません。毒です」


「そんな、こと、ない。もうあなたとは喋りたくない、あなたの言葉は聴きたくない」


 ジンは現実を拒絶して頭を振る。額につけられた黄金の飾りが火を映して、鈍くまたたいた。


「飲んだらわかるはず。この幸せがどれだけ素晴らしいものなのか。さあ、救われて、楽になって。私たちと一緒に」


 静が粥を飲ませようとする。抵抗はしたが、鼻をつままれて呼吸ができず、咄嗟に緩めた唇から粥をそそぎこまれた。

 あまったるくて苦味のある毒の味が拡がる。

 なぜか、皇后から受け取る毒の杯とも似ていた。


 だいじょうぶ。慧玲フェイリンはみずからに言い聴かせる。しばらく錯乱するかもしれないが、慧玲の躰には毒を喰らう毒がいるのだ。時が経てば解毒できる。

 鼓動が鈍く、肋骨をたたいた。

 続けて、指の先端が、ごうと燃えた。


「あっ……」


 劇痛という火の群れは腕をかけあがり、脚を焼いた。だがそれは、まもなくして麻痺した。肺が燃えているので呼吸ができない。熱をはらんだ血がいっきに逆流する。それが気持ちよくてたまらなかった。

 毒に意識を蝕まれながら、慧玲が考えていたのは麦角バッカク中毒の末期患者たちのことだ。暗くて、細部までは確認できなかったが、腕が腐り落ちたものがいた。眼が白濁しているものがいた。歯がひとつ残らず抜けていたものもいた。


 慧玲は白澤はくたく姑娘むすめとして、あらゆる毒を絶つと誓ってきた。


 だが、取りかえしのつかない患者というのは、いる。


 あそこまで毒に浸かりきってしまったものたちを、果たして解毒できるのか。いや、そもそも解毒したところで、助けることができるのか。幸せからひき剥がして、いたずらに心を壊すだけではないのか。


(――――わからない)


 確信が持てず、窮する。


「ね、なにもかもわからなくなってきたでしょう、それが幸せなの」


 ジンがあまやかにささやきかけてきた。

 視界がひずんで、暗いばかりの地下室の壁におびただしい華が咲く。芍薬、椿、桜に梅。眼のなかで万華鏡が廻る。思考はちぎれて、まともにつながってはいかなかった。意識が透きとおっているか、濁っているのか。


 ただ、残っているのはひとつ。


(助けたい、助けなければ)


 使命感というには強迫じみた。


(だって、私は薬だ)


 薬でなければ。

 強い想いにこたえるように身のうちで脈うつものがいた。


「――――」


 素肌が、青い光を帯びた。


「な、に」


 静の戸惑う声が聴こえた。

 胸から項にかけて、刺青のような紋様が浮かびあがる。鳳凰の紋だ。ああ、やっと解毒が始まるのだ。


 胸に根ざしたものが歓喜して、毒を喰らう。

 薬物による昂揚がなくなって、あとには毒の苦痛だけが残る。麻痺していた痛みがよみがえり、かわりに思考がまとまりはじめて、解毒が進んでいるのだと実感する。


 だが、それだけでは終わらなかった。


 こめかみが痺れだす。鏡もなく、確かめるすべはないが、紋様が拡がったのだろうか。だが、続けて、心臓が強く脈動する。胸のなかでもうひとつの命が息づいていて、肋骨を破ろうと蹴り続けているような異様な動悸だ。


「あ、……やぁ」


 殻を破るように肌が、破れた。

 血潮を滲ませることもなく、胸から華が咲き誇る。

 透きとおるような白に孔雀青くじゃくあおを帯びた八重咲きの華。白澤の書を解いても、いかなる華なのかはわからなかった。例えるならば、月来香げつらいこうに似ている。冥昏めいこんのなかでだけつぼみを綻ばせる奇矯な花――地獄でしか咲けない彼女にふさわしかった。


