2‐30毒の皇子は薬の姑娘を墜としたい
夢もみなかった。
意識を取りもどすと、嗅ぎなれた
ああ、側に
離舎で眠っているつもりで
「ここはどこ」
「
彫刻の施された窓に腰かけて、
「そう、私は……倒れてしまったのね」
想いだす。
宮廷の患者たちを解毒できて、緊張が弛んだのがよくなかった。だが、後宮にはまだ、患者がいるのだ。
日の角度を確かめる。
かつんと
「っ……どういうつもり」
突きとばされて、鴆に組み敷かれた。
振りほどこうにも手首を締めあげられている。
「さあ、なんだとおもう?」
紫の双眸には昏い陰が差していて、なにを考えているのか、読めなかった。
「どいて、おまえにつきあっている暇はないの」
慧玲は躊躇なく蹴りあげようとする。だが、先んじて脚を絡められて、蜘蛛の糸に捕まった蝶がもがく程度の抵抗しかできなかった。
「知っていたかな? あんたが命を賭けて蜃の王に薬膳を振る舞ったとき、僕がなにを考えていたのか」
「私を信頼して――――」
まかせてくれていたのではないかと言いかけて、言葉をのむ。ああ、違う。彼はそんなふうに解かりやすい男ではない。彼は、毒なのだから。
成功するだろうと思ってはいたはずだ。信頼というよりは事実として。
だが、それでもなお、彼が考えたことがあるとすれば。
慧玲が理解したのを察して、鴆は嬉しそうに唇の端を持ちあげる。毒を垂らすように耳もとにささやかけてきた。
「失敗すれば、よかったのにね?」
強い毒が、眼睛のなかで渦を巻く。
毒の嵐だ。慧玲は息をつまらせて、竦む。だが、彼の毒に臆しては、終わりだ。
「私が
「は、殺させるはずがないだろう」
鴆があきれたとばかりに吐き捨てた。
「だったら、なぜ」
「解らないのか? 公賓にたいする調薬で失態をさらせば、その場で食医の役職を解任して、あんたから薬を取りあげられるじゃないか」
想像だにしていなかった言葉に慧玲は今度こそ、視線を彷徨わせた。
「……おまえ、私を女帝にしてくれるんじゃなかったの」
「そうだね、皇帝の椅子に君臨する貴女をみたいというのも嘘じゃないさ」
喋りながら、毒を扱う指は白澤の証たる髪を梳いていた。指は続けて、首筋をなぞる。逢ったときのように締めあげることはしなかったが、動脈をたどる指の動きからは毒蛇が絡みつくような執念を感じた。肌が、痺れる。
「でも、同じくらい、あんたが薬でなくなって落ちてしまえばいいとも想っている。地獄の底までね」
「そう」
ああ、どれくらいぶりだろうか。むかいあうこの男は毒で、
それがたまらなく、嬉しかった。
彼だけだ。彼だけが、
「おあいにくさまね。ここが地獄の底よ」
いつのまにか、拘束を解かれていた腕を持ちあげて、鴆の頬に指を添えた。
「でも、ここからさらに落ちるさきがあるというならば――落とせるものならば、どうぞ」
「はっ、ほんとうにたまらないな」
どちらからともなく、息をふっと抜き、睨みあいをやめる。
あれだけ張りつめていた毒気が嘘のように弛んだ。毒がなくなったわけではないが、嵐のような苛烈さはすでにない。
互いに背をあわせ、横たわる。あれだけ言い争ったあとでも、側にいれば落ちつく。
愛ではなく。好敵でもなく。どんな言葉でも表せない。嵐かと想えば、華になる。奇妙な関係だ。
強いていうならば、喰らいあう毒と薬か。
逢ってしまったばかりにひとつの根で絡まりあい、結びついている。背きあっても、離れられず。かといって、ひとつにもなれず。
でも、だからこそ、孤独ではなかった。
「まだここにいなよ」
「……もうちょっとだけね」
諦めて、睫をふせる。
窓の側に枝垂れる藤のうす紫を眺めつつ、昼さがりのひと時、
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