2‐38宮廷官巫は宮廷の陰

「報告です。といっても、進展はないんですよねぇ」


 黄昏のせまる時刻にヂェンリウを連れて離舎まで報告にきた。劉は宦官ではないが、皇太子補佐官の特権で鴆と一緒にならば後宮に渡ることを許可されている。

 藍星ランシン春宮はるみやまでつかいにいっている。まもなく帰ってくるだろうが、先に話を進めることになった。


「昨年の秋ごろに竹の実を収穫していたものがいないか、衛官に聴きこみ調査したんですが、そもそも離舎まで警邏けいらする衛官隊がいないんですよね」


 北東の藪で竹の実を摘んでいてもばれることはないということだ。


「再度、薬物を渡しにくるということはないですかねぇ? 薬物依存になってるんだったら好都合じゃないですか。今度は金品を巻きあげるとか」


「可能性は低いとおもいます」


 慧玲フェイリンが答える。


「妃妾に投与された薬物は致死量でした。薬漬けにするつもりならば少量ずつ与えるはずです」


「薬の量的に明確な殺意があったと。ですが、妃妾を毒殺するんだったら、もっとわかりやすい毒を飲ませますよね?」


 そこだ。慧玲も終始、腑に落ちなかった。

 なぜ、麦角バッカクの薬物をつかうのか。なぜ、患者を毒殺するのか。危険をおかしてまで患者を狙うには利得があるはずだ。だが、現段階で得るものがひとつも推察できない。

 理解できない毒は、怖ろしい。


「ただ、妙なことがあってね」


 鴆が慧玲と劉の会話に割りこんだ。


「麦角中毒で錯乱している後宮の妃妾を見たが、宮廷官巫きゅうていかんふ入神にゅうしんしている時の姿に瓜ふたつだった」


 その言葉に慧玲が息をのむ。


「宮廷官巫というと秋妃しゅうひ月静ユエジン様ですか。弥生やよいの終わりに季宮ときみやの女官から、ジン様の診察を依頼されたことがありました。祭祀のあとは体調を崩されるとか」


 静は桶にしがみついて嘔吐き続けていたが、確かにあれは薬物の離脱症状に似ている。


「実をいうと、宮廷官巫の予言は風水を読むのと変わらない」


「わお、皇太子様、宮廷の元老院げんろういんをいっきに敵にまわすようなことを言いますね」


 ちゃかしているのか、褒めているのか、劉は微妙な声で囃す。


「元老院は端から敵だよ。彼らは皇帝の落胤おとしだねを是が非でも認めたくないらしい。まあ、宮廷官巫を崇拝するのは元老院ばかりではないからね、公では僕も敬虔に振る舞うさ」


 ヂェンは肩を竦めてから、本題を続けた。


「そもそも風水師になれるかは産まれながらの才能できまる。僕にそんなものはなかったから統計と知識を寄せあつめて、読んだ振りをしていたけれどね。だが才能があっても、女は風水師になれない。その結果できたのが宮廷官巫だろう」


 宮廷官巫になれば、政にも関与できる。


「だが風水師の才能なんて一部のものにしかない。だから薬物どくをつかった」


 鴆は毒に精通している。


「毒で交感神経を無理やりに高め、五感を鋭敏にする。そうすれば、凡庸で知識のないものでも風水を読めるようになるだろう。宮廷官巫が天候や災禍をあてられるのも納得がいく」


 宮廷官巫が後宮の患者に薬物を投与した――

 諸々を総括すれば、そう考えるのがもっとも理にかなっている。


「秋の季宮では孤児をひき受けて官巫をかねた女官として育てている。だが、受けいれている孤児の数と女官の総数があきらかに一致していないんだよ。薬物を投与した結果、廃人になった、あるいは命を落とした犠牲者がかなりの規模でいるはずだ」


「酷い……まだ、幼学ようがく(十歳)にも満たない姑娘ばかりなのに」


 幼い女官たちの純真な笑顔を想いだして、慧玲は胸が締めつけられた。


「ですが、宮廷官巫が絡んでいるとなると、これは厄介ですよ」


「あれは後宮の陰だからね」


 慧玲が淹れた菊花茶きっかちゃの杯を傾けて、鴆がため息をついた。

 宮廷官巫は皇帝や皇后でも動かすことのできない後宮の禁域きんいきだという話は聴いたことがあった。


「俺みたいな男の官吏かんりはもちろんのこと、宦官ですら官巫の教えでは不浄とされているので、秋の季宮には踏みこめません」


 劉が喋りながら欠伸をする。彼は段々と真剣な話に飽きてきたらしく、倚子いすの背で頬づえをついてだらけていた。鴆は彼を睨みながらも叱ることはせず、諦めている。


「証拠もない段階で禁を破り、強制調査をしようものならば、元老院が黙ってはいないだろうね。冒涜だと見做される」


 毒を撒き散らしたものを裁くことはおろか、捜すこともできないのか。

 慧玲は悔しくて唇をかみ締める。


「宮廷官巫といえば、渾沌こんとんみかどの時はとくに酷かったですよね」


 渾沌の帝と聴いて、慧玲が項垂れていた顔をあげる。


「いったい、なにがあったのですか」


 父親である索盟スォモンの罪はつぶさに知っておきたかった。彼は罪だけを残して逝った。毒による暴虐だったとしても、結果は結果だ。

 そして、罪を償うべきは姑娘むすめたる慧玲の役割だった。


神明裁判しんめいさいばんですよ」


 聴いたことはある。

 有罪無罪の判決を、天地神明の意にゆだねるという裁判の様式だ。


「あの時の神明裁判は宮廷官巫の神託で判決がくだりました。まあ、ぶっちゃけ、宮廷官巫の気分ひとつですよねぇ。渾沌の帝が死刑を好んでいたので、軽罪でも官吏やら妃妾やらがしょっちゅう死刑に処されていましたよ」


「そんな……」


「でも、先の秋妃に賄賂を渡せば、助かるとかいう噂がありましたね」


 裁判を取りしきっていたのは先の秋妃だったという。先妃は老年ろうねんで官巫としては才能がなかったが、孤児の娘を集めては官巫として養育していた。


 だが、索盟スォモンがなぜ、そこまで宮廷官巫に入れこんだのか。彼は天地神明を信仰して、それに縋るような男ではなかった。どちらかといえば現実を視ていた。


「錯乱していた渾沌の帝を操るために『官巫を頼れ』と唆したものがいたんだろうね。事実、錯乱していた渾沌の帝の助けになっていた重鎮が、神明裁判にかけられてはことごとく死刑になっている」


 ヂェンは言外にディアオ皇帝の謀りだと示唆していた。

 索盟スォモンは心が壊れても、実兄であるディアオのことは最期まで信頼していた。最愛の兄が禁毒を盛ったとは疑わずに。


「兵部尚書のミン様が死刑になったのは酷かったですよね。彼は熱心な先帝派だったのに」


 ミンと聴いて胸がざわりとする。確か、藍星ランシンの父親が兵部尚書の役職についていたはずだ。索盟の乱心で首を落とされて、藍星の実家には首だけが帰されたという。


「藍星のお父様まで――」


 そこまで言い掛けたとき、物が落ちて壊れる音がした。

 息をのんで振りかえる。頬を強張らせた藍星が震えながらたたずんでいた。

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