2‐31藍星、東宮を覗く

 日が東から昇ることから、皇太子こうたいし居室きょしょは宮廷の東に設けられる。東宮とうぐうにつながる廻廊では物陰に隠れるように身をかがめて、ちょろちょろと動きまわっている女官がいた。藍星ランシンだ。


慧玲フェイリン様、だいじょうぶかな」


 慧玲を抱きあげたヂェンは、東宮に吸いこまれていった。

 後宮女官如きが皇太子の居室に踏みこめるはずもない。

 だがちょっと覗くだけならば、許されるのではないか? 藍星は意を決して扉のすきまから、なかを覗こうとした。


「なにしてんですか」


 後ろから声をかけられ、藍星はびくううっとなった。


「ち、違います、あやしいものではないんですけど。ただ、その」


 どう考えてもあやしいのだが、藍星はぶんぶんと頭を振って懸命に言い訳をする。


「ああ、食医様つきの女官でしたっけ、例の官吏をぐうで殴った」


「ふえっ、あっ、あの時の」


 頭を振りすぎていたので気づかなかったが、声をかけてきたのは病室で助けてくれた武官だった。武官というと藍星はこれまで筋骨隆々の男を想像していたし、現にそういう武官が殆どだが、彼は線が細くて文官かと誤解するほどだった。華やかな二重といい、眉の緩やかな曲線といい、見映えがする。妖艶で冷酷な印象を振りまく鴆とはまた違ったふんいきだった。


ミン藍星ランシンです。助けていただき、ありがとうございました」


「俺はロォンリウです」


 ロォン家といえば大士族だ。なのに、女官に過ぎない藍星ランシンにたいしても敬語で、偉ぶったところがない。たぶん、このひとはいいひとだ。


慧玲フェイリン様はこちらにおられます、よね?」


「ですねぇ。俺も皇太子様に報告があってきたんですけど。さすがに皇太子様の閨事ねやごとを邪魔するのはなあとおもって」


「ね、閨事っ」


 とんでもない言葉が飛びだしてきた。藍星の顔が、ぼぼっと燃えあがる。


「そ、そんなはずないじゃないですか。宮廷が毒疫の禍で大変なときに」


「関係ないでしょう。ディアオ皇帝は毒疫どくえきのなかでも毎晩、後宮に渡っていましたし。あ、でも皇太子様って女の趣味が微妙ですよね」


「は」


 一瞬だけ時が停まって、藍星の笑みがいっきに壊れた。


「なな、なっ、なんですか、それっ、慧玲様が微妙なんて眼が腐っているんじゃないですか! 琅玕ひすいの瞳に叡智の証である銀の御髪おぐし! 華奢で御可愛らしくて、なのに頑張り屋さんで、こうと誓ったら、どんな苦境のなかでも貫きとおす意志の強さ! あんなに素晴らしい女人にょにんはおられないでしょうっ」


 藍星ランシンは息もつかずにまくしたてた。

 慧玲を褒める言葉ならば、藍星はたて板に水とばかりにならべることができる。


「へえ、でも、食医様って毒々しくないですか?」


「どこが!? 薬のなかの薬ですよ! 慧玲様を馬鹿にしないでください! 毒々しいのはむしろ、あなたのところの――」


 皇太子様でしょうが、と言い掛けたが、これは言葉にしたら死刑ものだなとおもったので、声をのむ。


「まったく喧しいな」


 その時だ。扉がひらかれ、辟易した声とともにヂェンがでてきた。


「あ、皇太子様、もう終わったんですか?」


 鴆の背後から、慧玲も顔を覗かせる。


「藍星、心配をかけてすみません」


「慧玲様! よかったあぁ、もうだいじょうぶなんですね?」


「熟睡してげんきになりましたよ」


 藍星は思いきり、慧玲に抱きついた。


「というわけで報告です。失踪した宦官の宿舎から金塊がでました」


 劉の報告に慧玲がいっきに真剣な眼差しになる。


「間違いありません。それが毒のもとです」


「はい。さきに食医様に教えていただいていたので、慎重に処理されました。石の箱にいれたら毒が洩れだすことはないんですよね、確か」


 だが、不可解なのは宦官がどうして金塊なんかを持っていたのか、だ。


「盗掘品だったみたいですね」


「後宮のびょうですか」


 慧玲がすかさず尋ねた。藍星はそれを聴いて、廟の調査に赴く冬妃と逢ったことを想いだす。廟にそんな危険な物が眠っていたなんて。


「察しがいいですね。金塊を持ちだした宦官は、冬妃とうきの調査隊に配属されていたそうです。なんでも複写が巧かったとか。廟のなかで特大の金塊を発掘し、欲にくらんで持ち帰ってしまったんでしょうねぇ」


「特大の金塊……ですか、わわっ」


 藍星は想像して、宦官が欲にかられるのも致しかたないなとおもった。まして金が毒だなんて考えもしなかったはずだ。


「まあ、特大っていっても、あのくらいだったら竜家の財産の一割にも満たない端金はしたがねですけどね」


「あ、だったら、その端金をください」


 咄嗟に欲望がだだ洩れてしまった。慧玲に苦笑されてしまう。

 だが、廟から発掘されたという経緯について、慧玲としては違和感をおぼえたのか、顎に指を添えて考えこむ。


「しっかし宦官がやらかしたとはいっても、調査の責任者は冬妃ですからねぇ。そうなるとあれか。宮廷官巫きゅうていかんふの神託は――」


 リウの言葉をひきついで、鴆が続けた。


「そう、残念ながら《飛べぬ鳥が夜に鳴き》というのは皓梟ハオシャオだった、ということになるだろうね。神託まで絡んでいて、かつ実害があったとなれば一年程は冬の季宮ときみやに謹慎処分になるかな」


 神託というのは受け取りかたによって、様々な考察ができるものだ。都合よく神託をつかうのは易い。藍星は昔から神託とか易占とかそういったものが好きではなかった。


 皓梟の処遇を憂いてか、慧玲は唇をかみ締めた。


「……偶然ではない、かもしれませんね」


「だとしても、確かめるすべはないよ」


 皓梟ハオシャオの失脚がいかなる利得を産むのかはわからないが、宮廷は陰謀の絶えることがない毒の宮だ。

 風が吹きつけてきた。盛りを終えた花桃はなももが、散る。

 乱舞する紅は、微かに錆のにおいを漂わせているような気がした。

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