 咲き誇る華を取りまくように青緑の羽根が拡がる。


「私はいったい、どうなって……」


 慧玲が息をのんだのがさきか、風が吹きあがった。

 浄らかな香をともなった旋風だ。羽振はぶるように吹き荒れた風は慧玲を戒めていた枷を絶ち、静を吹きとばす。


 それだけではなかった。


 壁に背を打ちつけ、倒れた静の身から紫の霧を彷彿とさせる瘴毒が吹きあがる。細くたなびいた瘴毒は、胸に咲いた華へと吸いこまれていく。

 華が、毒を喰らっている――異様な事態のなかで慧玲が想ったことはひとつだ。


「助け、られる?」


 この華が毒を喰らい、毒を絶つものならば、麦角中毒になった患者たちを助けることもできるのではないかと。


「っはぁ、はぁ」


 慧玲フェイリンは鈍く錆びついたような身をひきずってよろめきながら、壊れた娘たちのもとにむかった。ふっと袖から蝶が舞いあがったが、慧玲が意識する余裕はなかった。

 患者たちの膿んで崩れた脚をさすり、あわを吹きながら笑い続ける姑娘を抱きおこす。幼い姑娘ばかりだ。絶望の底から助けだされたはずが、さらなる地獄に落とされてしまった哀れな姑娘たち――かならず、助けなければ。


 争いなどなければ、貧しさがなければ、毒疫がなければ。

 こんなことにはならなかったのだ。


 民の不幸は皇帝の失政による。大陸に根づく万民を等しく楽とするべく皇帝はいるのに、側にいる民を助けられずして、なにが皇帝の姑娘だ。なにが女帝だ。


 ひとりずつ抱き締めて、毒を吸いあげる。

 次第に患者たちのけいれんが落ちつき、荒んでいた呼吸が穏やかなものになってきた。

 毒を受け取る分だけ、慧玲の身が蝕まれていく。

 頭が割れそうなほどに締めつけられた。腕や脚が燃えている。踏みだすだけでも紅蓮地獄を渡るような灼熱感にさいなまれた。


(それでも、私が、薬だから)


 いつだったか、索盟スォモン先帝が壊れていなかったころ、姑娘たる慧玲にこう尋ねてきたことがある。「この国において、もっとも身分の低いものは誰か、解るか」と。慧玲は奴婢ではないかと答えた。だが、索盟は否定した。


「それは皇帝だ。皇帝とは民に命を捧げ、つかえる奴婢のなかの奴婢なのだ。だがそれでいて、民を統べ、絶えず君臨し続けねばならない。頭上に拡がる天にして踏みつけられる地である。それが皇帝というものだ」


 あの時は、彼の真意が理解できなかった。


 だが、いまならば、わかる。

 鴆に皇帝になるべきだと腕を差しだされたとき、彼女は血盟けつめいするがごとく誓った。この身をかならずや薬となして、民に捧げようと。


「よかった、これで……」


 残らず解毒できたとつぶやきかけた言葉が喉もとにつまる。


「……あ」


 また強い風が吹きあがり、その身がいっきに燃えあがった。

 ただの火ではなかった。透きとおる白銀の火だ。

 熱こそ帯びてはいなかったが、強く、神聖な御力みちからを感じた。だが、渾沌として荒んでいる。こんなに透明なのに。


 胸のなかで、なにかが――破れて、喰い、破られて。


 ショウを想わせるさえずりが、あがった。



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 お読みいただき、ありがとうございます。

 後宮食医の薬膳帖4 発売からまだ2日ですが、すでに読了報告なども届き、大好評です。ご愛読くださる読者様に心から御礼申しあげます。


 また「第七部血の毒に錯乱する」の続きはメディアワークス文庫から発売の「後宮食医の薬膳帖3」にて先読みできます。さらに「後宮食医の薬膳帖4」では第八部、第九部が読めます。しかもweb版の原稿からかなり加筆修正してありますので、楽しんでいただけること、間違いなしです。

 今後ともweb版とあわせて、文庫版もどうぞよろしくお願いいたします。

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